(山11)山田教授の理論には、師・坂田昌一の、クォークは階層の一つに過ぎず、さらにその下部構造が無限に存在するという物質の「無限階層論」を彷彿をさせるものがある。これを応用すれば、阿頼耶識やマナ識から受動的に意識が生まれ、その表れを自由意志と呼んでいると整理できるだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月30日 - 19:06
(山12)すると自由意志とは外部からの刺激を受動した身体がどう反応するのかのこと、すなわち個性だと言い換えることができるのではないか?そうすれば自由意志はブラウン運動と同様、物理的範疇に収まる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月30日 - 19:07
(山13)山田教授は魂について否定的な立場を取っていたが、アリストテレスのポリティカとは「部分が全体を現わすことにおいて部分であるという点を強調したもの」すなわち社会倫理であり、これが魂だと考えれば、アリストテレスの形相やホフスタッターの魂と上手くブリッジできると思った。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月30日 - 19:07
以上、連続ツイート「山田廣成教授の『対話原理小論 : 感性にもとづく量子力学の解釈と新しい自然観』を読んで考えたこと」でした。量子力学や生命について興味のある方、ぜひ一読を強くお勧めします。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年8月30日 - 19:08