Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

沖縄良いとこ一度はおいで

2009-03-12 09:13:44 | Weblog
沖縄では、泡盛ばかり飲んでいた様な記憶がある。

パーティが好きで飲んでいた、というよりも、アーティスト達とは、泡盛を飲みながらでも話しをしないと埒が明かない、という事が多すぎた。ほぼ毎日、飲んでいて、泡盛漬けになってしまった様だ。おかげ様で、沖縄のディープな部分が大分垣間見える様になって来た気がする。

仕事に追われていて、沖縄に来たと言うのに、全く観光ができていない、と少しだけぼやくと、美術館の謝花さんが民謡酒場へと、そして空港へと向かう私を、アーティストの山城知佳子さんが、ヤハラヅカサのウタキへと案内してくれた。

民謡坂場では、沖縄民謡の第一人者である上原正吉さんと「てぃんさぐぬ花」を一緒に歌うご名誉を授かることができ、光栄だった。そして、ヤハラヅカサのウタキでは、神域そのものである百名のビーチを歩いて、リフレッシュできた。ウタキの一部を見た時、写真に撮りたい、という衝動に駆られたのだが、これを衝動にまかせて撮影してしまったのか岡本太郎だったのだろう、なんて思った。


展示準備に追われている中、こんな夢を見た --

松澤宥さんの15mの垂れ幕型の作品「人類よ消滅しよう」を、どうやってインストールしようかと悩んでいた。天井から設置するには、天井が高すぎて設置できず、方法が見つからなかった。

私が、「じゃあ、バルーンを付けて、空間に飛ばそう」と提案し、美術館の内部の吹き抜け空間に作品を飛ばすことに。とても上手く行って、綺麗に設置することができた。

「せっかく、天気も良いのだから、美術館の外にも出そう」

そう私は提案すると、垂れ幕を持ったまま、屋外へと飛び出した。沖縄県立美術館の前、おもろまちの空に、「人類よ消滅しよう」の垂れ幕が、綺麗に浮かんだ。

しかし、このバルーンの浮力が思った以上に強く、垂れ幕そのものが飛んで行ってしまいそうだ。私は仕方なく、必死で作品を守ろうと、垂れ幕にしがみついた。頑張ったのだが、努力むなしく、垂れ幕を付けたバルーンは、私をひきずったまま、飛んでいってしまった。

私を引きずったまま、

「人類よ消滅しよう」

の垂れ幕が、沖縄の青い空を飛ぶイメージが、多くの人に目撃されたらしい。

・・・

今の私を象徴したかの様な、フロイト兄さんに相談してみたくなる様な、鮮明な夢だった。

--

おとといの深夜、仕事の関係で東京へと移動する。昨日の朝、ひとつ仕事をこなしていたら、無性にカレーが食べたくなり、そのまま私の好きな新宿御苑近くのカレー屋「草枕」へと向かう。普段使わない東新宿の駅の階段を歩いていると、向こうから知っている人が歩いて来る。オーストリア出身のキュレーター、Walter Seidlだ。そういえば、今週東京に来る、とは聞いていたが、まさかこんな形で会うとは。東京に着いてから一人も知り合いにすら会っていないのに、彼とすれ違うとは、奇跡的な確率だったと思う。

「Walter!」

と声をかけると、向こうもびっくりしていた。それはそうだろう。そのまま、夜に御飯でも食べに行こう、ということになり、赤坂サカスにてご飯をご一緒する。不思議な、楽しい夜だった。

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3 コメント

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沖縄 (下田晃平)
2009-03-12 13:33:26
渡辺様。コメントありがとうございます。「Dremar」に関して関心はありましたが、作家が何方であるかは私には関心はありません。その言葉を渡辺様がきいた時どう感じられたかに関心がありました。沖縄と北海道は沖縄に住み沖縄と深く関わっている方々からすれば北海道とは違うと仰ると思われます。同様に北海道にいらっしゃる方も同様に「沖縄は北海道とは違う」と仰るかと感じます。例えば「私は沖縄が好きだ」の様に「私は北海道が好きだ」と云えば、沖縄の学者の方の様に怒られる方はいるのでしょうかと、ふと感じたのです。様々な力学が絡んでいてなかなか純粋に物事を捉える事は困難です。果たして純粋とはどういう事かさえわかりかねます。私は人間がわかりません。知ろうとすればする程わからなくなります。オープニングのお誘いありがとうございます。それは沖縄でしょうか?沖縄にはまだ一部も足を運んだことが無いので、興味はあります。私は沖縄とか北海道とかではなく、人間そのものに関心があります。環境を人間の力で限度はあってもつくり変える事は出来る。けれど風土を変える事は難しい。例えば普遍性というのは、風土や言語や生理等を越えて、或いはどんな状況や状態をも受け止め得る態度や空気をもたらし得るものだと考えた場合、それを見い出す事は出来得るのでしょうか?普遍性とは果たしてどういう事で、実際それを感じ得る事は出来るでしょうか?「アート」というのは人間の究極的な目的だと感じます。ある人が人間は「宇宙の鏡」と言っていましたが、人間が動く事で宇宙の姿を様々に引き出していく。そう言った場合価値とはどれだけ既に引き出されて活かされてきた事ではない何かを引き出していけたかによるのかもしれません。ですが半永久に価値として持続し得る何かを見い出す事は果たして可能なのでしょうか?とも感じたりします。風土は家族の様な支えであると同時に呪縛でもあり、矛盾に満ちたものだと感じます。一筋縄では捉えられません。私は日本人ですが、時々日本人であるという事から解き放たれたいと感じます。ですが日本語で考え日本の東京に住んでいます。限度や矛盾を感じます。正直お金はあまり無いので、安い航空券が手配出来ればと感じています。ですがお誘いは喜んでお受けしたいと思います。宜しくお願いします。下田晃平
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Unknown (下田晃平)
2009-03-14 11:29:48
渡辺様。お誘いにお応ええしたいと思います。沖縄県立近代美術館に伺えばよろしいでしょうか? お会い出来るのをとても楽しみにしています。宜しくお願いします。
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めんそーれ (真也)
2009-03-15 18:21:35
沖縄、いらっしゃるのですね。4月11日がオープニングになります。それでは、会場にてお待ちしております~
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