Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

ママンから始まる、異邦人とナツメの記憶

2009-12-27 01:33:33 | Weblog
辛美沙さんのお招きで、照屋勇賢さんと一緒に、磯崎新さんのご自宅にてお食事をご一緒して来る。辛さんがスパイスの効いた牡蠣料理をはじめ、感動的な手料理のフルコースをふるまって下さり、おいしいお酒と共に、幸せな一時を過ごすことができた。また、磯崎さんは、私が大変影響を受けた人物の一人だったので、非常に光栄な時間となった。

カミュの話をしながら、アルジェリア産のナツメを美味しく召し上がりながらお話した時間は、恍惚そのものだった。話は多岐に渡り、カザルスからスペインのフランコ政権、モンセラットのブラックマリア、ゲルニカの落書き事件からグラフィティ時代のバスキアとキース・へリング、さらにパラディウムからアレキサンドリアの開発プロジェクトとアルメニアやコーランの話、オタクの都市論から千利休と宮本武蔵の語られ方、さらにはジョイスとアイルランド、アイスランドと唐草模様や文明の伝播まで、本当に幅広い話になった。

個人的には、白村江の戦いを巡る言説や、小沢一郎の役割に関して、かなり意見を共有することができたことだ。自分がこうではないか?と思っていることを、他者と共有し、意見が一致するほど気持ちの良いことはない。

話の中で一番興味深かったことの一つが、デュシャンの「遺作」に関してである。「遺作」に使われているドアが、スペイン南部のダリが住んでいたカダケス地域のアンティークだった、という点である。これは見過ごすことができない、非常に重要なポイントなのではないか。さすが知の巨人、本当に勉強になった。


一つ磯崎さんと話していて、思い出せなかったのが、カミュの異邦人の出だしであった。ママン、という有名な書き出しだったけれど、何だったろうか、と磯崎さんに聞かれて、私も思い出すことができなかった。帰ってきて早速調べてみたら、こんなセリフから始まっているのだった。

Aujourd'hui, maman est morte.
今日ママンが死んだ。

Ou peut-être hier,je ne sais pas.
もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。

異邦人を読んだ学生時代、あまりにも同時代性を感じなかった為、これらのセリフが何を意味しているのか分からないが、文脈だって考えることができる今、非常に示唆的な言葉だな、と思える。

Ralph EllisonのInvisible Manで、南部からやってきた黒人男性が、ハーレムの絶望の淵に立たされながらヤム芋を食べながらいったセリフ、

"'I yam what I am!'"

の様な、「かあちゃーん!」的な魂のどん底の叫びが感じられる。私が学生時代に読んだ本は結局、何一つ理解することができなかったのかもしれない。もっと反芻しなくては。

他にも重要な歴史的な事実について話をすることができたので、その部分に関してはゆっくりと咀嚼しながら理解して行きたい。知的好奇心を満たすことができた、貴重な時間だった。辛さん、磯崎さん、ありがとうございました。

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