Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

新居浜の産業遺産を巡る【4】久留米への道

2014年09月13日 |  □福岡発おでかけ日記

 9月7日夕方5時前、イツモレンタカー松山IC店こと、エネオス椿給油所へ到着。船までは時間もあるので、送迎を道後温泉へお願いしたところ、ドライバーさん、たくみに裏道をすり抜けて行きました。松山市内の渋滞は激しく、地元人ならではのテクニックです。
 日曜日夕方の道後温泉は、それでもさすがは一大観光地。駅前も商店街も、そぞろ歩く観光客で賑やかです。


 道後温泉で、晩の風呂をひと浴びしました。せっかくの掛け流しの名湯なのに、塩素入りになってしまったのは残念。でも重要文化財に入浴できるのは、いい経験です。
 スーパームーンが翌日にせまっていたこの晩、背後には大きな月が輝いていました。


 道後温泉から松山市駅へは、低床の路面電車で。松山市内は、いよてつの路面電車4系統に郊外電車3路線、JRまで走っていて、モビリティは高い街です。


 さらに郊外電車に乗り継ぎ、松山観光港を目指します。
 元京王井の頭線の電車の3両編成で、車内は新車といっていいほどピカピカ。各地の地方私鉄で活躍する大手私鉄の「譲渡車」のレベルは、最近さらにステップアップしている印象です。


 バスで観光港へ抜け、晩ご飯は港近くの「めしや酒井屋」へ。昭和レトロをうたった食堂です。


 なつかしの看板やアニメキャラが、すらっと並んだ店内。昔のマンガ雑誌なんかも、さりげなく手に取れるように置いてあります。汚してしまわないように注意!
 昭和レトロがコンセプトの飲食店なら珍しくもありませんが、こちらは建物も、店のおばさんも、おばあさんもちゃんと「昭和」なのでリアルです(笑)。


 しかし1,000円なりのお楽しみ定食は、奇をてらったものではなく、品数がいっぱい。体にも良い晩ご飯になりました。


 お腹もいっぱいになったところで、帰路の松山・小倉フェリーに「チェックイン」。往路の乗船券の提示で3割引になるので、くれぐれも旅の途中になくさないように…。
 月に見送られ、短くも楽しかった四国の地とお別れです。


 現在、愛媛方面の船会社各社が共同で「愛顔の船旅キャンペーン」を実施中。スタンプを押して応募すると、次回の旅に使える乗船券を貰える…かも?
 特に柳井~松山と佐賀関~三崎間では、車1台を積み込める券が当たるので、ねらい目と言えそうです。また四国に来れることを願って、ペタリ!


 ぐっすり眠って、小倉港着。こちらも7時まで船内休憩できますが、下船時刻は到着直後と6時以降のみ。小倉駅前発6時15分のバスに乗るには、5時過ぎに下船せねばなりません。
 こぶりなターミナルで手持ち無沙汰に過ごしていたら、徐々に夜が明けてきました。


 今日は月曜日。工業地帯の朝が始まります。


 小倉から2時間で、久留米へ。朝8時過ぎ、まだまだ1日は始まったばかりの時間です。家で一休みして出勤、いつも通りの1週間が始まりました。
 土日だけでもどっぷり楽しめると分かった、濃い2日間+αの旅でした。


※今回の記事は、新居浜市観光協会の「あかがねのまち新居浜ブロガー旅行記」の参加レポートです。
 旅にあたって新居浜市観光協会さまには、多大なるご支援を頂きました。この場を借りて、御礼申し上げます。

新居浜の産業遺産を巡る【3】山の遺産、街の遺産

2014年09月13日 |  □福岡発おでかけ日記

 新居浜市別子山、オーベリジュゆらぎで朝を迎えました。
 7時前、そっと玄関を開けて、爽やかな朝の空気ただよう森へと踏み出します。


 森林公園・ゆらぎの森は、朝霧の中にありました。


 木々は、雨降り後のような しっとり感に包まれています。


 白い機体 飛べない空に 何思う


 椎茸も、山の恵みを受け育っていました。


 1時間少々の散歩を終え、宿に戻れば朝食の時間です。
 運動した後のご飯はウマイ! ふわふわのプレーンオムレツと、香ばしく甘いクロワッサンが食欲を掻き立てます。


 …と、のんびりくつろいでいたところ、エリアメールが鳴りだしビックリ。津波警報の文字に驚きましたが、よく見れば四国中央市の訓練メールでした。津波とは縁遠いイメージのある瀬戸内沿岸ですが、何が起きるか分からない。万一に備えた訓練は大切ですね。
 四国中央市のエリアメールが入ってきたのも意外でしたが、旧別子山村は地理的には三島(四国中央市)の方が近いのだとか。それでも新居浜と合併したのは、同じ産業を支えてきた村としての絆があったのかもしれません。


 チェックアウトの10時までのんびりさせてもらって、2日目のドライブがスタート。ホテル裏手のヘリポートへ車を走らせました。
 わずか3分でたどり着ける絶景スポットなのでしょう、晴れていれば。赤石連山は残念ながら、雲の中でした。


 昨日来た道を、再び新居浜市街地方面へと戻ります。旧別子山村の中心部は、郵便局や市役所支所があるものの、一自治体の中心部だったとは思えないほど小さなものでした。
 旧別子山村の人口は、銅山が活況を極めたピーク時には1万人を超えていたものが、合併当時は300人を割っていたのだとか。九州の産炭地の島と、重なる姿です。


 県道47号線から右折し、マイントピア別子の東平ゾーンを目指します(写真は下山時に、一時停止して撮影)。昨日の端出場ゾーンとは、山岳鉄道が結んだ地区です。
 現在の道路も隘路で、自分で運転していくと、山道を50mバックして離合場所に戻るテクニックを要求される可能性があります。山道の運転に自信がないなら、素直に端出場ゾーンから観光バスに乗るのが得策です。


 東平ゾーンは、すっぽり霧の中。まずは東平歴史資料館で、東平地区の歴史を学びます。
 ちょうど観光バスが到着して、資料館は人でいっぱいになりました。


 大正5年から昭和5年までの間に採鉱本部が置かれた東平地区は、社宅群に私立学校、劇場までが置かれた街でした。
 小ぶりながらも充実した展示で、当時の山間の都市での生活の様子が見えてきます。


 レンガ造の「マイン工房」は、銅板レリーフづくりができる体験施設です。
 建物はかつての保安本部ですが、近くに立っても全容が、み…見えない。


 索道場跡へ下って行く階段は、インクラインの跡。レールを敷いてケーブルで上げ下げする運搬装置のことで、それゆえルートは一直線です。
 「底」が霞む霧の日は、奈落に降りて行くような錯覚を覚えます。


 「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる、貯鉱庫・索道場跡。レンガ造の構造物が、傾斜地へ幾層にもそびえ立つのですが、霧で一番手前の索道場跡しか見えません。
 霧が流れてくれることを祈り、しばし たたずんでいましたが、動きは鈍く、全容は姿を現してくれませんでした。


 上から眺めても、この通り。「東洋のマチュピチュ」のすべてを見たければ、また来いという意味でしょうか…。
 ただ今こうして写真で見ていると、晴れの日では決してみれない、幻想的な風景ではありました。


 霧が深かったのは山の中だけだったようで、下界に下れば夏空が戻っていました。むしろ暑いくらいで、山の空気が少し恋しくもなります。
 ランチは、住宅街の中にあるcafe「Zecca」へ。なかなか挑戦的な外観ですが…


 内装も、ポップを越えてテクノと表現したい空間で、PVの世界に迷い込んだよう。こんなカフェが普通の住宅地にあるというのも、なかなか興味深いところです。
 客層も若い人ばかりではなく、40代とおぼしきご夫婦もいらっしゃいました。


 ローストビーフ丼と、グリーンカレーでくつろぎました。
 グリーンカレーは独特のクセがなく、苦手な人でもおいしく食べられそうな味です。


 新居浜、最後の目的地はイオン新居浜…ではなく、その周辺の鉱山関連施設群。大正14年に東平から移転した選鉱場や、社宅が立地したエリアで、星越・惣開ゾーンと呼ばれます。
 イオンも、前田社宅の跡地。日曜午後のイオンは駐車場がいっぱいになるほどの賑わいで、この点は地方都市の典型的な姿ではありました。


 イオンの向かい側には、住友倶楽部が。現在は住友の研修施設ですが、かつては迎賓館的な使われ方をしていたとのことです。
 手入れの行き届いた広大な施設を見ていると、ここが「ありふれた典型的な地方都市」ではないことが分かります。


 惣開小学校から裏手に回ったところにあるのが、旧星越駅。近年、手を加えられたようで、古びた感じはありません。屋根裏の換気口が、さりげなく住友マークにデザインされています。
 調べて行ったから駅と分かったのですが、駅だったことを示す看板や説明板はありません。保存していく意思は感じられましたが、活用はこれからなのでしょう。


 駅の背後では、今も住友の関連施設が動いています。駅の前後には線路も残っていて、切り通しの先はトンネルでした。
 数年前までは、選鉱場の跡も残っていたとか。駅跡前も空き地が広がっており、全盛期には「街」が広がっていたのだろうと思い巡らせます。いま「駅前」にその名残を留めているのは、1軒の商店くらいです。


 駅跡から少し離れますが、かつての「街」の面影を留めるのが、住友の山田社宅。社宅とはいえ庭付きの戸建て住宅で、幹部社員向けだったとのこと。
 整然と区画された街区に垣根が連なる様には、武家屋敷群のような風格さえ漂います。


 ほとんどの家には電気が通じており、社宅としては「現役」のようですが、住まい手のある家はわずかです。
 産業遺産として、2軒が新居浜市へ譲渡されたそうですが、その他の家は今後姿を消していくのでしょう。


 選鉱場の跡を背景に、木造平屋建ての住宅がずらりと並びます。
 個々の家ではなく「社宅群」としての集まりこそ、全盛期の栄華を伝えてくれますが、すべてを残すというのは難しい話。今のうちに目に留めておきたい産業遺産です。


 さらに西側にあるのが、星野西洋住宅。外国人技術者を雇い入れるため建てられた、洋風の住宅です。「瀟洒」という言葉がピッタリの、いいたたずまいでした。
 カフェなんかになれば、いい雰囲気になりそうだけどなぁ~! ユニークなカフェも成立する新居浜という土地だけに、なおさらそう思います。

 時間は16時前。ぼちぼち新居浜を離れる時間になってきました。

▼【4】に続く

新居浜の産業遺産を巡る【2】山が支えた最先端

2014年09月11日 |  □福岡発おでかけ日記

 新居浜市内に入って、まず訪れたのは広瀬歴史資料館。新居浜の銅山開発と近代化に生涯を尽くした、広瀬宰平の功績をたどる資料館です。
 銅山そのものの経営史のみならず、様々なエピソードから、経営者としての宰平の人柄も紹介されています。郷土について学ぼうとする地域の子どもたちにとっても、このような場は大切ですよね。もちろんその地域について知りたい、旅行者にとっても。


 亀池に大きくせり出した外観も印象的ですが、内部に入ればRC造の壁・天井が一体になっていて、「どんな構造になってるんだろ?」と別の視点での興味も。
 日建設計と石本建築事務所による設計とのことです。


 隣接する旧広瀬邸は、明治10年築。国の重文に指定されている邸宅です。


 新座敷から眺めた庭園。冷夏から一転、9月の残暑が厳しい中で、おばさん達が汗を流しながら手入れをされていました。


 新座敷の障子には雪見窓があり、座敷に座ったまま庭園を楽しめる意匠も。


 明治10年といえば「鹿鳴館」の建設前。まだまだ西洋の影響が地方へ浸透していた時代ではなかったはずですが、日本の先端産業を支えた人物の家だけあって、日本家屋ながら当時の先端的な技術やデザインが見られます。
 たとえば茶の間。窓のない部屋なのに明るく、目を上げてみれば、天窓が設けられていました。ガラスがなければ、できない意匠です。


 古い家だけに階段は急ですが、手すりには曲線が使われ、優美な印象を与えています。


 母屋の2階からは、眼下に新居浜の市街地が広がっていました。欄干も西洋的な意匠ですが、ガラスがはめられ、上に障子戸が載っているのは実用性があり、ユニークでもあります。
 避雷針が取り付けられていたり、便所は洋式になっていたりと、当時としては最先端の住宅建築。近代建築ファンとして、見れば見るほど発見のある住宅でした。


 ちょっと早めのお昼ごはんは、喫茶「ランバン」へ。創業は1977年で、向かい側の松原市営団地のオープンと同じ頃なのでしょう。
 高度経済成長期の面影を感じる市営住宅と商店街ですが、喫茶店の内装は新しくなっていました。


 名物のホットサンドをパクリ。できたて、あつあつのサンドにはじゃがいもも入っていて、見た目よりボリュームがあります。


 復刻版というナポリタンは、懐かしい味。パスタではなく、スパゲティと呼びたいと言えば、伝わるでしょうか(笑)。鉄板に載っていて、アツアツを味わえます。同じ鉄板で出てくる、焼きそばもおいしそうです。
 お話好きの店主と太鼓祭りのことや、最近のスマホの機種変事情について(!?)盛り上がっていたら、いつの間にか1時間半が過ぎていました。


 いつの間にか天気はぐずついていて、降りしきる豪雨の中を「マイントピア別子」の端出場ゾーンへ向かいました。1973年に閉山になった、別子銅山の最後の採鉱本部があった場所で、現在は銅山について学べるテーマパークになっています。
 道の駅にも指定されているので、お土産品も充実していました。新居浜太鼓祭りのキャラ「たいこくんおーるすたー」のグッズも豊富。クリアファイルにかかれた、「ファイルごとなくすんだろ?」という台詞に大うけして、1つ買い求めました。


 鉱山観光へは、この鉱山鉄道に乗って行きます。往復乗車券込みで入場券は1,200円ですが、ホームページでクーポンを印刷しておけば100円引きになるので、お忘れなく。
 車内放送のテープは、ご当地出身の水樹奈々が勤めます。


 わずか333m、ものの数分で着いてしまう短い路線ですが、トンネルあり鉄橋ありで変化に富んだ車窓を楽しめます。
 特に鉄橋は渓谷にかかる高いもので、登録有形文化財にもなっている歴史遺産。なかなかスリリングでした。


 観光坑道駅には、実際に坑内を走っていた車両が。今のってきた車両は、あくまで観光用なんだと思えるほど、「快適さ」とはほど遠い車両に見えました。


 渓谷をまたぐ橋を渡って、いざ「観光坑道」へ。かつての火薬庫だった坑道の一部を、観光用に開放しています。
 総延長700kmに達した坑道全体に比べれば、見学エリアはごく一部の範囲だけど、ホンモノの坑道に入れるのは貴重な体験です。


 中に入れば、ひんやり。大雨が降り続き、決して暑い日ではなかったのですが、それでも温度差はかなりのものでした。温度計を見てみれば、19度。肌寒いわけです。
 坑道内には、江戸時代から近年まで続いた銅山の歴史が、分かりやすく解説してあります。


 模型や「体験」も交えて、時代ごとの暮らし方や技術の進歩も見えてきました。


 雨降る渓谷にたたずむ、旧端出場水力発電所。


 せっかくなので、「いよかんソフト」をペロリ。
 かの加藤茶も「いよかんの味がしてウマイ」と絶賛したとかで、もうちょっとマシなコメントはないものかと思っていましたが、実際食べてみれば最も言いえた感想だと思いました。


 時間は5時前、ぼちぼち今宵の宿に向かいます。なんせ市街地からの時間距離は、1時間10分。大雨も降り続いているので、ゆとりを持って出発です。
 ところどころで立派な橋やトンネルが現れるものの、離合もやっとという隘路も多く、新居浜市内とはいえテクニックを要するドライブコースです。


 標高も上がり、雲は頭上と眼下にあります。雷がごろごろ鳴り、不穏な天気が続きます。


 夕方6時前、森林公園ゆらぎの森の中にある「オーベルジュゆらぎ」に到着。レストランに併設された宿泊施設は、わずか8室というプチホテルです。
 中に入ると、なんだか薄暗い…なんと雷の影響を受け、停電しているのだとか。


 部屋の照明も、非常用。バッテリーはあと1時間しか持たないということで、ロウソクが準備されました。停電くらいすぐ復旧するだろうと思っていましたが、このあたりの電力は四国電力ではなく住友グループによる供給で、四電並みの対応は難しいそうです。
 とはいえ山あいの空気は涼しく、ロウソクだけで過ごす夜というのも日頃はできないこと。停電の夜というのも、いい経験かなという気持ちでした。


 電気が来なければお風呂も冷めてしまうということで、早めの入浴を促されました。温泉ではありませんが、山間の水を浸かった柔らかいお湯です。
 周囲が暗くなるにつれて、浴室の暗さも、ボトルの文字が読めないほどに。なくして気付く電気のありがたみを感じていた時、循環風呂のスイッチが入り、坪庭の照明が灯りました。電気、復旧!


 無事にレストランも明るくなりました。停電でもいいやとは思っていましたが、やはりおいしい料理は目でも愛でたいものです。
 オーベルジュゆらぎのディナーコースは、5千円から。某民放で愛媛No.1料理人の称号を勝ち取ったシェフが、腕を振るいます。


 フレンチのコースなんて、披露宴くらいでしか食べたことがありませんでしたが、新郎新婦の挨拶や余興のない中でのコース料理もおいしいものです(笑)。いつもはあまり飲まないワインなど頼んでみたりして、贅沢な時間が過ぎていきます。
 前菜のテリーヌは、しっかりホタテの味が染み出してきて、うまかった!


 メインディッシュは宮崎牛。じわっと広がる肉汁とバターの香りに、ノックアウトです。食後に翌日の行程を打ち合わせたのですが、ランチの場所を考える気力すら失うほどのうまさでした。
 山を越え谷を越えやって来た、静かな山里とは思えない、贅沢な時間が過ぎて行きました。

▼【3】に続く

新居浜の産業遺産を巡る【1】新居浜への道

2014年09月08日 |  □福岡発おでかけ日記
 ここ1年で、離島の旅によく出かけるようになった私。九州の離島はのどかなだけではなく、石炭や漁業などの産業で栄えた島も多く、それらを通じて最近は産業遺産にも関心が沸いてきました。
 単なる「廃墟」としての悲哀だけなく、文明開化や高度成長をけん引してきた自負・情熱の「残り香」に触れられる産業遺産。9月第1週の週末の旅は、銅山で活況を呈した街・愛媛県新居浜市のむかしと今を歩いてきました。


 九州から四国へは、海路が便利。航路も多く、目的地や予算に応じて賢く使い分けたいものです。今回は小倉~松山間の夜行便を利用するため、退勤後に夕方の高速バスで小倉を目指しました。
 久留米~小倉間の高速バスは、昨春まで90分に1本走っていたのですが、今や1日2本が残るのみ。しかし利用者がいるからこそ残っているわけで、遠距離通勤のサラリーマンや附設校の中学生が主な利用者でした。数は1桁ではありましたが…


 都市高速に入ってからは北九州の夜景を楽しみつつ、約2時間の午後8時半に小倉着。小倉駅の新幹線口で、腹ごしらえです。
 以前は「小倉食堂」なるフードコート形式のコーナーになってて、100系新幹線「グランドひかり」食堂車の座席が置いてあったのですが、いつの間にか普通の食堂街に。「おさかな家族 雑魚屋」の茶漬けを夕ご飯にしました。さらっと食べられて、うまい!


 小倉港の松山行き乗り場は、駅から徒歩10分以内というアクセスの良さが売り。フェリーはやとも2は、怪しげな光に輝く煙突を背景に待っていました。
 松山・小倉航路は「さんふらわあ」でお馴染み関西汽船の経営でしたが、業績不振から廃止となり、現在は石崎汽船の系列になっています。同時にかなり値上がりしましたが、存続してくれているだけでも よしとせねば。


 1週間の仕事で疲れていることを想定して、今回は2等寝台を予約(写真は翌朝撮影)。JRのB寝台に比べて天地は狭いですが、片道8,110円という運賃はまだまだ割安です。帰路に往路の乗船券を提示すれば、5,680円になります。
 小ぶりながら浴室もあるし、スナックコーナーでは生ビールや、関汽時代からの名物おでんも売っています。短距離ながら、船旅らしさは楽しめる航路です。


 関門海峡を「横切る」唯一の航路である、松山・小倉フェリー。出航してからは、小倉の工業地帯から、門司港レトロ、港街下関の夜景が展開していきます。デッキは、夜景を眺める人で賑わってきました。
 関門橋をくぐれば、瀬戸内の海へ。海の上を渡る秋風を浴びながらのビールは、最高! 船旅の醍醐味です。


 早朝5時、松山観光港着。関西汽船の頃は即、下船せねばなりませんでしたが、今は7時まで船内休憩できるようになりました。6時半までしっかり寝て、ゆっくり身支度を整えてから出発できます。まさに宿替わりの航路です。
 いよてつの連絡バスで、高浜駅へ抜けます。短い区間ですが、電車に合わせてきちんと接続バスを走らせているのは立派です。


 伊予鉄道高浜線の終点、高浜駅には、古い木造駅舎が健在。約20年前に初めていよてつに乗った時、古い駅舎を大切にしていることに驚いたものですが、さらに時代が下っても変わらない姿勢を貫いています。
 逆に、以前は置かれていた「今ふう」の自動券売機が姿を消し、食券の販売機のようなタイプに変わっていました。


 元京王本線の電車に揺られ、朝の松山市へ。「東京ラブストーリー」のロケ地として、あまりに有名な梅津寺駅を通過します。
 土曜日の朝とはいえ学生の姿も多く、松山市内に入る頃には満員状態に。高架化されている区間もあり、地方私鉄とはいえども「ローカル線」とは呼べない路線です。


 松山市駅着。改札口にずらりと並んでいた自動改札機は姿を消し、ICカードの簡易型リーダーがメインの位置に変わっていました。
 ICカードの普及できっぷの取り扱いが減ったことから、思い切った整理を図ったようです。


 今回の移動は、初めて「格安レンタカー」を利用してみました。イツモレンタカー・松山インター店は、松山市駅やJR松山駅までの送迎もやってもらえます。36時間の利用で、保険込み8,208円でした。
 あてがわれたデミオは10万キロ以上走っており、細かな傷はたくさん付いていましたが、移動という目的にはノープロブレム。インターもすぐそばなので、すぐに行動に移せます。


 同行者ともどもETCカードを忘れてしまったので、ひさびさに通行券を受取り松山道へ。2車線の道が続く、快適ドライブコースです。
 山を貫く高速道のルートは、海岸線をトレースするJRよりも短く、快適さはJR四国の苦境の背景と表裏にあります。


 石鎚山SAで休憩。フェリーに乗って石鎚山登山というのもいいなあ。


 SAでお土産品の「ばら売り」をやているのは嬉しく、母恵夢を一つ手に取りました。「みかん感」がぎっしり詰まっていたちゅうちゅうゼリーと合わせて、軽い朝ごはんです。
 お腹で愛媛を感じたところで出発。いよ西条ICで降り、国道11号線を東に走れば、目的地・新居浜です。

▼【2】に続く

別府ドライブ【2】まだまだ発見の楽しみがある街

2014年07月27日 |  □福岡発おでかけ日記

 明けて迎えた「海の日」。前日、床に就いたのは結局午前3時前。しかし貸切湯を8時に予約していたので、頑張って目覚めました。東側が海に面した別府の朝陽は強く、労せずとも自然に起きられましたが。
 3つある貸切湯は、宿泊者ならば無料で使えるのが嬉しい野上本館。ひのき風呂で、ダラダラと朝風呂を楽しみました。


 今日の予定はランチ以外、細かいことを決めておらず、勘とその場の情報で動くことにしました。
 まずは朝ごはんを食べに、鉄輪方面へ。目当てだった古い民家をリフォームした喫茶店は、残念ながら11時半のオープンでした。


 お腹に何か入れたいのはもちろんですが、数時間前に梅雨明けしたばかりのピーカン天気に頭はクラクラ。アイスののぼりを見つけて、土産屋に飛び込みました。
 店のおばさんオススメの長湯温泉の名物・豆腐アイスは、意外としっかり豆腐の味がしておいしかったです。


 鉄輪の「湯けむり展望台」へ。日本の風景遺産第2位に選ばれた「別府の湯けむり」を一望できる展望台ですが、そのものは駐車場があるだけの案外そっけないものでした。
 テレビや雑誌で見てきた風景が、目の前に。湯けむりは天候の左右されるもので、もっと盛大な日にも見てみたいものです。


 ランチは、石垣の馬家溝 (マチャコ)へ。名物の看板メニューはボルシチです。
 冬向きのメニューだとは思いますが、夏でもうまいものはうまい! 汗だくになりながら、熱いスープと格闘したのでした。


 さて昨日は、4時間少々しか寝ていない我々。昼間の惰眠をむさぼりたくなり、『別府 昼寝』でググった結果に従って、別府大学の「香りの博物館」(入場料:500円)を目指しました。
 世界各地の香水や、香りのエッセンスを展示した博物館で、オリジナルの香水作り体験もできる施設です。友人が元香料メーカー勤務だったこともあり、展示は展示で楽しめたのですが…


 今回の目的はアロマルーム(別途500円)。ほのかな香りの中、リラックスして30分間「眠れる」体験空間です。心地よい音楽に、ゆったりしたリクライニングシート。目を閉じれば、あっという間に夢の中へ…
 その熟睡度たるや大変なもので、たった30分の睡眠と思えないほど頭がスッキリ。「眠る」というおよそ旅の目的らしくない目的であっても、動き方によっては「体験」にできてしまうんですね。


 目覚めのコーヒーを飲もうと、鉄輪で見たフリーペーパーに載っていた、亀川の「海の見える丘のアトリエ」を目指しました。
 亀川は僕の出身地でもあるのですが、山手に足を踏み入れたことはなく、ホントにこんな所にカフェが?と思いつつ登り詰めた住宅街に、その店はありました。


 窓の外には別府湾が広がり、眼下には懐かしの亀川の街並み。エアコンがなくても、山手に涼しい風が吹き上げてきます。


 自然光の入る店内も、いい感じ。
 もとは個人の住宅だった建物とのことで、この風景が万人に開かれたのは嬉しいことです。


 チャイ(500円)は、APUの学生さんに伝授してもらったものとのこと。生姜の風味が効いています。
 APUの開校以来、外国人の比率が高まる別府。外国から持ち込まれる新たな文化も、いろんな所で根付いてきているようです。


 置いてある本も面白く、男3人、ついつい読みふけっていました。
 なお営業は月~木のみ。11時から『日暮れまで』という、自然体の営業時間もいかしてます。8月は「夏休み」とのことで、海の日の今日に巡り合えたのはラッキーなことでした。


 帰路は新装オープンの山田SAに立ち寄り、大砲ラーメン本店で締めて、週末旅行は終了。
 ひさびさに会った友人との語らいの時間は、別府の街の元気さでより有意義なものになったようでした。

別府ドライブ【1】復活、別府の魂。

2014年07月27日 |  □福岡発おでかけ日記
 「海の日」3連休の後半2日間は、帰省してきた友人と共に別府へドライブ旅行に出かけました。


 高速道路の割引も縮小されたので、のんびりと一般道を東へ。久留米から田主丸までは筑後川の土手沿い、田主丸からうきはへは210号バイパスを走れば、信号も少なく快適にドライブできます。
 うきはの金毘羅うどん虹店でランチ。金比羅うどん自体は、地元みやきにもあるのですが…


 虹店限定メニューがこれ、おろしカツうどん。舌代にもない いわゆる「裏メニュー」で、友人が仕事で立ち寄る時に出してもらっているものだとか。
 揚げたてのカツに、つるっとコシのあるうどんがマッチして、暑い時期のスタミナ食として食べたいメニューです。


 そのまま210号を進み、玖珠町の伐株山へ車を登らせました。6年前にはキャンプ道具一式を担いで登った山ですが、車でも10分そこそこかかり、若かりし日の体力を懐かしく思います。
 山頂からは、玖珠の盆地を一望。持参してきたコンロでコーヒーを沸かし、風に吹かれて一休みです。


 伐株山は、パラグライダーのメッカでもあります。自在に風を飛ぶ姿は、本当に気持ちよさそう。
 見る度に「やってみたい」と思うものの、その勇気が沸かないチキンです。


 ちょうどこの時間は、麓の久大本線豊後森駅に「ななつ星」がやって来る時間。2両の普通列車、最大でも4両の特急列車に比べれば、8両の「ななつ星」は破格の長さの列車です。
 列車の中からも、こちらの山を望んでいる頃でしょう。


 玖珠ICからは高速に乗って、ETC専用の別府湾SAスマートICでアウト。明礬温泉方面への近道ですが、下り線のみの設置なのでご注意を。帰りにも使おうとして立ち往生したのが、私です。
 おやつは、明礬の岡本屋さんの名物「地獄蒸しプリン」。ソースが苦めな、大人の味のプリンです。窓から見える明礬大橋や別府湾の風景も、合わせて楽しみたいところです。


 本日のお泊りは、別府のまちなか。路地裏の情緒も感じられる竹瓦温泉界隈にある…


 野上本館。最近では宴会を止め、一人旅でも気軽に温泉旅館に泊まれる「ツーリストルーム」を設けるなど、新たな在り方を模索されている旅館です。
 チェックイン時にすでにお布団が敷いてあるのも、お客さんを煩わせないための配慮。ついついダイビングして、外出する気力をなくしかけてしまいます(笑)。


 夕方6時を回ったので、竹瓦温泉前の「ヒットパレードクラブ」へ。ハウスバンドの生演奏を聴きながら、フリーのフードとドリンクを何時間でも楽しめる、別府の魂とも言うべきライブハウスです。
 春には一度閉店の危機を迎えましたが、新たな経営者を迎えて4月に復活しました。今回の旅の最大の目的でもあったのですが、なんと満席札止め!4時頃には行列ができており、早々に埋まったのだとか。人気なのは喜ばしいのですが、ショックです…。


 意気消沈のまま、晩飯を食べに北浜の「とよ常」本店に向かってみれば、こちらも11組待ちの大行列。別府には普通の週末(それもたいてい、金曜の夜)にしか行ったことがなかったので、連休中の人出に想像が至っていませんでした。
 気を取り直して、同じ「とよ常」の駅前店に行って見れば、こちらはカウンターに空席が。名物の特上天丼(750円!)にありつくことができました。


 食後は友人が気になっているという、北高架商店街へ足を向けてみました。別府の高架下商店街といえば、南側の「駅市場」が有名ですが、北には来た記憶そのものがありません。
 古びた商店街は、神戸のモトコーを思い出させるディープな雰囲気ですが、壁が塗りなおされ、ちょっとしゃれた雰囲気の明かりが漏れてきてます。


 入り口も、古きものは古きまま活かしつつ、新たなエッセンスを加えている感じです。


 高架下の通路には、チャンポン屋や喫茶店など昔ながらの店と、カフェやギャラリーなど若手経営者の店が仲良く並んでいます。改装中の店では、「店の子」も掃除に勤しんでいたのが印象的でした。
 七夕の飾りも、どこかアーティスティック。


 トイレも素っ気ない時代がかったものですが、ペンキと壁画、照明だけでこんなにも雰囲気が変わるものかとびっくり。
 まちなかの商店街とはまた一味違ったムーブメントで、今後も通ってみたいと思います。


 海沿いに出て、別府タワーへ。東京タワーや博多ポートタワーと同じ設計者の手によるもので、こちらも日本がいけいけどんどんだった時代の残り香を感じられる場所の一つです。


 展望料金はわずか200円ですが、高さがないので、大きく景色が広がるわけではありません。でもこの夜景、嫌いじゃないです。
 ワンフロア下には深夜まで営業しているラウンジがあるのですが、日曜日ということでカレンダー通り休業だったのは残念でした。


 さて諦めきれず、しつこくヒッパレの前へ通ってみていたのですが、3ステージ目が終わると、ぞろぞろっと子連れのグループが何組も出てきました。子連れでも安心できて、子どもも楽しめる店ですが、10時前とあっては眠くなる時間ですね。
 おかげで入れ替わりに入店できて、ラストまでの2ステージを楽しむことができました。大きなピンチの中で、何もかも変わらないままとはいかなかったみたいだけど、残ってくれただけでも感謝したいと思います。


 土曜日であれば1時までステージがあるのですが、今日は日曜日ということで、残念ながら12時には閉店。
 名残惜しくなり、宿でひとっ風呂浴びた後は再び街へ。「たこ焼きバー」でカクテルとたこ焼きを楽しみつつ、夜はふけて行きました。

太古と現代の動物に触れあう熊本・阿蘇ドライブ

2014年06月30日 |  □福岡発おでかけ日記
 職場の仲間に誘われ、梅雨の晴れ間の土曜日に熊本・阿蘇方面をドライブしました。
 朝8時に集合、3号線を南下して一路熊本へ。第一の目的地は、御船町の恐竜博物館です。


 御船は、日本で初めて肉食獣の化石が発見された恐竜の街。中核施設の博物館はこの4月に新装オープンしたばかりで、実物大の恐竜の骨格展示は迫力満点です!
 幼いころ学研「科学」を通じて興味を深めていた恐竜の世界に数十年ぶりに触れ、童心に還って楽しめました。恐竜絶滅「事件」を通じた、現代の人間活動に対する「問いかけ」が多かったのも興味深かったです。


 クルマを空港方面に転がし、11時半に馬肉レストラン「菅乃屋」へ。予約で満席状態でしたが、早く来たおかげで「1時間だけなら」と通してもらえました。


 今回のツアー名は「馬刺しの旅」でしたが、馬肉ハンバーグとステーキにひかれて「コンボ」に浮気。馬肉ベースだけにあっさりしてて、おいしかったです。カレーやデザートは食べ放題で、これで2千円はなかなかお値打ちかも。


 さらに阿蘇方面に走って、カドリー・ドミニオンへ。動物ショーを楽しめたり、かわいいワンちゃんに触れ合えたり…


 リアル カピパラさんに触れられたり…


 都会のネコカフェよりも、フレンドリーで芸達者なネコとも触れ合えたりする動物園です。


 水浴び、気持ちよさそうだなぁと呑気に眺めていたら、飼育員さんに怒られてました。ケンカが過ぎたようです。


 ひたすら隅っこに泳ぎ続けるアヒルちゃん。


 阿蘇の大自然を前に、たそがれるインコちゃん。


 敷地内には、立派な日本庭園を持つ神社が。
 なぜここに神社があるのか?具体的な説明が見当たらないのでナゾですが、みな何となく散策してました。外国人観光客には好評のようです。


 池のコイに餌を巻いたら、大変なことに…!今日見た動物の中で、もっとも飢えていました。


 帰路は熊本市内に立ち寄り、黒亭のラーメンで締め。
 自然の営みを見て、触れて、触れあって、おいしく味わってしまった1日でした。

福岡市中央区の「はしご蕎麦」にチャレンジ!

2014年06月09日 |  □福岡発おでかけ日記
 福岡市中央区では年に2回、区内に点在する蕎麦屋をはしごする「中央区でそばウォーク」を開催しています。特別メニューとして1品300円のミニ蕎麦や日本酒が準備され、はしご蕎麦&はしご酒を楽しめるイベントです。
 今回は6店舗が参加。蕎麦が大好きな僕としては食べ逃せない&飲み逃せないイベントで、お誘いを頂いたときには二つ返事で参加を決めてました。登山の翌日(6月8日)、重い足をひきずりつつ6店舗を巡ります。


 11時半にライオン広場に集合して、中央区のそば巡りがスタート。
 1軒目は、西鉄福岡駅から徒歩圏内の「コチソバ」さんへ。ビルの1階にある蕎麦屋らしからぬ!?店構えのお店です。


 十割そばをすすりつつの冷酒、うーんたまらん!これがあと5軒も続くと考えたら、幸せです。
 通常でも もりそば単品は530円とのことで、天神ランチにはもってこい。食べ歩きイベントは、知らない店に巡り合えるのも楽しみの一つです。


 2軒目は、薬院の「いまとみ」さん。蕎麦ウォークの幹事店でもあります。
 立派な店構えで、夜は数千円の蕎麦懐石も出しているとか。そんなお店にも、数百円握りしめて気兼ねなく入れるのは、食べ歩きイベントならでは。


 おろし蕎麦をずるり、春霞をごくり。うまい。


 3軒目は、薬院大通の「ひら川」さん。マンションの1階ながら、こちらもお洒落な店構えです。
 1、2軒目はすぐに入れたのですが、こちらは行列で20分ほど待ちました。


 お腹が空いていたので、レギュラーメニューの「せいろそば」を食す!
 お酒は、産地福島でも入手困難という飛露喜。蕎麦と冷酒の組み合わせは無敵と思いますが、それぞれの店舗ごとに酒の品揃えには個性があり、こだわりを持って選ばれているようです。


 バスで六本松へ飛び、4軒目の「和(なごみ)」へ。
 店の前に停まっているベロタクシーはイベントに協賛していて、店舗間を300~500円/人で走ってくれます。


 こちらは通常メニューを出さず、ウォークのメニューに専念されていました。日本酒の品揃えが多く、目移りしてしまいます。
 カウンターの雰囲気もよく、しみじみ飲みに来たいお店です。


 九大の六本松キャンパス跡地は再開発が始まっており、大学だった面影は完全に消えようとしていました。


 大濠公園を歩き、5軒目の木曽路へ。和の前に待機していたベロタクシーが、先回りしていました。


 6軒の中でも最も大きな店ですが、昼はウォークの参加者で てんてこ舞いだったとのこと。夕方4時に来たおかげで、ゆっくり座ることができました。
 ワイングラスに注がれた酒の香りを楽しみつつ、300円にしてはしっかりしたボリュームのもりそばをズルリ。そば湯のトロリ感がハンパなく、ポタージュでも飲んでいる気分でした。


 さあ、ラストスパート! 完走の6軒目は、出谷左衛門…だったのですが、まさかの品切れ!夜7時の閉店までには2時間あったのですが、想定外の人気だったようです。
 5軒のスタンプを集めた台紙は、いずれの店でも使える千円食事券になります。完走できなかったのは悔しいけど、千円食事券を握りしめ出谷左衛門へ再訪することを期しました。

ミヤマキリシマ求めくじゅう・平治岳へ

2014年06月08日 |  □福岡発おでかけ日記
 梅雨入り後初の週末・6月7日(土曜日)は、見ごろを迎えたくじゅうのミヤマキリシマを見に、山登りへ出かけました。
 ほぼ2年ぶりの山登りは、前回と同じく某大学ワンダーフォーゲル元部長の先導。大船に乗った気分です。


 麓となる大分・庄内の男池へは、久留米からだと日田経由で210号線を横断していくのがメインルート。しかし今回は八女からのメンバーもいたので、中津江経由・442号線で行くことになりました。
 幼いころから何十回と通った210号に比べ、初めてのルートだけに新鮮。中津江は、ワールドカップに向けて盛り上がっているようでした。


 ちょっと出遅れて、11時に男池着。駐車場は満杯で路上駐車も多かったのですが、早朝登山の人が帰って行ったのか、駐車場に1台だけ空きが見つかりラッキーでした。
 準備運動を終え、山登り開始! 国立公園内だけありブナ林の植生は豊かで、歩いていても楽しいです。


 約20分ほどで、湧水の「かくし水」へ。飲んでもおいしい冷たい水で顔を洗って、気合いを入れなおしました。
 遅い時間だったので下山してくる人と何度もすれ違いますが、何度も「本当にきれいだから、がんばって!」と励まされ嬉しくなります。2時間半をかけて登った大戸越で待っていたのは…


 満開のミヤマキリシマ! 写真では何度も見てきた景色ですが、この目で見ると鮮やかさが違います。来てよかった…。
 多くの登山者とともに、一休み。ラーメンとコーヒーで、少し冷えてきた体を温めました。


 重い荷物は置いて、山頂への登頂を再スタート。見上げても美しいミヤマキリシマですが、上から俯瞰すると花びらが幾重にも重なり、また違った美しさがありました。
 ただ少しずつガスが増してきて、パラパラと雨も降り始めれば…


 いつしか本降りの雨に。あいにく大戸越に合羽を置いてきたメンバーもおり、風邪が心配になります。頂上は目前でしたが、登っても何も見えないだろうし、引き返す勇気も肝心! と、山頂行きは諦めることに。いずれまた、再チャレンジしたいものです。
 雨をさえぎるものがない大戸越~山頂の道は、あっという間にドロドロ状態に。転ばないよう慎重に下りますが、靴もズボンも泥んこになりました。


 大戸越に置いていた荷物には、誰かが合羽をかけていてくれました。ありがたいことです。


 大戸越から麓へは森の中なので、思っていたよりは足元が安定していました。もやに包まれた森は幻想的で、熱帯雨林の中を歩いているようです。
 5時半には下山。筋湯温泉の打たせ湯で足の疲れを癒し、無事に久留米へと帰ってくることができました。

小川島でイカ合宿【2】島をぐるり一回り

2014年01月24日 |  □福岡発おでかけ日記

 1月最初の3連休の最終日・1月13日は、小中学校の向こう側に浮かぶ太陽を拝んでスタートしました。


 小中学校のグラウンドの隅に置かれた真新しい機械は、このような用途のために置かれています…。


 朝ごはんの向こう側には、海。


 玄海灘は船の大通りで、貨物船に漁船、壱岐・対馬方面のフェリーなどが頻繁に行き交います。
 白波が立っており、船長さんたちは神経を使う海域でしょう。


 お腹いっぱいになったところで、朝の島めぐりに出発!
 小高い祠に上がると、集落を望むことができました。港に近いごく狭い範囲に、肩を寄せ合うように暮らす様子が伺えます。


 人の集まる港の周辺でも、空き家がチラホラ…
 人のいなくなった家は、不思議なほど急速に朽ちて行きます。


 でも18年前に癒された海の美しさは、変わりません。
 港は、海の底まで見通せるほどの透明度です。150万都市、福岡から2時間かからない場所とは信じられないほどです。


 海へ飛ばされた傘は、海底で持ち主に帰る日を待っている…わけないか!


 路地に入れば、いろんな発見があります。
 こちらは島で唯一の雑貨屋さん。酒屋もあるので、ひとまずの食糧・酒類は手に入ります。ただお値段は輸送のコストもかかのでしょう、ややお高めでした。


 瓦を積んだ塀。


 レンガ塀の意匠は、輝く朝陽。


 楽しい時間は早く過ぎるもので、あっという間に帰りの船の時間。
 両端が高くなった、独特の島影が遠ざかって行きます。また夏にでも来たいものです。


 呼子といえばイカ!最後に、いかしゅうまい定食をランチにしました。
 身近でも、遠くに行った気分。充実の週末でした。