Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

空論を弄する学識経験者

2012-04-24 22:28:00 | 時事
政府の需給検証委員会が23日にあり、各電力会社から提出された需給の見通しが報告されました。
関電の16.3%を筆頭に、北電と九電の都合3社が不足するとしていますが、大飯の再稼動が焦点の関電管内の数字には早速反原発勢力が噛み付いています。

特にひどかったのはやっぱりというかの報道ステーションで、「ぼくのかんがえたせつでん」レベルですが、そもそもの委員会自体が何を考えているのか分からない、というか話にならないスタンスで電力会社を「糾弾」していては論外です。

そもそも昨夏に電力が足りたのは企業、家庭を挙げての節電努力であり、また、コストとメンテナンスを度外視した発電能力の増強でした。ですから昨夏の「実績」は絶対に参考にしてはならないはずであり、自然体での電力需給を計算しないといけないはずです。そして今夏は出来る範囲で、というのがコンセンサスだったはずです。

ところが蓋を開けてみると関電の節電織り込みが足りない、ときました。東電並みにすれば、とか言いますが、節電効果を最大限織り込むということがどういう前提なのか。本来はそうした前提で「足りる」としてきた電力会社に対して、無理な織り込みをしていないか、経済活動、市民生活へのマイナス影響はないのかを検証して、妥当といえる規模での節電効果を織り込むべきですが、全然違ったわけです。

昨夏の対応をもう忘れたのでしょうか。平日日中のピークカットのために早出などの時間シフトや休日操業への曜日シフト。非効率な生産体制に、従業員は家族ぐるみで生活リズムがずたずたにされました。トヨタの労組が今夏は昨夏のような対応はしない、と断言しているように、これを恒常化することは許されないといえるレベルです。

報道ステーションはそうした産業界に媚を売るように、工場の節電は無理だから、としてましたが、では事務所などや家庭の節電での対応で何とかなるというのは全く現場が見えていません。
工場だけ緩和しても、それだけで経済活動にはなりません。オフィスでの節電だって生産性が大きく下がります。商業施設にしても売上が落ちればそれだけ経済が落ち込むわけで、燃料費の高騰と生産性低下による収益減少のダブルパンチが節電の効果として現れます。

検証委のメンバーを見て呆れたのが、アカデミズムとコンサルですか。実務者、生活者、生産者の代表は誰もいない状態で、純粋に需給バランスを判断するのではなく、「節電の積み上げが」と判断するのですから恐れ入ります。アカデミズムが数字で出来ることは需給バランスの計算までであり、あのやり取りを見れば、見積りの根拠を判断する能力はないと断言できます。

昨年は冷夏だったから、という批判を交わすべく検証委も報ステも一昨年のデータを持ち出してきましたが、東電のピークは7月23日、確かに大手町の最高気温が35.7度で湿度65%はひどく暑かった一日でしたが、そもそも関東と関西の暑さの質が違うとは誰もが言っている話であり、そのまま適用できるのかどうか。この年、大阪の気温と比較すると、特にお盆前後から大阪の気温は連日東京より2、3度高い35度超の毎日だったわけで、前提そのものがおかしいわけです。

報ステも検証委も、昨夏レベルの節電を前提にしている上に、さらに話にならないのは、同じ電源をダブル、トリプルカウントしているわけです。
要は融通と自家発電。融通は同じ余裕を各社がカウントしていますよね。同時にトラブルとかがあって不足する電力会社が複数出てきたら対応できるのか。
自家発電も節電と裏表の関係です。電力会社からの購入を手控えて自家発電で賄うというケースで、節電効果と自家発電の両方を織り込むのはダブルカウントです。

実務も生活も知らずに需給の見積りをするばかりか、計算すら出来ないのか、と言いたくなる状況であり、報ステを見ていた家人も呆れていました。中小規模の自家発電の能力と問題点くらい、事業所のパートのおばちゃんでも知っている話ですが、それを単純積算で使えると言い切るのですから。

それにしてもこういう時に招集される「有識者」「学識経験者」なる人士とは一体なんなのか。
はっきり言ってしまえば、「世間知らずの空論」であり、選挙による国民の負託を受けてもいないのにそれが政策を動かすのですから一番たちが悪い話です。

そういうと、専門家、プロへ素人が何を言うか、という批判が山のように来るわけですが、少なくとも生活や経済活動に踏み込むような時に、生活者や経済界から疑問が呈されるようなレベルであれば、それは「世間知らず」であり、ゆえにこの手の「有識者」「学識経験者」が国民から信頼されていないと知るべきでしょう。

国民生活や経済活動に踏み込むのであれば、まずは発電コストの議論も必要です。燃料が無いなら札束を燃やせばカロリーは得られますが、そんな馬鹿なことをする人はいません。
しかし足下の電力確保は限りなくそれに近い状況であり、そんな高い電力を供給されてもどうコストを負担するのか、というレベルなのです。

生活に占める光熱費の上昇ならまだしも、産業界で原価に直接響くことを考えたら「商売上がったり」でしょう。要は一定のコスト以上で確保しても、それは無いに等しいのです。
こうした重要な変数を無視した議論でもある今回の需給見通し、それで「足りる」と大はしゃぎしている姿は、まさに「集団自殺」へ誘うハーメルンの笛吹きといえます。