自民党が作った安保法案のプロパガンダビデオ「教えて!ヒゲの隊長」
youtube.com/watch?v=0YzSHN…
とそのパロディ「【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた」
youtube.com/watch?v=L9WjGy…
に対するyoutube視聴者の評価が冷静で安心した。
国民国家の単位で世界を捉えることはもう不可能。だからこそ全体を捉える力や、個人や国家の成立を可能にさせている連続性を理解することが重要になる。私のユーラシアに関する活動が、その一助になればと願う。
@kadongo38 先日「崖の上のポニョ」論を添えてお手紙を送りましたベルリン工科経済大学講師を務めております渡辺真也と申します。お手紙、無事届いておりますでしょうか?もしもご覧になられていない様でしたら、ぜひご一読下さい。
firestorage.jp/download/76c66…
@kadongo38 「今後、なかなか制作が難しいドキュメンタリーへの資金面なども支援をやっていきたい。もし良い企画などあればぜひ持ち込んでください」というメッセージを拝見して、本社宛てに電話の上、お手紙差し上げました。
@kadongo38 私は現在ユーラシア大陸横断の様子を収めた映画『Soul Odyssey ? ユーラシアを探して』を作成しており、ポストプロダクション予算を集めています。日本語版トレーラー等は以下のサイトにてご覧になれます。 igg.me/at/soulodyssey
@kadongo38 もしも何からの形でご一緒できることがあれば、身に余る光栄です。お忙しい中お手数をおかけしますが、お返事をお待ち申し上げます。
連続ツイート「映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』に登場する漁師だった祖父を巡る記憶 その2」
(祖1)トンネル工事の現場監督をしていた私の曽祖父は、常にドスを左右の脇腹に入れていたという。労働者としてこき使っていた朝鮮人労働者たちから右から攻撃されても左から攻撃されてもやり返せるように、との工夫だったという。想像するに、相当過酷で荒れた作業現場だったのだろう。
(祖2)ある日、私の祖父は「お前の親父がうちの親父をいじめるから、俺はお前をいじめるんだ!」と言われて朝鮮人労働者の子供に木の棒でぶたれ、失明しそうになった。その事件があった青森には良い医者がおらず、祖父は曽祖父に連れられて津軽海峡を渡り、北海道のお医者さんに見てもらったという。
(祖3)病院に行く途中、親子で北海道の海岸線を歩いていると、海岸線に大量のマグロが打ち上がっていたという。それを見て興奮した曽祖父は「これを本土で売れば儲かる」と言って2人で穴を掘って2匹のマグロを埋め、「帰りにちゃんと掘り返せるように」とそこに目印を付けて置いて行ったそうだ。
(祖4)しかし北海道から青森に帰る際、帰り道がそこを通らなくなってしまった為、曽祖父は埋めた魚を諦め、そのまま青森へと戻り、トンネル工事の作業に戻ったそうだ。それからしばらくしてダイナマイトの爆破事故があり、曽祖父は二人の朝鮮人労働者と共にトンネルの中に生き埋めになってしまった。
(祖5)労働者達に恨まれていた曽祖父のお葬式を上げてくれたのは後に渡った北海道のアイヌの酋長で、半円状のかまくらの上に蝋燭を立ててアイヌ式のお葬式を上げてくれた。酋長に「命を粗末にしたことが無かったか?」と尋ねられた祖父は、「父と一緒にマグロを海岸線に埋めました」と話したそうだ。
(祖6)するとアイヌの酋長は「すべての命は繋がっている。命を粗末にするものの命は粗末に扱われる」と話したそうだ。私は酔った祖父からこの話を毎週の様に聞かされた。幼稚園の時から祖父と駿河湾で釣りをして、釣った魚をその晩に食べていた私の死生観のルーツは、ここに由来するのかもしれない。
(祖7)以上、連続ツイート「映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』に登場する漁師だった祖父を巡る記憶」でした。映画のクラウドファンディングの達成率は現在34%。皆様からのご協力をお待ちしております!
indiegogo.com/projects/soul-…
祖父が駐屯していたのは武漢三鎮だった。中国共産党軍に武漢三鎮が包囲された際、そこに最後まで駐屯した日本軍の宣撫官だった祖父を、中国人の友達が共産党軍に嘘をついてまで逃がしてくれたことを私に良くしゃべってくれて、「中国人の友は本物の友だ。彼らは友を大切にする」と教えてくれた。
父は私に「勉強しろ」と言ったことは一度も無かったが、祖父は良く私に「学だけはつけろ」と言っていた。読み書きのできない祖父は、学のないことで本当に苦労したのだ、と大人になってから分かった。
私は高校生の頃、学校が本当に嫌いで、学校を辞めたいと思ったことが何度もあった。それでも学校を辞めなかったのは、いわゆる中卒になってしまうのが嫌だったという理由もあるけれど、今考えてみると、溺愛された祖父から言われた「学だけはつけろ」という言葉がどこかに残っていたからかもしれない。
大学に進学した私は、自分の意思で大学に進学したのだから、これからはちゃんと自分の意思で自分の為の本物の勉強をしようと思った。大学2年の時に特待生になったけれど、私は4年間の大学生活で、病欠を除いて大学を1日しか休まなかった。ここにも、私の祖父への思いが少なからずある。
祖父は漁師だったけれど、父はそれをマルヨ渡辺商店という魚問屋へと拡大した。子供の頃からマルヨの三代目と呼ばれていた私は美大に行かせてもらえず、大学で経済学か商学を学ぶことを強要されたけれど、大学でマルクス経済学を学んだ私は、その文脈から国民国家批判へとアプローチする様になった。
@etketketketke はい、そうなのかもしれません。
人は形而上学について語る時、その人の持つ全てが現れる様に思う。そのさまを見ていると、それはまるで形而下における物理的なものごと全てを成立させているものが、あたかもそこに依拠しているかの様だ。