Straphangers’ Room2022

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自由を弄ぶことで得られるものは

2018-09-29 12:33:00 | 時事
LGBTに関する議員の「論文」とその擁護特集を掲載した雑誌が事実上の廃刊に追い込まれました。
まさかの展開に、あれは赤字雑誌を切るための口実、とか言論として保護される対象に非ず、とか必死になって取り繕うのも苦笑するしかないのですが、「言論、出版の自由」の欠片すらない世界から見たら贅沢な議論であり、かつ権利だなんだと謳いながら「自由」を否定するという矛盾する行動には、自分のお気に入りはOK、というダブスタが最も醜悪な形で出た格好です。

自分の嫌いなものでも「自由」はある。それを「適正に」規制することは不可能であり、「適正」は必ず恣意が入る、ということを理解しているのか。言論には言論で。その大原則すら守れないで、それが当然とする風潮は非常に危険です。
批判としてあるべき姿は、当該雑誌の特集を厳しく批判する論文を発表する(舞台を提供してくれる雑誌はいくらでもあるでしょう)、あるいは当該雑誌に反論特集、あるいは討議特集を要求する。言論での対抗を否定するのであれば、それは「自由」の否定であり、出版社側の認識が厳しく問われる事態です。

しかしそれがないままに廃刊になった。現実には「言論」で対抗する気はさらさらなく、抗議活動や落書きといった犯罪行為に走ったわけで、もしこれが抗議者のお気に入りの議論がそうした矢面に立ったら全力で「言論の自由ガー」と泣き叫ぶのは容易に想像できるわけで、「自由」を弄んだ罪は大きいです。

我が国においては過去にもこういう抗議活動や流通締め付けによる廃刊、あるいは謝罪という「言論、出版の自由」を大きく損なう事例が何件かありますが、自由がない国から見たら贅沢な議論を楽しむ余裕がある国だけあって、自由の根源を犯すような事態への完成がマヒしている、、いや、気づいていないかもしれず、非常に憂慮すべき事態です。

また本来戦わせるべき、検討すべき議論が置き去りになったばかりか、抗議とその帰結としての廃刊という結果を通じて、議論そのものを忌避する、タブー視することになる懸念があります。
少なくともあの特集の中では、政治運動化したという指摘と、行政が事なかれ主義で推進の旗を振っている、という指摘は重要であり、当の本人が主張し、大きな批判を浴びた「生産性」にしても、学会で不妊治療に関して「妊娠率」「生産率」という概念があるわけで、字面だけで否定する話ではありません。

ついでに言うと、持論でもありますが、「生産性がない」というのは子孫を残す、という生殖の面では全く正当であり、社会保障、介護その他で次世代の支援を前提にしている制度設計を我が国が取っている以上、「生産性」は重要な概念であり、不妊治療や子育てへの支援がまずあるべし、とした議員の主張は極めて穏当なものでしょう。
不妊治療その他で「産めない」という人への配慮にしても、「生産性がない」とする対象は「産まない」と明らかに使い分けており、その前提での批判は今回のような醜悪な抗議ではなく、正面から応えるべきです。

実際にはそこが最大の問題であり、だから先日の日テレ系のニュースZEROでは養子縁組等で子育てをしているLGBTを取り上げていたのでしょう。それでも誰かが「生産」した子供の育児であり、基本になる出産は不可能です。あの番組はタレントをキャスターに起用して為にする意見を述べさせるという世論誘導を行う重大な問題があり、その回でも感想を装い明らかに原稿を読んでいたわけですが、そういう小細工までするのはなぜなのか。これも雑誌で指摘された活動の政治運動化と並んで検証すべき問題です。

ちなみに、そもそも家族という単位にこだわるのはなぜか。事実婚ではなく法律上の地位が得たいのはなぜか。
逆に言うと法律上、経済上様々な優遇(義務もありますが)が得られるのはなぜなのか。日本国憲法では個人を尊重し、イエ制度を否定しているはずですが、リベラル、護憲派がこの問題で矛盾してるのに気づいていないのか。
結局「出産、育児」でしょう。産み育てる環境として家族という単位を残した。不妊その他の問題はありますが、そこで合理的な線引きができないから異性間のみ認めた。婚姻が成人ではなく生殖能力を意識した男18歳、女16歳を下限としているのもその証左でしょう。

じゃあ同性異性を問わずパートナーにも、というと、そうした優遇(義務)をパートナーがいる人だけに与えるのか。
パートナーはいらないという自由はないのか。ネットスラングで言えば、「リア充」のみ市民権がある、というのか。
個人主義をやジェンダーフリーを主張してきたリベラルや護憲派が、なぜか因循姑息の象徴のような「家族」にこだわるのか。合理的な理由を示したうえでの反論があれば議論は深まったはずですが、そうならなかったところにこの問題の底が見えます。





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