Straphangers’ Room2022

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反共という名目での同床異夢の清算を

2022-08-30 21:27:13 | 時事
「国葬」の問題、論点はただ、臣下で国葬で送るに足る業績があったのか、またそれを台無しにするような不行跡は無かったのか、という話です。金額の多寡ではないですし、「国葬」であれば国として(公共として)半旗や場合によっては黙祷など弔意を示すのは当然であり、その意味で足下反対論をぶつ野党や評論家、ネットのポータルに巣食う自意識だけは評論家の面々は全く的外れな批判をしています。

例の(元)統一教会の問題はマイナス評価として評価を減殺する不行跡の項目になりますが、そもそも業績自体が怪しいわけです。今更ですが「国葬」を取り下げるか、今後の首相経験者の死に当たって総て「国葬」にするしかないですね。後者はあまりにも杜撰で過去の国葬対象者に対して失礼極まりますから前者でしょう。綸言汗の如しと首相や周辺は考えているかもしれませんが、首相は「綸言」というような君主ではないですから、朝令暮改でもない限り過ちは正すべきです。まあ落としどころというか形づくりとして、遺族に「国葬」を遠慮してもらい、政府はそれを受けて「国葬」にはしない、という流れになります。

「国葬」に対する国民の支持(不支持)が決定的になってしまったのはやはり統一教会の問題ですが、ここまで来ると旗幟を鮮明にしないと政権が持たないでしょう。まあ勝共連合という存在が話をややこしくしているわけで、旧ソ連や大陸中国とそれの影響を受けての共産化の脅威というのは今から見ると想像もつかないほど深刻だっただけに、宗教団体との付き合いではなく、反共としての「同志」としての付き合いだったわけです。統一教会を正当化するわけじゃないですが、1970年代中盤はインドシナ半島で続々と共産勢力による「統一」や「奪取」が続き、これは1980年代に入ってからですが、例の「不沈空母」発言が飛び出すような緊張感もあったわけです。

このあたりは保守系とされる勢力、議員のみならず評論家、文化人、そしてメディアと、反共として統一教会系の組織と親交があったわけです。保守系総合雑誌は今のネトウヨ雑誌が足下にも及ばないようなレベルの高い内容でしたが、「世界日報」との接点というよりも積極的に評価していたわけで、革新(左翼)系メディアとして「朝日、毎日、東京」とし、保守系メディアとして「読売、サンケイ、世界日報」と並べていた論者も少なくありませんでした。

まあ都内の街角の「代金を入れてお取りください」式の青い販売箱でしか買えないような新聞がそこまでご立派なのか、という疑問は率直に抱きましたが、当時は宗教団体との関係というよりも贔屓の引き倒し的な持ち上げを感じ取ったのが正直なところです。そもそも韓国のキリスト教系宗教団体がなぜ日本の保守層と組んでいるのか、という疑問もありましたし。

統一教会が一般的に警戒されるようになったのは、大学生や子女が大学生の親御さんが「原理研にご注意」というビラを目にするようになったあたりでしょうか。左翼系、というより極左セクト系が牛耳っていた自治会など学生団体に対抗する保守系勢力、のはずが、統一教会の教義を広めることが専らの「原理研究会」が各大学で問題になったわけです。セクトの言いがかり、という反論もありましたが、さすがに誰が見てもおかしくね、という状況で、1980年代後半にはセクトと原理に注意、というのが学生の嗜みでしたから。

その意味では原理研、統一教会、世界日報、勝共連合というのは広く知られた「一族」だったはずで、足下政治家が総じて「知りませんでした」と繰り返すのは、若手議員を別にすれば50代以上の議員で「知らぬ存ぜぬ」はあり得ない話で、誤魔化しにも程がある、話にならない言い逃れです。もし本当だとすると、よほど世間と隔絶して学生生活を送っていたとしか言えません。

当時は霊感商法というよりも「洗脳」による学生の取り込みと「活動家」化が深刻だったわけで、その意味では1990年代に親を、子を取り戻すといった活動のターゲットと同じであり、やっていることは同じです。そこに「霊感商法」が加わり信者と家族の生活を経済的に破壊するという、およそ宗教としてあるまじき活動が前面に立ちましたが、これも人よりはモノ・カネの方が批判も少なかろうということなんでしょうね。統一教会が傾注する以前からこの手の「親の因果が子に報い」的な商法はありましたから、変な意味で「お馴染み」の悪徳商法ともいえますし。

1990年代にメディアの批判を浴び、テレビでも多数取り上げれたことがありましたが、メディアとしてもここは事実を詳らかにする必要がありますが、追及はフェードアウトしました。結局報道されなければ事件ではない、ということで悲劇は今もなお続いていたわけですが、今回の追及が今後どのような着地点を目指すのかが問われます。

そのような状況下で未だに空気が読めないというか、「お付き合い」を肯定する声があるのはもう何をかいわんやです。
ここまで来てしまうと、信教の自由との兼ね合いで「禁止」は出来ないが、与党として「絶縁」を宣言しないと収まらないでしょう。ただ一方で政権与党に宗教系政党である公明がいるわけで、ストリクトに対応すると公明の問題がいずれ噴出するだけに、中途半端な対応がパンドラの箱を開けてしまった格好です。それに肝を冷やしている人もいるでしょうが、正直多くの自民党支持者はそれを望んでいるのではないでしょうか。今回の件も、「宗教に甘い」という批判として支持者の批判を招いている面があるでしょうし。



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