原発事故以降、原発の再起動が事実上不可能になっている中、法定の定検入りにより稼働を停止することで事実上の「脱原発」状態になっていますが、あれほど喧伝された電力不足、ブラックアウトが生じないことからやっぱり原発は不要、と信じる人があまりにも多いです。
要は採算を度外視した電源確保がそれを可能にしているだけであり、本来商業ベースに乗らない可能性の高い小規模発電施設を増設したり、高い原材料を購入して既存の火力発電をフル稼働しているという「異常事態」が恒常化しているだけです。
足元の状況は火力発電に無理な負荷がかかりすぎであり、本来負荷を軽減する時期も設けての稼働率で保全計画や寿命を設計しているのが大きく狂っていることで、今後どのような事象が発生するのか。過負荷による設備トラブルが懸念されますが、電源の喪失ならまだしも、外部に影響を与えるような「事故」にならない保証もないのです。
PPSがあるじゃないか、という声もありますが、既存発電事業者とは比べ物にならない発電規模です。取り敢えず手を上げた先行者は「東電は使ってません、キリッ」と涼しい顔をしていますが、みんなが東電以外を選択することは不可能ですし、それでもPPSというのなら、取り合いになり、市場原理が働き高コストになります。
足元の状況一番深刻というか、現実逃避に見える動きなのが東電の値上げ問題をめぐる「公共や市民の正義の声」でしょう。日本が原油、LNGを手当たり次第買わざるを得ない、という状況で、猫でも相場で儲けられるような一本調子の買い上がりをしているわけで、原材料費が何割、何倍の単位で上昇しているわけです。
そうなれば販売価格が上がることは子供でもわかる話ですが、それを受け入れようとしないのです。
事故を起こした東電が値上げなど言語道断、という「正義感」で暴騰した原材料費をカバーできるのなら経済革命の域なんですが、東京都の副知事をはじめ、簡単な算数も出来ないようです。
もちろん人件費などの削り代の問題はありますが、基本は大幅な値上げは不可避である、それが「脱原発」の最低限の前提である、という現実です。
現実逃避の「ケシカラン」論ですが、反原発派にとってもコストアップという現実から目を逸らさせることができるということで都合が良いようで、メディアもそうした流れに乗っていますね。
ついでに言えば、すぐ値上げを持ち出すと言うのも総括原価方式が悪い、という「経済テツ」のような聞きかじりの批判もどうでしょうか。
本来民間企業の営業行為は、企業が自由に価格を設定できることが基本です。それが出来ないのは統制経済であり、我が国の体制に本来相容れないものです。電力会社が総括原価方式を採用しているのは、独占を認める代わりの統制であり、もし総括原価方式がケシカランというのであれば、自由競争にしないと筋が通りませんが、そうなるとPPSを吹き飛ばすような自然独占の帰結が目に見えており、より高い料金を飲まされるのが経済原則です。
原価の内訳がどうのという声もありますが、みなさんが普段購入している企業の製品やサービスの対価が純粋な原材料と製造コストだけだと思ってないでしょうね。広告宣伝費や交際費の類もみんな入ってますが、それがケシカラン、というのであれば、あまりにも世間知らずですし、正義の名を借りた「不当な値下げ要求」と言えます。
もちろん企業が業績悪化により人件費や一般管理費、間接費を削減するように、東電など電力会社も相当身を削る必要がありますが、大本の原材料費高騰という部分を無視して値上げが回避できるような口調での批判は、アジテーションに等しいものです。
値上げを圧縮したいのなら、電力消費を削ると言う王道がまずありきです。
料金高騰か、電力不足か。脱原発を唱えるのであれば、そのどちらかを受け入れないと成立しない現実をこの期に及んで逃避する「駝鳥の平和」の現状は、パンと見世物で現実を逃避してきたローマを思い出させるものであり、滅びゆく老大国として行く末すら二重写しになります。
要は採算を度外視した電源確保がそれを可能にしているだけであり、本来商業ベースに乗らない可能性の高い小規模発電施設を増設したり、高い原材料を購入して既存の火力発電をフル稼働しているという「異常事態」が恒常化しているだけです。
足元の状況は火力発電に無理な負荷がかかりすぎであり、本来負荷を軽減する時期も設けての稼働率で保全計画や寿命を設計しているのが大きく狂っていることで、今後どのような事象が発生するのか。過負荷による設備トラブルが懸念されますが、電源の喪失ならまだしも、外部に影響を与えるような「事故」にならない保証もないのです。
PPSがあるじゃないか、という声もありますが、既存発電事業者とは比べ物にならない発電規模です。取り敢えず手を上げた先行者は「東電は使ってません、キリッ」と涼しい顔をしていますが、みんなが東電以外を選択することは不可能ですし、それでもPPSというのなら、取り合いになり、市場原理が働き高コストになります。
足元の状況一番深刻というか、現実逃避に見える動きなのが東電の値上げ問題をめぐる「公共や市民の正義の声」でしょう。日本が原油、LNGを手当たり次第買わざるを得ない、という状況で、猫でも相場で儲けられるような一本調子の買い上がりをしているわけで、原材料費が何割、何倍の単位で上昇しているわけです。
そうなれば販売価格が上がることは子供でもわかる話ですが、それを受け入れようとしないのです。
事故を起こした東電が値上げなど言語道断、という「正義感」で暴騰した原材料費をカバーできるのなら経済革命の域なんですが、東京都の副知事をはじめ、簡単な算数も出来ないようです。
もちろん人件費などの削り代の問題はありますが、基本は大幅な値上げは不可避である、それが「脱原発」の最低限の前提である、という現実です。
現実逃避の「ケシカラン」論ですが、反原発派にとってもコストアップという現実から目を逸らさせることができるということで都合が良いようで、メディアもそうした流れに乗っていますね。
ついでに言えば、すぐ値上げを持ち出すと言うのも総括原価方式が悪い、という「経済テツ」のような聞きかじりの批判もどうでしょうか。
本来民間企業の営業行為は、企業が自由に価格を設定できることが基本です。それが出来ないのは統制経済であり、我が国の体制に本来相容れないものです。電力会社が総括原価方式を採用しているのは、独占を認める代わりの統制であり、もし総括原価方式がケシカランというのであれば、自由競争にしないと筋が通りませんが、そうなるとPPSを吹き飛ばすような自然独占の帰結が目に見えており、より高い料金を飲まされるのが経済原則です。
原価の内訳がどうのという声もありますが、みなさんが普段購入している企業の製品やサービスの対価が純粋な原材料と製造コストだけだと思ってないでしょうね。広告宣伝費や交際費の類もみんな入ってますが、それがケシカラン、というのであれば、あまりにも世間知らずですし、正義の名を借りた「不当な値下げ要求」と言えます。
もちろん企業が業績悪化により人件費や一般管理費、間接費を削減するように、東電など電力会社も相当身を削る必要がありますが、大本の原材料費高騰という部分を無視して値上げが回避できるような口調での批判は、アジテーションに等しいものです。
値上げを圧縮したいのなら、電力消費を削ると言う王道がまずありきです。
料金高騰か、電力不足か。脱原発を唱えるのであれば、そのどちらかを受け入れないと成立しない現実をこの期に及んで逃避する「駝鳥の平和」の現状は、パンと見世物で現実を逃避してきたローマを思い出させるものであり、滅びゆく老大国として行く末すら二重写しになります。