Straphangers’ Room2022

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人の振り見て...

2015-06-29 00:52:00 | 時事
「人の振り見て我が振り直せ」とは良くぞ言ったものです。
例の「報道圧力」の問題ですが、自民党内でも強い批判が出ているというのに、まだ問題がわかっていないと言うか、事の相対化で誤魔化そうとする動きが目に付きます。

批判されているメディア側にも問題が、とか、言論の自由がある、とか、相手にも非があるだの、自分たちにも自由があるだのと、もっともらしく思っているんでしょうが、既にそういう言い訳をするたびに信頼を失う状況です。

俎上に上がっているメディアに問題が無いとはいいませんし、日頃の報道姿勢には強い疑念を持っていますが、「権力者」とそれを前にしての講演で「報道規制」「圧力」を公言してはいけません。言論には言論で。民主主義、自由主義の大前提です。

「報道の自由」を掲げるメディアを批判するからには、それなりのお作法や理論武装が必要であり、ブーメランにならないような配慮が必要です。いわば「人の振り見て」の世界でもあるのですが、今回のそれは「相手がやっているのだから」「向こうだって」という大阪のオバちゃん論理であり、それで自分たちの暴論が正当化されることは無いというのに、無関係なものを持ち出すのはそれこそ反政府勢力と同じアナのムジナです。

今回の暴論は、時の権力者が気に入らないメディアに圧力をかける、という一般論として捉えないといけない話であり、そう考えれば左右問わず我が事と認識する必要があります。その意味で、自分たちとベクトルが一致する時だけ適用される、と思い込んでいるとしか考えられない当事者や擁護者は非常に認識が甘いわけで、自由を守るために先人が払った犠牲を忘れ、自由は元からそこにある、という甘えた発想でしょう。

そう考えた時、今回の件で一番無様だった国士様御用達新聞は、社説に取り上げることもなく、いわばスルーだったというところに、救いようの無いものを感じます。唯一「産経抄」が若干諌めたくらいですが、それとて国会での議論全体に相対化しているわけで、同じ保守系としても読売とのスタンスの違いは明白です。

さらにいえば、件の作家は事態が大事になった後に大阪府内で講演をして、その席上で沖縄2紙を含むメディア批判を繰り返したそうです。
ブログで「冗談」といったのは単なるメ[ズどころか、「大嘘」だったわけですが、その卑劣な姿勢を批判するでもなく作家の主張を垂れ流す紙面をどういうつもりで作っているのでしょうか。


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