Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

現実逃避の値上げ批判

2012-01-28 12:18:00 | 時事
原発事故以降、原発の再起動が事実上不可能になっている中、法定の定検入りにより稼働を停止することで事実上の「脱原発」状態になっていますが、あれほど喧伝された電力不足、ブラックアウトが生じないことからやっぱり原発は不要、と信じる人があまりにも多いです。

要は採算を度外視した電源確保がそれを可能にしているだけであり、本来商業ベースに乗らない可能性の高い小規模発電施設を増設したり、高い原材料を購入して既存の火力発電をフル稼働しているという「異常事態」が恒常化しているだけです。

足元の状況は火力発電に無理な負荷がかかりすぎであり、本来負荷を軽減する時期も設けての稼働率で保全計画や寿命を設計しているのが大きく狂っていることで、今後どのような事象が発生するのか。過負荷による設備トラブルが懸念されますが、電源の喪失ならまだしも、外部に影響を与えるような「事故」にならない保証もないのです。

PPSがあるじゃないか、という声もありますが、既存発電事業者とは比べ物にならない発電規模です。取り敢えず手を上げた先行者は「東電は使ってません、キリッ」と涼しい顔をしていますが、みんなが東電以外を選択することは不可能ですし、それでもPPSというのなら、取り合いになり、市場原理が働き高コストになります。

足元の状況一番深刻というか、現実逃避に見える動きなのが東電の値上げ問題をめぐる「公共や市民の正義の声」でしょう。日本が原油、LNGを手当たり次第買わざるを得ない、という状況で、猫でも相場で儲けられるような一本調子の買い上がりをしているわけで、原材料費が何割、何倍の単位で上昇しているわけです。

そうなれば販売価格が上がることは子供でもわかる話ですが、それを受け入れようとしないのです。
事故を起こした東電が値上げなど言語道断、という「正義感」で暴騰した原材料費をカバーできるのなら経済革命の域なんですが、東京都の副知事をはじめ、簡単な算数も出来ないようです。
もちろん人件費などの削り代の問題はありますが、基本は大幅な値上げは不可避である、それが「脱原発」の最低限の前提である、という現実です。

現実逃避の「ケシカラン」論ですが、反原発派にとってもコストアップという現実から目を逸らさせることができるということで都合が良いようで、メディアもそうした流れに乗っていますね。

ついでに言えば、すぐ値上げを持ち出すと言うのも総括原価方式が悪い、という「経済テツ」のような聞きかじりの批判もどうでしょうか。
本来民間企業の営業行為は、企業が自由に価格を設定できることが基本です。それが出来ないのは統制経済であり、我が国の体制に本来相容れないものです。電力会社が総括原価方式を採用しているのは、独占を認める代わりの統制であり、もし総括原価方式がケシカランというのであれば、自由競争にしないと筋が通りませんが、そうなるとPPSを吹き飛ばすような自然独占の帰結が目に見えており、より高い料金を飲まされるのが経済原則です。

原価の内訳がどうのという声もありますが、みなさんが普段購入している企業の製品やサービスの対価が純粋な原材料と製造コストだけだと思ってないでしょうね。広告宣伝費や交際費の類もみんな入ってますが、それがケシカラン、というのであれば、あまりにも世間知らずですし、正義の名を借りた「不当な値下げ要求」と言えます。

もちろん企業が業績悪化により人件費や一般管理費、間接費を削減するように、東電など電力会社も相当身を削る必要がありますが、大本の原材料費高騰という部分を無視して値上げが回避できるような口調での批判は、アジテーションに等しいものです。

値上げを圧縮したいのなら、電力消費を削ると言う王道がまずありきです。
料金高騰か、電力不足か。脱原発を唱えるのであれば、そのどちらかを受け入れないと成立しない現実をこの期に及んで逃避する「駝鳥の平和」の現状は、パンと見世物で現実を逃避してきたローマを思い出させるものであり、滅びゆく老大国として行く末すら二重写しになります。









初場所が終わって

2012-01-25 00:40:00 | ノンジャンル
初場所が終わりました。
モンゴル勢の20場所続いた優勝に歯止めが鰍ゥった、といっても日本人ではなく、エストニア出身の大関把瑠都の優勝です。

新大関稀勢の里は11勝とまずまず。琴奨菊は千秋楽で給金となんじゃこりゃですが、まあああいう相撲スタイルはむらっ気があるわけで、春場所に爆発すれば大関として合格でしょうが、これが続くようでは看板唐黷ナす。

白鵬は緊張の糸が切れたのでしょうね。ますます「未だ木鶏たりえず」の双葉山には遠く及ばない「心」であり、朝青龍に対して無理やり作り上げた優等生の大横綱、というメッキがはがれてきました。

さて、初優勝した把瑠都、大関での優勝ですから来場所は当然綱とりです。と、いきなり横審から横槍が入ったのです。

連続優勝でも内容を見る、という委員長の声ですが、外国人嫌いもここまで来ると立派というか、内規にもないハードルを課して何としてでも外国人の昇進を阻止しようと言う卑劣な根性には呆れます。これが社会の木鐸を自称する新聞社のトップだったのですからお寒い限りです。

そういえばこの御仁、野球賭博の発覚時に参加した力士をかばったり、中継を中止したNHKを批判したりと、メディアのトップだった経歴にしてはコンプライアンス意識が絶望的に低いですが、先の某人気球団を巡る騒動でもメディアのトップのガバナンスの意識が問われたように、コンプラやガバナンスの意識が決定的に低い人間が率いるメディアが上から目線で記事を垂れるというのは絶望的に皮肉な事態でしょう。

確かに把瑠都は稀勢の里戦での変化がありましたが、変化が常に悪いのか。
引っかけてとったりを多用する白鵬はおとがめなしですし、そもそも稀勢の里も変化をしてます。
要は楽しみにしていた大一番なのに期待を裏切ったからケシカラン、という私憤でしょう。決して横綱足るものの資質を問うような大所高所からの発言とは認められません。

あの一番、もし負けていれば白鵬の緊張の糸も切れずに日馬富士戦を戦い、変化も出ずに白鵬が勝ったかもしれません。そうなれば千秋楽に白鵬に追いつかれ、決定戦でも、となってV逸の可能性もあるわけです。
確かに後味が悪い勝ち方ですが、あの勝ち星の価値を考えたら、勝負に徹すると言うのもプロであり、生ぬるい「真っ向勝負であれ」という感傷論を排除した真の勝負師として評価しても良い局面です。

稀勢の里の「32勝」(これは理事会が決めたのだが)には文句を言わず、把瑠都には内規通りでも昇進させないと言うのでは、内規というルールの無視というガバナンスが問われる事態です。
そういう意味では八百長問題以降、改革を注視されている「保護観察期間」の大相撲ですが、横審が一番のガンかもしれませんね。


女性専用車を巡る騙し

2012-01-24 00:11:00 | 交通
1月23日の読売がトンデモ記事を載せています。

「兵庫県警が昨年に受理したJR西日本の電車内の痴漢被害相談の9割以上が、女性専用車両のない新快速と快速に集中していたことがわかった。 県警は、JR西に対し、新快速と快速にも女性専用車両の導入を要望したと発表した。」
「県警によると、昨年、県内13の鉄道事業者の利用者から痴漢や盗撮などの被害相談が137件寄せられた。事業者別ではJR西が95件で、このうち77件が電車内での痴漢。その9割を超える71件が女性専用車両のない新快速と快速だった。 」

JR西日本が導入の検討を続けたいというコメントを引きだしていますが、ちょっとでも現地を知っていれば「はあ」というようなトリックが潜む「為にする」記事と言えます。

女性専用車が無い列車に被害の9割が集中、というとやはり必要なんだ、と騙されやすいですが、ここに2つの罠があるのです。

まず1つ目が、乗車率の違い。そもそもガラガラの電車でこうした性犯罪は起きにくいわけで、日がな混雑が激しい新快速と、日がな空いてる普通を同列視してはいけません。

そして2つ目が編成両数の違い。新快速は12両編成が基本ですが、普通は7両編成とこの時点で違います。なお列車本数も考慮する必要がありますが、新快速+快速と普通は夕ラッシュの下りを除いて同数です。

この2つを複合して考えれば、単純に9:1と見て良いと言えないことが分かります。
比較する時の基本、母数を揃えると言う動作が完全に抜けているからです。

具体的に見てみましょう。三ノ宮駅基準で朝ラッシュ時上り、日中、夕ラッシュ時下りの発着は1時間当たり概ね下記の通りです。

【朝ラッシュ上り】
新快速:7本*12両=84両
快速:7本*12両=84両
普通:14本=98両
168:98

【日中上下】
新快速:4本*12両=48両
快速:4本*8両=32両
普通:8本*7両=56両
80:56

【夕ラッシュ下り】
新快速:8本*8両=64両
快速:4本*8両=32両
普通:8本*7両=56両
96:56

単位時間当たりの通過両数の段階で、ラッシュ時で1.7倍、日中で1.4倍となります。
これに乗車率を重みづけするとどうなるか。母数の段階で2倍以上3倍以下というレベルになります。

この時点で普通と快速、新快速の発生比は1:4程度といえます。
さらに普通と快速、新快速の乗車の特性の違い、つまり、短距離で入れ替わる普通に対し、長時間停まらない快速、新快速という違いがあります。

もちろんそういう特性がある列車に導入する、という動機付けはありますが、この発生頻度の差が列車の特性に起因するのであれば、導入しても減少しない可能性があります。
例えば初期に導入された埼京線で、導入後の通勤快速と普通の犯罪発生の数値はどうなっているのか。JR西日本でも導入済みの学研都市線やJR宝塚線での快速と普通の導入後発生比はどうなのか。

特にJR神戸線の場合はこうした先行線区よりも快速系の速達度が高く、より有意な差が出ると考えられますが、もしこれが1:4より小さな差であれば導入の意義は見出せますが、そうでなければ導入しても意味がありません。もちろん確実に回避できる車両がある安心感はありますが。

もうひとつ、快速、新快速への導入で看過できないことが、長時間乗車を前提とした列車に導入することで、性差による着席サービス(に加えて立客の環境も)の深刻な不公平が発生すると言うこと。
1時間以上の長時間乗車において、男性から見て8両編成で1.3倍、12両編成で1.1倍の着席チャンスを女性が有すると言うのはどうでしょうか。

合わせて新快速の慢性的な混雑を考えると、神戸電鉄で混雑の激化により事実上朝ラッシュ時の導入が撤回されたこと(新開地着では朝ラッシュの後半以降の設定になった)の再来も考えられますし、これを理由に4扉ロングシートなどの詰め込み仕様の導入とでもなったら踏んだり蹴ったりです。

そもそもこうした犯罪に対処するのであれば、まず警察による頻繁な警乗など、犯罪を起こさせない、摘発する、という正攻法が必要です。
ところがそれをろくにしないで利用者の負担になる策を要請すると言うこと自体が本末転唐ナしょう。

そもそも、普通電車には女性専用車両がすでに導入されているのです。もし不安なのであれば、普通電車に乗ればいいのです。ただでさえ混雑する新快速や快速に重畳的に導入までして男性の待遇を悪化させう必要があるのか。そういう意味では百歩譲っても、快速(京都もしくは高槻$シ明石以外は普通)に導入するにとどめるべきでしょう。(もちろん6連や8連はなくすという前提で)

痴漢などの犯罪は卑劣ですし、被害に遭われた方にはお気の毒ですが、被害相談が氷山の一角だとしても、年77件が何倍になるのかを考えたら、圧涛I多数の犯罪と全く無縁の通勤客に毎日しわ寄せが来ることは妥当ではありません。そういう意味でも、並行私鉄の優等列車並みに速い普通電車による移動が可能なのですから、専用車両で移動したかったら普通電車に乗る、快速や新快速は警備強化で対応する、という棲み分けが妥当です。




消えゆく遺構

2012-01-22 20:58:00 | 交通
田町と品川の間に広がる田町車両センター、我々の世代だと田町電車区(南チタ)、品川客車区(南シナ)、東京機関区(南トウ:機関車表記は「東」)となるわけですが、ここの再開発について国も重点開発地域に指定するなどいよいよ本腰を入れて動き出しています。

前々から噂されていた泉岳寺新駅も報道されているのですが、話を総合するとどうもイメージが違う部分も見えます。
つまり、これまで再開発は山手線などの線路を挟んで新幹線線路との間のエリアを開発するイメージでしたが、どうも山手線などの線路も移設して、それと第一京浜の間の土地を再開発するようです。



東北縦貫線開通で田町の機能を尾久へ移管することで捻出するという建て付けですが、東海道線を第一京浜側に寄せればかなりの土地が捻出できるのに対し、山手線が東に寄るとなると、現在の用地のかなりの部分が斜めに進む山手線などの新線によって分断されるため、使える用地は狭くなる印象です。
ただ、それなりに残された用地があるのですから、電留線や引上線を確保し、運転整理を万全にしてほしいですね。そこに懸念材料が多い会社ですから。

泉岳寺新駅も京急、都交との総合駅をイメージしていましたが、こうなると街区を挟んで反対側に対峙する格好であり、「乗り換え至便」とはいかないようです。まあ街区の東西に駅があることで街区の利便性は逆に高まりますが。

気になったのは東に東海道線下り、新幹線があり、西に第一京浜に沿って建つビル群、地下から出て高架に駆け上がる京急線があるので、街区へのアプローチ道路をどうするのか、ということでしたが、この日を予見したのか偶然なのか、街区の北、中、南に位置するあたりの第一京浜沿いが平面駐車場として利用されている箇所があり、そこから街区内に道路が付くという感じです。

こうしたバラ色の未来の中でおそらく消えるであろうと思われるのが、電車区の中に残る山手線、京浜東北線分離の遺構です。品川寄りの留置線の背景に見える古いコンクリート造りの構造物、さらに背後に見えるノコギリ状の屋根と合わせて、電車区の工場かな、と思うでしょうが、実はよく見ると地平から高架に駆け上がる高架橋のなれの果てということが分かります。



1956年に分離するまで、山手線と京浜東北線は田端%c町間で同じ線路を走っていましたが、戦前に既に分離運転をすべく工事が始まっていたのです。この時の構想は今と形態が違っていたようで、現在の遺構の位置に乗り越す高架橋が計画され、ここだけ完成していたのです。



泉岳寺新駅に向かう「新線」がこの遺構を交わそうとすると、角度のきついカーブが誕生し、品川%c町の所要時間も新駅開業分以上に伸びることになりますから、おそらく背後の工場も含めて撤去し、ここを山手線から東海道線上りまでが走ることになることから、この遺構も80年近い眠りを経て姿を消すようです。




ジャーナル2012年2月号

2012-01-22 01:28:00 | 書評
またもや月遅れになりましたが、2月号の書評です。

2月が東京縦貫、3月が関西の鉄道ネットワークと、東京にも目を配ってますよ、という感じの2号連続での東西特集です。まあ関西、それもJRWばっかり、と言う批判が強いですが、「一極集中」で東京の話題は針小棒大に取り上げられることを考えれば目配りとしては効いている方なんですが、関西の話題は私鉄の話題であるべし、とでも言うのでしょうか、JRW偏重がお気に召さないようで、当座どっちのファンにも受けが悪い状況です。

さて特集ですが、東北縦貫線工事がメインです。こうしたプロジェクトがメインを飾ることは少なくないですが、土木、建設工事そのものがメインと言うのは珍しいですね。大正年間の東京駅開業とそれに伴う一連の整備による高架橋の探訪と合わせ、ここまで建設にこだわった特集は1978年9月以来でしょうか。

ただ気になったのは営業中の東北新幹線との干渉を避けての難工事を強調しているのですが、素人目に見て「もっと他にやりようが」と感じたのです。
重層高架橋のための橋脚を吊り上げるスペースが取れないため258ピースに分割し、架線をクリアして吊り上げ架設しているというくだり、2日に1個のペースと言いますから最短でも515日、約1年半かかるわけです。

これだけの長期工事を覚悟するのであれば、まず支障する架線の方をどうにかするのが常道であり、高速走行をしない東京¥纐・ヤですから、工事時間帯だけ取り外せるような構造にまず改造し、作業空間を十分に確保して一気に架設する、という発想はなかったのか。

重機を線路上に持ち込むのも異例という話ですが、在来線や私鉄では工事の際に軌道に角材を敷いて簡易的な「併用軌道」にしてトラックから何から乗り入れているわけです。
もちろん検討した末の話かもしれませんが、どうも「大回り」をしている印象を受けました。



まあやぶにらみ的な話は置いておいて、続く北千住のルモニ副都心線のルモ烽オっかりしています。特に北千住は東武の改良に続くTXの開業を踏まえた内容で、歴史的経緯を中心にした定性的な内容で、技術色の強い東北縦貫線と好対照と言えます。

一方で京浜東北線はちょっとお粗末。大船から上野までで記事の大半を占め、あとは付け足し同然というのはバランス以前の問題です。いみじくも筆者が京浜東北線に全線通し乗車したのは初めてといってますが、通しでなくても京浜東北線の北半分の乗車経験そのものを疑う内容です。

特集の後に「首都圏の鉄道網の展望」と題した佐藤信之氏のコーナーですが、2000年1月の18号答申のフィードバックですが、四季報の敷き写しに比べるとまだマシな出来です。

ちなみに成田空港への千葉県内からのアクセスが貧困、リムジンバスも少ない、と書いてますが、京葉地区は京成本線、東葛地区はスカイアクセスがカバーしており、特にスカイアクセスの開業による東葛地区からのアクセス改善(東松戸、新鎌ヶ谷接続)により、県内主要都市からのHRTでのアクセス網という意味では羽田への城南(東急沿線)、三多摩方面からのアクセスを凌駕していると言っていいのですが。

まあ千葉市内、また千葉以南からのアクセスがJRのエアメ[ト成田の手薄さがネックになるわけですが、千葉市内は東関道を活用したリムジンがあり、千葉以南は君津リムジンが撤退したように需要そのものが薄いです。そして道路事情が悪い千葉ですが、対成田という意味では東関道などを利用したアクセスが便利で、空港周辺の民間駐車場のコストパフォーマンスも手伝って底堅い需要があるわけです。

その他は「鉄道の町」もなくちょっとさびしいですね。大夕張のルモェありますが、実は昨年7月に訪問しているだけに、今年中にも付け替え道路が完成して旧道化する区間が通れなくなるという情報には驚きです。まあ試験湛水が始まると汀線の下になるから当然ですが。

最後に今月のリバイバル、急行「桜島・高千穂」ですが、寝台特急ですら絶滅しようとする現代から見たら何とも大時代的な列車です。で、内容ではなくあれっと思ったのが、プロローグで意味深に振った一通の手紙の謎解きが書いてあったこと。1974年の本誌掲載時は知りませんが、1982年に刊行された別冊「リバイバル列車追跡(6)」でも謎解きはされておらず、37年(別冊からだと29年)も引っ張っておいてこんなつまらないオチとは思いませんでした。

このリバイバル、確かに「一部加筆修正」とあるように、細かい修正があります。
まあャ潟eィカルコレクトの類がほとんどですが、時代の変化により書かない方が、というケースが増えているようです。2011年2月号に再掲された客車乗り継ぎルモ焉A最終ランナーの「はやたま」崩れの南紀夜行天王寺行きで、土曜未明の和歌山で遊び帰りの人が乗り込むシーン、週末の夜に和歌山まで繰り出すのに「こだわりがある」としていますが、原典の1984年刊行の別冊では「それなりの価値がある」となっており、わざわざ「若い読者諸君は...なぜと思うかもしれないが」とあるように、原典ではアロチ(まさか天王新地もか?)あたりでの「お遊び」を意識していたのをぼかしてます。

この手の「配慮」も時々であり、2012年1月号の824列車のルメi1982年別冊)の再掲では、後にエロ系の単行本に無断引用された客車内での抱擁シーンの話や、城崎からやとなさんが乗って来るといった話がそのまま載ってます。ちなみに後者がなぜ?と思うでしょうが、「やとな」は雇われ仲居の略で、城崎は純粋な意味でしょうが、地域によってはいわゆる枕月メを意味することもある微妙な表現ですが、そのままでしたね。
(余談ですが、ルモネどの記事で温泉が出てくる際、「歓楽色が強い」というお決まりの表現もこの手の「配慮」ですね)