1990年代のバブル経済崩壊後の立て直しでは、金融業界の生ぬるい「護送船団方式」が大きく批判されて、業界の既得権保護が問題とされた。
それには「人の安全性に関わるような分野では規制が必要」だが、経済的な規制は有害だから、原則自由の方向に転換すべきだとの「自由主義信奉」が台頭した。
市場経済の競争を重視して「経営的に合理性のある企業が競争で勝ち抜き」、負ける企業が退場するのが「資本主義経済の原理」に沿っている。
合理的な経営者によって、勝ち残った企業だけで市場競争を続けていけば、「経済は成長して国民は恩恵を受けることになる」との新自由主義経済論だ。
成果はご承知のとうり、経済成長は鈍化した上に、所得格差は急速に拡大して、一般の働く人の給与が相対的に低下している。
しかし、上位1割の富裕層の所得が増えているので、総合した経済成長率は、鈍化したとはいえプラスで成長を続けていた。
見かけ上の「GDP国民総生産」の数字がプラスであれば、経済政策は成果を上げていると宣う人は、よほどおめでたい人であろう。
9割の人が生活に不安感を覚えて、将来の希望が持てない社会は【病んでいる経済社会】と言わざるを得ない。
新自由主義経済論による経済政策は「明らかに誤りであった」と反省するべきだ。
では、どこから社会制度を転換すべきなのであろうか。
規制緩和と「価格競争至上主義」を、まずは一番はじめの転換政策にするべきだ。
「経済的な規制は有害だから原則自由の方向に」の掛け声は、デフレ経済への道をすすむ「誤った経済論である。
業界保護のような「既得権構造」を守る規制は大幅に廃止すべきであるが、『働く人の雇用を守り、給与水準を高める』ための規制は、必須の社会安定装置である。
「最低保障賃金」の制度は「近代社会のセーフティネット」であるが、この水準を高めていく配慮が歴代政権にほとんどなかった。
生活保護水準ギリギリか、それ以下にするような「見苦しい状況」に放置した。
民主党政権では、「政権公約に掲げながら、実行力が欠けていた」惨めさだ。
自民党政権では、産業界の言い分ばかり聞いたりしたが、給与水準を引き上げることを怠たり、デフレの進行に加担する愚策ばかりを優先した。
とくに「人を臨時雇用的に道具扱いする「非正規社員」の枠を広げて、「最大の愚策を増強」させて【企業エゴを増長させて】しまったのだ。
安倍政権は経済活性化を最優先と言いながら、3年間も放置してから、やっと「非正規社員」の理不尽な給与差別の問題に、取り組まざるを得ない羽目になった。
今回も「出羽守の出番」のようで、欧米ではの議論から始めるようである。(続)