おとといの夜、関西空港から那覇空港へとフライトする。沖縄入りの回数が増える度、複雑な思いが募って行く。
以前、沖縄出身の学者さんに、
「私は沖縄が好きです」
と言った際、それだけで随分怒られた記憶がある。私は、「沖縄が好きだ、という人に対して、それを批判するのはおかしい」、と随分反論したのだが、沖縄入りの数が増えるにつれて、彼が怒ったのも分かってきた気がする。
深夜のタクシーで、おもろまちにある滞在先に向かうと、カーステレオの中から遠藤賢司の「カレーライス」が流れてきた。沖縄の湿った、生暖かい空気と、エンケンのかすれた声が交差し、私の周りからなかなか離れてくれなかった。
昨日は美術館にてミーティングを行った後、写真家の石川真生さんのご自宅に伺い、展示について丁寧にお話する。展示趣旨をご理解頂いた上で、私の希望する写真をスタジオにて一緒に選ぶ。真生さんが非常に協力的だったので、とても嬉しかった。
その後、作品制作のリサーチをする為、アメリカの軍払下げ品のお店を回って、どんなものがあるのか、見て回る。結論から言うと、何でもあって、びっくりした。マシンガンが(not for sale)のタグと一緒に置いてあって、これ、大丈夫なのかな、なんて思ったり、パラシュートが売っていて、いったい誰が買うのだろう、なんて思った。Dog Tagと言われる、米兵が死んだとしても、身元証明に使われているシルバーのタグを彫るサービスがあったりして、所変わればいろんな商売があるものだなぁ、なんて妙に関心する。
お店の前で、上半身裸のティーンエイジャーの米兵たちが、重低音のステレオの音を聞きながら、ビールを飲んで騒いでいた。これじゃ、地元との軋轢は絶対に無くならないな、そんな風に思った。
以前、沖縄出身の学者さんに、
「私は沖縄が好きです」
と言った際、それだけで随分怒られた記憶がある。私は、「沖縄が好きだ、という人に対して、それを批判するのはおかしい」、と随分反論したのだが、沖縄入りの数が増えるにつれて、彼が怒ったのも分かってきた気がする。
深夜のタクシーで、おもろまちにある滞在先に向かうと、カーステレオの中から遠藤賢司の「カレーライス」が流れてきた。沖縄の湿った、生暖かい空気と、エンケンのかすれた声が交差し、私の周りからなかなか離れてくれなかった。
昨日は美術館にてミーティングを行った後、写真家の石川真生さんのご自宅に伺い、展示について丁寧にお話する。展示趣旨をご理解頂いた上で、私の希望する写真をスタジオにて一緒に選ぶ。真生さんが非常に協力的だったので、とても嬉しかった。
その後、作品制作のリサーチをする為、アメリカの軍払下げ品のお店を回って、どんなものがあるのか、見て回る。結論から言うと、何でもあって、びっくりした。マシンガンが(not for sale)のタグと一緒に置いてあって、これ、大丈夫なのかな、なんて思ったり、パラシュートが売っていて、いったい誰が買うのだろう、なんて思った。Dog Tagと言われる、米兵が死んだとしても、身元証明に使われているシルバーのタグを彫るサービスがあったりして、所変わればいろんな商売があるものだなぁ、なんて妙に関心する。
お店の前で、上半身裸のティーンエイジャーの米兵たちが、重低音のステレオの音を聞きながら、ビールを飲んで騒いでいた。これじゃ、地元との軋轢は絶対に無くならないな、そんな風に思った。
「私が沖縄が好きだ」と発言して、沖縄の学者の方に怒られた事がわかる様な気がしてくるのは、私と沖縄との距離感が無くなって来たからだと思います。以前、その学者さんの関係者とご一緒した際に、「シーミーがあるので、今度沖縄に帰ります」とお話しており、私が「シーミーって何ですか?」と聞くと、その学者さんに、「真也くんは沖縄のことを知らないから」と返されたことがありました。(もちろん、この会話にも多くの複線があるのですが。。。)
当事者である沖縄の方は、(沖縄のことを知らないくせに)「沖縄のことが好きだ」なんて言えるのか、ということがあると思います。沖縄出身の方で、沖縄が好きな人ほど、外部の人で「沖縄のことが好きだ」という人に対して、複雑な感情を抱くと思うのです。
>私は東京に住んでいます。沖縄にはまだ一度も行った事がありません。しかし渡辺様だけでなく違和感も含めて色々な視点で沖縄については語られています。それは米軍基地がありリゾート地でもあり、多層的な背景があるからでしょうか?ですが北海道はどうでしょう?
北海道と沖縄は関係ない、と、私のお付き合いのある沖縄の作家さんは答えるでしょう。それこそ、沖縄を分かってない、と言われてしまうのは目に見えています。それが、沖縄の当事者性の難しさです。
下田晃平さんも、もしもこのテーマに本当に興味があるのでしたら、とりあえず4月11日のオープニング・シンポジウムにいらっしゃいませんか?私が文面にしてもなかなか伝わらないこと、または文章にならないこと、そういった重要なことが分かるのではないか、と思います。