いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

合鍵 (第24編)

2005年07月20日 08時23分24秒 | 娘のエッセイ
 『女は、それを手にした時、男が自分にすべてを許してくれたと思う。けれど、
それは錯覚だ。しかし、その錯覚は甘美なものだ』

 ここでいう『それ』とは、男(恋人もしくは愛人)の部屋の鍵のことである。
ひとり暮らしの男とつきあった場合、ほとんどの女は、その部屋の合鍵を渡される
ことを切に願う。

 合鍵は、その男の部屋にいつでも出入りできる自由を与えてくれると共に、
”自分がその男の一番身近にいる女なのだ”という安心感をもたらしてくれる。

だから女は、男から合鍵を渡されると、とても幸せな気持ちになれるのだ。私も
何度、男達から合鍵をもらったことだろう。その鍵は、私の手の中でキラキラと
黄金色に輝いていた。

その輝きの陰にはさまざまな面倒なことが絡み付いていたというのに、当時、私
はそのことについてまったく気が付かなかった。

 そう、鍵を受け取ったあとに私を待っていたものは、ただの日常の雑事だった。
会社帰りに買い物をし、合鍵で部屋に入る。夕食の準備をし、時間があまると

洗濯物をたたみ、掃除する。そしてふたりで食事して、洗い物。そんな毎日に、
いつしか私はクタクタに疲れ果てていた。

「私は、あなたの家政婦じゃないっ!」

「家政婦扱いなんか、していないだろっ!」

そんな言い争いを何度したことか。結局、ふたりの間に訪れたものは『別れ』
だった。

 ところで、私の友人のひとりは、結婚の必要性を男に意識させるために、部屋
に行っても家事は絶対にしないという。彼女にとって、合鍵はただの「うっとお
しいだけのモノ」なのかもしれない。そんな彼女が「お帰りなさい」のキスの優し
さを知るのは、いつだろうか。

 今日もどこかで、合鍵を渡された女達は、幸せそうに微笑んでいるに違いない。
それがふたりのはかない関係の末に訪れる”思い出の箱”の鍵にすぎないという
ことも知らないままに……。



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