いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

今日という日 (第25編)

2005年07月21日 08時44分53秒 | 娘のエッセイ
 私はその日、知り合ってまだ半年ほどの友人に、お金を貸す約束をしていた。
数日前に会って、その時に今日のことを約束したのだが、その当日になっても

まだ、私は迷っていた。『貸していいものだろうか?』と。なぜって、お金を貸
すときには、「あげた」と思って貸さなければならないものだから。しかも、そ
の額は小さくはなく、私の月給の半分近い額だったから。

 けれど8時40分に待ち合わせ場所に現れた彼は、とてもせわしなくて、ゆっく
り私の気持ちを説明する時間さえ与えてくれなかった。

 理由のひとつは、彼の職場関係の人と彼が待ち合わせをしていたこと。もうひ
とつの理由は、彼のお母さんが入院していて、病院にいく為に、8時54分○○発

の電車に乗りたかったこと。『時間が無いから』と言い続ける彼と、迷い続ける
私。彼の言葉も空回りし、ふたりの会話は平行線のままだった。

 何の形も残さない、ただ信用だけで貸すということ、それは私しにとってあま
りにも不安が多すぎた。それなのに、時計に何度も目を走らす彼に私は、とう
とう、きつい言葉を投げつけてしまった。

 「54分の電車と、私から8万円のお金を借りることと、どっちが大事なの
よ!」間髪いれず、予想外の言葉が戻ってきた。

 「5万や10万でお袋を見捨てられるかよ!」思いもよらない口調に、私は、はっ
として一瞬言葉を失った。

そしてその数十秒後、私は彼に銀行の封筒を渡していた。
そのあと、ふたりで駅に向かって少しだけ一緒に歩き、彼は私の前から走り去っ
て行った。

 彼の後を追わず、私はゆっくりと自分の行くべきホームへ行った。電車に乗って
シートに腰掛けた時、私は初めて冷静になった。『もし、彼が間に合わなかったら
どうしょう』そんなことを考えていたら、目の前が霞んできた。

 だから、仕方なく私は駅につくまでずっと車両内の中吊り広告を擬視し続け
ていた。



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