喜界島には天女伝説について歌った「天降り子(あむりがー)」というシマ唄が残っているのだが、喜界島の蒲生集落にある粟島宅に、天女の羽衣が町指定文化財として保管されているらしい。一体どんな素材で出来た羽衣なのか、これは是非とも見て見たい!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 20:16
最近、私の実家である沼津に行きたいという人に出会う機会が多くて、なんだか不思議な気分になる。私が沼津に生を受けたのには、どんな意味があると言うのだろう?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 20:28
私が美しいと思うものと、あなたが美しいと思うものの違いは、何なのだろう?私の中にあなたがいて、あなたの中に私がいるのであれば、双方が美しいと思うものの一致の中にしか、私の中のあなたと、あなたの中の私は存在しないのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 22:27
Twitterをやっていて良かったな、と思えるのは、昔考えていたことに、いつでも振り返ってアクセスできること。こう言うの、本を読んだ直後に書いておいて良かったと、後になって思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 23:26
連続ツイート「白川静『初期万葉論』を読んで考えたこ… twitter.com/i/web/status/1…
私がテンプル大学の戦後美術史の授業で宮崎駿さんについて講義すると、多くの学生が宮崎映画についてレポートを書きたがるのだけれど、底が浅いレポートが多くて閉口してしまうことが多い。これから宮崎監督についてレポートを書く学生には、照葉樹林文化に関する読書を必須にさせようと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 23:33
古事記を読んでいて思うのは、日本文化の古層は、2万年前くらい前に陸続きだったシベリアからマンモスを追って侵入した民と、黒潮に乗って北上した民と、大陸から朝鮮半島を通じて日本列島に渡った民の3つの流れに、照葉樹林文化と言う土地の力が加わっているのではないか、と言うこと。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 23:36
縄文=狩猟・採集文化と、弥生=稲作文化の対立というのは、もう少し精査する必要があると思う。楠という日本の武将の名と関係する木がドイツでKampferbaum(戦いの木)と呼ばれるのは、照葉樹林文化の上に、それとは異質なナラ・ブナ帯の北方系文化の流れが入っているからではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 23:44
中国で唯識仏教が主流にならなかったのは、唯識がインド的抽象を扱うのに対して、より二元論に近い華厳教の方が受け入れ易かったからだろうか?すると華厳経の方がゾロアスター教的かつペルシャ的男性原理が強く、ヨーガの方がインド/ドラヴィダ的かつ女性原理が強いと言えるのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2018年8月29日 - 23:50