Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

秋晴れ!東北の山・海を巡る【4】三陸鉄道南リアス線・JR大船渡線、それぞれの復旧

2013年10月06日 | ■旅と鉄道
 仙台市で迎えた4日目・9月30日(月曜日)。前日の昼食(それも午後3時頃)は大穴子丼、そして夕食には特上牛タン定食を食べて、久々に「お腹いっぱいで苦しい」感覚までも味わいました。
 それでもホテルのサービスの朝食までしっかり頂き、朝7時、出発です。今日は大船渡に出て吉浜までを往復、その後、気仙沼大島へと渡る予定です。


 まずは仙台駅前バスターミナルから、宮城交通の高速バスで大船渡・盛へと向かいます。
 所要時間は4時間を超えますが、4列シートのトイレなし車両。便意を催しがちな朝乗るには、精神衛生上よろしくありません。


 気仙沼まで3時間。震災前のJRの快速・南三陸なら、2時間で来ることができました。
 気仙沼から大船渡へは、一部で三陸道の開通済み区間を走ります。新直轄区間のため通行料は無料、開通した箇所から一般道に接続させ供用開始しているようです。


 途中2回の休憩があったので「非常事態」に陥ることもなく、11時に無事、盛駅着。
 盛駅に乗り入れる鉄道のうち、三陸鉄道南リアス線は4月に吉浜までが部分復旧、JR大船渡線は3月からBRT(バス高速輸送システム)による仮復旧で運行されています。


 車庫に並ぶ、南リアス線の全所属車両4両。旧大船渡線の敷地が転用されたバス専用道を、BRTバスが走り抜けていきます。


 11時30分発、南リアス線吉浜行きが入線。震災当時の南リアス線の車両は、1両を除き浸水被害で廃車になりました。
 現在活躍する車両のうち3両は、クウェート国から寄贈された新型車両です。9月15日には徐行運転も解除され、震災前のダイヤに近付いています。


 車内はクロスシート主体で、シートの間隔は余裕たっぷり。テーブルも付いていて、観光利用に配慮されています。
 さすがに平日ではガラガラだよなあ…と思っていたら、大挙団体さんが乗り込んできました。一気に満席の盛況となり、ご同慶の至りです。


 団体さん乗車のおかげで、観光協会のお茶サービスや車内販売のおこぼれにも預かれました。小石浜名物のホタテ焼き(350円)をほおばります。
 団体さんは名古屋からで、三陸沿岸を巡るツアーとのこと。陸前高田では語り部ガイドからの説明もあり、今見れば広大な土地でしかない場所に何があり、何が起きたのかよく理解できたとのことでした。


 高規格の鉄道公団建設路線、それも明治・三陸大津波の教訓から極力内陸に作られた路線のため、トンネルが大部分を占めます。海岸線は、合間から時々見える程度です。
 景色の開ける所では徐行運転を繰り返し、美しいリアス式の景観を見せてくれます。


 復旧工事が行われている箇所では、ちゃんとその内容まで説明してくれます。


 まだ、岸壁の復旧に至らない場所も。


 地元ガイドさんも辛い経験をされたのでしょうが、被害の様子を訪ねる乗客の質問にも、笑顔で丁寧に答えられていました。
 冬に乗った北リアス線でもそうでしたが、三鉄は自らに大きな損害を与えた震災に、向き合い、語り継いでいくことを使命と捉えているようです。


 終点・吉浜付近の集落と海岸。
 大きな被害だったのでしょうと聞かれるが、明治三陸大津波で高台移転していたため最小限の被害で済んだ。今回の震災復興にあたっても、モデルになっている…とのことです。


 来年春までの終着駅、吉浜駅着。団体さんは待ち受けたバスに乗り換え、北リアス線方面へと向かっていきました。
 北リアス線田野畑駅と同様、キットカットの協賛でかわいく装飾された駅舎です。


 テレビの企画で、駅長に任命されていた志村けんの等身大ボード。


 今は錆びついた線路ですが、この先を走る列車も半年後には乗れます。釜石に抜けるのはその日以降にとっておき、今日は折り返し列車で盛へと戻ることにします。
 帰路の列車の乗客は、往路でも見かけた家族連れ4人と僕だけ。団体さんで賑わう活況と、それ以外の日常の、両方を見ることができました。


 三陸駅では5分停車というので写真を撮っていたところ、運転士さんから、
 「今日は『奇跡の車両』が臨時列車として来ますので、ぜひ撮って下さい。発車を待っていますので」
 という嬉しいお声が。

 『奇跡の車両』とは、ドラマ「あまちゃん」の中でもモデルとなった、南リアス線で唯一無事だった車両のことです。
 乗客は男性ばかりで「同業者」かなとも思いましたが、駅に着いても写真を撮るわけでもビデオを回すわけでもなく、普通の団体さんだったようです。


 トンネルの間には、真新しい築堤の区間が続きます。北リアス線に比べて復旧に時間を要したのは、これらの復旧工事の規模が大きかったからなのでしょう。
 防波堤の役割もあるのかもしれません。


 恋し浜駅でも、3分停車。片面ホームの駅で列車交換を行うわけでもなく、観光客向けの見学用の停車時間です。
 往路の列車では案内がありませんでしたが、団体さんに降りられたら収集がつかなくなるという判断があったのかも。


 恋の願いを込めて、ホタテ貝をぶら下げる…という場所だったのだろうけど、今は震災復興への願いが目立ちます。
 駅ごとに少しずつ乗客を乗せていき、盛に着く頃には、各ボックスに誰かいるほどになりました。部分復旧でも、必要とされている鉄路です。


 盛駅に戻ってきました。大船渡線は仮復旧の状態ながら、JRの駅舎はリニューアルされていて、三陸を見捨てないというJRの意思の表れとも受け取れます。


 盛駅に乗り入れる鉄道、もう1路線を忘れてはいけません。
 今は貨物専業となった岩手開発鉄道も、汽笛の音も高らかに貨車を連ねて走ります。


 盛からは、大船渡線BRTに乗って気仙沼方面へ下ります。三鉄とはホームを挟んで乗り換え可能。「駅」といえる空間にバスが乗り入れてくるのは、ちょっと不思議な光景でもあります。
 乗客は地元のご老人方ばかり。専用ICカードの「Odeka」も携えています。BRTについて話し合われていましたが「便利になった」「やっぱり汽車じゃないと」と、評価は二分されてました。


 盛から大船渡へは道路と交差する箇所が多く、交差点では信号の有無に関わらず徐行を繰り返します。
 鉄道のように完全な遮断機を設けられれば、列車並みのスピードを出せそうなのですが、そうはできない法的な壁があるのでしょう。BRTが鉄道並みのスピードに達しえない、一つの理由です。

 大船渡付近の市街地は、大きく被災した区間でもあります。今もその痕跡が残る一方、新たな商業施設の出店も。平地が限られる地域だけに、万一の際の被害は覚悟の上での再建なのだと思います。


 大船渡から先、小友までの専用道10kmは、3日前の9月28日に開業したばかり。これまでは所要時間短縮のため、峠越えで数駅をショートカットする便がありましたが、専用道で速達性が確保できることから、全便が各駅停車になりました。
 今回開業の区間は立体交差が多く、スピードも50~60kmを維持して走ります。


 高台から海を見下ろす、海沿いのローカル線らしい車窓も「復活」。
 ダイヤに余裕があれば、団体旅行の貸切バスを乗り入れさせても喜ばれるんじゃないかと思いました。


 細浦駅は、旧駅からわずかに高田方へ移設。旧ホームが横切ります。


 延伸区間には鉄道時代になかった駅が1駅、新設。その碁石海岸口で下車してみました。
 「踏切」をBRTバスが通過して行きます。


 駅にはバスの運行案内システムも設けられ、バスが接近すると音声案内も流れます。
 真新しい施設やバスと相まって、新交通システムのような雰囲気です。


 20分かけて海岸へと降りてみましたが、景勝地の碁石海岸まではさらに2km程度あるようで断念。駅の設置も、碁石海岸への玄関口というより、近隣の住宅地や建設予定の復興住宅へのアクセス向上が目的のようです。
 門の浜漁港、大規模な復旧工事が進捗中です。


 相馬と同様、倉庫は木造で建設されていました。


 散策を終え、駅へ。駅から北方向の待避所でバスがすれ違います。
 今回延伸した区間はカーブが多く、待避所を設ける余裕が少ないことから、既存区間のように目視によるすれ違いではなく、信号により待避所~待避所間にバスが1台しか入れないようになっています。


 信号方式なので対向車が来ないことが分かっていることから、速度も上げられるようです。立体交差が中心の大船渡~小友間の所要時間は、鉄道時代の15分に対し、BRTは1駅増でも17分と大差がありません。
 バス道ながら大雨や地震の警報を伝えるシステムも備えられ、災害への備えもなされています。


 小友で専用道は終わり。この先の路盤は被災の度合いが大きいく、市の機能も移転しているため、高台の裏道を走ります。BRTから途端に、「代行バス」の色彩を強めました。
 高台には仮設庁舎や金融機関が集まり、仮の中心部を形成。JRのみどりの窓口も、曜日限定ながら開いています。


 復興工事従事車両を横目に、海岸部へ下ります。
 かつての高田松原付近に設けられた臨時「駅」、奇跡の一本松で下車しました。


 ここが高田松原と呼ばれる、8万本もの松が立つ景勝地だったことに思いをはせてこそ、意義のある一本松だと思います。
 「その他大勢の松」に囲まれ、一本松が目立たなくなるほどに松原が再生する日が、早く訪れますように。


 三陸道の橋脚工事と、高台の住宅用地の造成が進みます。


 道路に列を成すダンプの轟音、重機の音、土埃…陸前高田市沿岸は、巨大な工事現場のようでした。
 ハード面に関しては、復興の槌音が響きわたっています。


 道の駅高田松原跡と、追悼施設。震災の遺構を残していくのか、各地で議論の渦中にありますが、ここは保存の合意が成されているようです。
 ボランティアガイドさんの説明に、おばさんグループが神妙に耳を傾けていました。


 奇跡の一本松駅に進入してくる、BRTバス。雑然とした道路端が続く周辺地域にあって、ここは花壇が美しく手入れされています。
 陸前高田から気仙沼間の各駅はBRTの支線系統に任せ、両市を結ぶ便は三陸道をショートカットします。高規格道路なので所要時間も短く、鉄道時代の30分に対してBRTでも33分と、そん色ありません。


 鹿折唐桑駅で下車。駅の目の前では、津波で内陸深く打ち上げられた第18共徳丸の解体作業が進んでいました。


 休止状態の大船渡線の線路は、ところどころで枕木が焦げており、津波後の大火災の痕跡を残していました。
 駅の予告看板は倒れたままで、線路も路盤が崩れ曲がっている所があります。


 一方で、仮設商店街の鹿折復幸マルシェには、真新しい遊び場ができていました。

 鹿折から気仙沼へは次のBRTを待つつもりでしたが、ちょうどミヤコーの路線バスがあったので乗り込みました。BRTだと途中ノンストップで駅まで走ってしまいますが、ミヤコーならば船着き場近くで停まってくれるメリットもあります。
 BRTの真の利便性向上のためには、鉄道駅以外にも積極的に停留場を設けるべきとは思いますが、既存バス路線との兼ね合いで難しい面もあるようです。


 今日の泊りは大島なので、エースポートの船着き場へ。年始には被災した立体駐車場の解体に着手されたばかりでしたが、すっかりさら地になっており、地盤沈下で浸水していた区画のかさ上げも進んでいました。
 今は大島や復興屋台村を訪れる、観光客向けの平面駐車場になっています。


 プレハブ小屋で往復の乗船券を買って、17時40分発の大島行きフェリーに乗ります。通勤時間帯とあって、下校生や勤め人で満員でした。


 気仙沼の港を離れる頃には、薄暗くなってきました。


 25分の航海の間にすっかり暗くなり、大島・浦の浜着。南北に5kmある長い島なので、出迎えの車が列を成し、島内の路線バスまで待っていました。
 宿の車に乗り込めば、ずらりと並んだ車列の最後尾を走る格好に。さすが、人口3千人を擁する島だけあります。


 見どころの多い大島ですが、もう真っ暗でお昼ごはんも食べていないので、さっそく夕ご飯に。さすがは港町、食べきれないほどのの海の幸が並びました。
 部屋の窓からは、波音が忍び込んできます。明日は早起きして散策の予定なので、9時には早寝しました。

秋晴れ!東北の山・海を巡る【3】塩竃・相馬を歩く

2013年10月06日 | ■旅と鉄道
 3日目(9月29日)は、塩竃から相馬を見物。さらに仙台に戻って投宿しました。
 前日の酒が残ってはいましたが、なんとか7時半には起床。無料サービスのコーヒーを飲んで、行動開始です。


 朝ごはんは、塩釜市場へ。津波浸水域の市場ではありますが、沖合に点在する島々のおかげで勢いは弱かったようで、震災11日後には取引き再開されたそうです。
 日曜日のこの日は、一般のお客さんで賑わっていました。


 マグロの心臓「星」。船上で血抜きをした、国産マグロの証として置いているのだとか。
 食べてもおいしいそうで、コリコリした食感は独特。さっそくお買い上げ!


 イクラやカキも買い込んで、ご飯セットと合わせれば、即席海鮮丼の出来上がり。
 朝から贅沢、なのにリーズナブルなご飯です。


 お腹も満足したところで、塩竈といえばココ、鹽竈神社へ。
 車で参拝に来る人が多く、表参道はひっそり。半年で地元人になったYさんのガイドがなければ、「本流」の参拝ルートに気付かないところでした。


 こちらも修復中。


 振り返れば、塩釜湾。


 続いてウォーターフロントの、マリンゲートへ。松島方面の遊覧船や、離島航路の発着点です。
 屋上の上がると、何やら ささかまの少女がテレビ撮影を行っていました。


 海沿いの高架を走る、仙石線の電車も一望。海岸には、傷跡が残ります。


 塩竈を満喫した後は、相馬へ。まずは多賀城市を抜けて行きます。2年前に歩いた際には、都市型津波災害の恐ろしさに衝撃を受けた場所です。
 国道45号線沿いはすっかり復旧しましたが、津波浸水域であることを示す看板が見当たらないのは不安でもあります。


 仙台東部道路を走ります。防波堤となり、また避難場所としても機能した「命の道路」です。
 農地の復旧は、少しずつ進んでいるようでした。


 東部道路から続く常磐道は、山元まで。南側へは延伸工事が続いています。
 相馬方面への動脈、国道6号線を南下。






 相馬市に到着、相馬中村神社へ。相馬野馬追に登場する馬はここで飼われているもので、いろんな馬に会えたり、乗馬の体験ができたりする楽しい!?神社です。
 この日は多くの馬が「出張中」で、乗馬体験もできずに残念!


 海岸へ走り、原釜尾浜海水浴場へ。海の家が並ぶ、福島でも有数の海水浴場だったそうですが、海の家も、そして内陸側の住宅地も流されてしまいました。ブータン国王が、黙礼を捧げた場所でもあります。
 福島で海開きを果たした海水浴場は今のところ、いわきの一ヶ所のみ。こちらの再開の日は遠そうですが、海岸沿いで遊ぶ家族連れの姿が見られました。


 相馬港。本格操業に向け、港湾施設の復旧作業が急ピッチで進んでいます。
 日曜日ですが、クレーンの動きは休みなく続いていました。


 港に並ぶ漁業倉庫。内陸に住まいを移した漁師さんが、漁に使う道具を納めておくためのものだそうです。
 「蔵」風の外観は、近年の相馬市の公共施設共通のデザインなのだとか。


 松川湾に面した食事処、たこ八へ。波穏やかで防波堤らしい防波堤もない松川湾ですが、浸水の被害は大きかったようで、「たこ八」さんも今年3月に再開にこぎ着けたのだとか。
 巨大なあなごが2尾のった「大あなご丼」で、お腹いっぱいになりました。


 津波浸水域の水田。点々と置かれたビニール袋には、手作業で取り除いた小さながれき類が入っているのだそうです。
 元の農地を取り戻すため、地道な作業が続いています。


 磯部中学校の校地に立つ、公民館・出張所と長屋住宅。用途も設計者も異なる施設ですが、デザインが共通なので、一体感があります。
 高台にあるため、背後では住宅用地の造成も進んでいました。相馬市では復興住宅への入居も始まっているそうで、様々な人の努力で進みつつあります。


 相馬を離れ、Yさんの車を運転して塩竃へ戻ります。
 途中ナビを頼りに、常磐線不通区間の新地駅付近を目指しました。線路があり、駅があり、家々があった場所ですが、鉄橋は土台を残すのみでした。


 踏切だった名残りは、電柱一本のみ。すでに線路のルートをふさぐように、新しいガードレールが設置されています。
 常磐線は、内陸側に移設して復旧することが決まっています。


 東北本線塩釜駅でYさんと別れ、一人旅に戻ります。仙台駅は、イーグルスのリーグ優勝記念で賑わっていました。