Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄-日本国平和憲法第9条下における戦後美術」

2009-03-23 22:42:07 | Weblog
「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄-日本国平和憲法第9条下における戦後美術」
キュレーター:渡辺真也

会期:2009年4月11日(土)~5月17日(日)
(休館日:4月13、20、27日、5月7日、5月11日)

場所:沖縄県立博物館・美術館 企画ギャラリー1,2

参加アーティスト(アルファベット順):
ヴァネッサ・アルベリー: Vanessa Albury
アローラ&カルサディーラ: Allora and Calzadilla
新垣安雄: Yasuo Arakaki
安次嶺金正: Kanemasa Ashimine
コータ・エザワ: Kota Ezawa、江沢考太
比嘉豊光: Toyomitsu Higa
エリック・ヴァン・ホーヴ: Eric van Hove
石川真生: Mao Ishikawa
真喜志勉: Tsutomu Makishi a.k.a Tom Max
松澤宥: Yutaka Matsuzawa
森村泰昌: Yasumasa Morimura
仲里安広: Yasuhiro Nakazato
オノ・ヨーコ: Yoko Ono
下道基行: Motoyuki Shitamichi
平良孝七: Koshichi Taira
照屋勇賢: Yuken Teruya
山城知佳子: Chikako Yamashiro
柳幸典: Yukinori Yanagi



展示コンセプト (文責:渡辺真也)

日本国憲法は、1947年、アメリカ占領軍によって実質的に書かれた歴史がある。そして平和憲法として知られる第9条には、主権国家としての交戦権の放棄と戦力不保持が明記されている。

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世界的に見ても非常に珍しくユニークな憲法上の平和主義の規定は、アメリカのニューディーラーの理想主義が反映されている。この平和主義を含んだ新憲法は、第二次大戦の苦しみを経験した当時の日本の一般市民に受け入れられ60年以上改正されることなく今日に至るが、この平和憲法と呼ばれる第9条が、現在、その存在を問われている。

美術展覧会「アトミックサンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」は、日本国憲法改正の可能性のある中、戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試みである。

憲法第9条は、戦後日本の復興と再形成に多大な影響を与えたのみならず、60年間他国との直接交戦の回避を可能にした。しかし、9条を持つことで日本は直接交戦から回避することに成功したが、日本の実質的戦争協力は、第9条が保持される限り、ねじれた状況を生み出し続ける。この日本の特異な磁場から、多くのアーティストたちは取り組むべき新たな課題を発見し、彼らの芸術に表現してきた。日本の戦後やアイデンティティ問題などをテーマとした美術作品の中には、戦後の問題、アイデンティティ問題、また憲法第9条や世界平和をテーマとしたものが少なくない。

アトミックサンシャインとは、 1946年2月13日、GHQのホイットニー准将が、吉田茂とその側近であった白洲次郎、憲法改正を担当した国務大臣の松本烝治らと行った憲法改正会議のことである。ここで、ホイットニー准将は保守的な松本試案を一蹴し、GHQ民政局の憲法試案を「日本の状況が要求している諸原則を具体化した案」で、マッカーサーの承認済みのものだと説明した。その後、アメリカ側が公邸の庭に下がり、英文を読む時間を日本側に与えたのだが、その際、英語に長けた白洲次郎が庭に出てアメリカ人のグループに加わっていくと、ホイットニー准将は白洲にこう言った。

「We have been enjoying your atomic sunshine.」

この一言で、ホイットニー准将は日本側に、戦争の勝者・敗者を明確に思い起こさせ、さらにGHQ草案に示された諸規定を受け入れることが、天皇を「安泰」にする最善の保障であり、もし日本政府がこの方針を拒否するならば、最高司令官マッカーサーは日本国民に直接この草案を示す用意がある、と発言した。その後、この憲法改正における日本国とGHQの会議は「アトミック・サンシャイン会議」と呼ばれるようになる。このGHQ草案に添った形で修正した内閣案が、最終的に1946年11月3日に日本国憲法として公布された。



沖縄巡回展に寄せて (文責:渡辺真也)

第二次大戦中、地上戦により一般市民の多くが犠牲となったこの沖縄の地において、憲法第9条と戦後美術に関する展示を開催することには、特別な意味がある。

大戦終結直後のアメリカ政府は、沖縄県民を日本の帝国主義に支配された異民族であると位置づけ、アメリカ軍政下に置いたが、朝鮮戦争勃発以降は、沖縄を東アジアにおける最前線の基地に位置づけ直し、軍用地として住民の土地を強制的に接収するなどした。

日本は1951年のサンフランシスコ講和条約の際、GHQ占領下から独立する条件として、アメリカと安全保障条約を結ぶことを半ば強制されたが、これにより日本は資本主義ブロックへと組み込まれ、アメリカの核の傘の下へと入ることになった。この時、アメリカ側は沖縄における日本の潜在的な主権を認めつつ、沖縄を正式にアメリカ軍の管理下に置くとした。

1956年、沖縄住民側の「土地を守る4原則」を無視した「プライス勧告」の発表をきっかけに、住民たちは「島ぐるみ闘争」と呼ぶ反基地運動を展開した。その後ベトナム戦争が勃発すると、沖縄は米軍の最前線基地となり、それに伴う事件・事故も増加し、さらに爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対する批判も激しく、住民は反米・反戦色の強い祖国復帰運動を活発に行う様になる。

一方、米軍からの需要がある産業に携わる住民は、復帰反対や米軍駐留賛成の立場を取らざるを得ず、復帰賛成派と対立した。1968年、琉球政府の行政主席選挙が行われると、90パーセント近い投票率の結果、本土復帰派の屋良朝苗が当選、「即時無条件全面返還」を訴えた。その後1969年の日米首脳会談にて、ニクソン大統領が安保延長と引き換えに沖縄返還を約束、1972年5月15日に沖縄は日本へと復帰することとなった。

しかし、日米両国政府が考える沖縄返還のかたちが次第に明確になるにつれ、沖縄では「反復帰論」や「独立論」といった思想も顕在化した。その背景には、復帰交渉において日本政府が在沖米軍基地の現状について米軍の要求をほぼ丸飲みし続け、沖縄の住民が期待した「即時無条件全面返還」、すなわち9条を堅持した「反戦復帰」が実現せず、「核抜き・本土なみ」と呼ばれる復帰となったことから、日本政府への不信感が高まったことなどが挙げられる。「独立論」は日本やアメリカ支配の否定、そして「反復帰論」は、国家主権そのものへの批判、という性格を持っていた。

また、9条を堅持することが、日本国の防衛としての日米安全保障条約の存在を不可欠としている、という議論も存在し、その延長線上に、皮肉にも沖縄に未だに大規模な米軍基地が存在している、という理解も可能である。この様に、沖縄の現状において9条と戦後の問題を考えることは、現在性を持つ大変重要な議論であり、この9条と戦後美術をテーマに掲げた展示が沖縄に巡回する際に、沖縄県内の作家による表現行為を組み込むことは必然だと私は考えた。

戦争体験を通じ、住民の多くが強く平和を希求する中、沖縄のアーティストは、9条という理想、そして沖縄の帰属やアイデンティティというテーマに関して、「戦後」と呼ばれる時代に、どんな表現を行ってきたのだろうか。今回の沖縄県立博物館・美術館への巡回展では、「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄」と題し、ニューヨーク・東京での巡回展での作品に加え、沖縄の作家による戦後の美術作品を加えた。本展示が、9条と戦後美術というテーマを沖縄県民、そして日本国民、さらに世界の人達と共有するとともに再考する機会となり、来るべき未来への準備の契機となれば、と願う。


*4月11日の展示オープニングには、キュレータートーク、アーティストトークを開催します。他の関連イベントに関しても、またWebサイトで追って告知致します。

*佐喜眞美術館では、サテライト展「アトミックサンシャインの中へ in 佐喜眞」(2009.4.15 - 5.6)を開催しています。

開館時間:午前9時~午後6時、金・土は午後8時まで(入館は、閉館30分前まで)

観覧料
当日券 前売り・団体券
一般(70歳以上含む) 800円 640円
高校生・大学生 500円 400円
小学生・中学生 300円 240円
※団体は20名様以上を対象とする。
※障害者手帳をお持ちの方と介助者1名は、当日券の半額とする。

主催:文化の杜共同企業体/沖縄県立博物館・美術館