sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

「屋根裏の仏さま」

2017-01-12 | 本とか
以前、評価の高いアリス・マンローの小説を読んだときに、
いまひとつ好きじゃなくて、すぐ人にあげちゃったのは、
翻訳家の文章が合わないからかなぁとぼんやり思ってた。
何度読んでも途中で主語が誰になったのかわからなくなって・・・。
この「屋根裏の仏さま」も同じ翻訳家で、そういう部分があって、
途中かなり混乱したけど、読み進むと、この本はそれでいい本だったのでした。
・・・ん?誰のお父さん?お父さんのお父さん?え?娘って本人のこと?
あ?お父さんがいなくなったのになんで両親が何か言うの?
両親じゃないはずやん?・・・というようなところばかりなのですが、
実はこれは元々がそういう本だったのでした!
主語の多くが「わたしたち」であって、ひとりの特定の誰かではないのです。
多くのいろいろな女性の声を、一つの繋がった物語にせずに、
ドキュメンタリーのように羅列するような文体で紡いでいき、
少しずつ、特定のひとりのものでない大きな物語を構築していく形の、小説。

1900年ごろ、アメリカに移民した日本人男性の花嫁として
写真だけを頼りに渡米した日本人女性たちの話です。
船の上から、到着、夫になる男、結婚生活、労働、出産、育児、
そして戦争、強制収用所に連行されたあとの町の様子までが描かれていますが、
シンプルながら独特の手法で、当時の女たちの心の声を拾い上げていきます。
その淡々と羅列される数々の声の切実さたるや!
その切実さに圧倒されながら、少しずつ丁寧に読み進めるしかできませんでした。
これの映画化をするならドキュメンタリータッチで断片をしっかり作り込んだ
とても細かいカットのオムニバスがいいかなぁなどとと考えながら読みました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
連続した一人の主人公の一つの物語、ではないので
それぞれの「わたし」の言葉も前後や脈絡があるものではなくばらばらで、
なんとなくTwitterのつぶやきを眺めているようなリズムで読んだのですが
中にいくつか気になるつぶやきがあります。
たとえば、捨てた夫、全く愛してない愛したことがない夫のことを
たまに思い出して古い写真を見る、というようなところ。
新しい知らない国で、いつまでも古い写真を持っているというのは
過去や思い出が欲しい、どんなひどいものだったとしてもということなんだと思う。
過去や思い出のない自分って、まるでからっぽで自分でないみたいだからかなと。
女たちはからっぽになって海を渡ったのでした。

アメリカに着いたら写真とは全然違う男たちが待ってて、でも女に選択肢はない。
決められた相手と夫婦になって厳しい労働の日々が始まりますが、
この時代の男が親戚も友達も世間もないところで
女たちに平気でする仕打ちの酷さを読み、想像すると
アリス・ウォーカーを読んでいるような気持ちになって胸が苦しい。
その後戦争が始まり日系人は強制収容所に入れられるんだけど、
運命に翻弄される女たちを最初にひどい目に合わせるのは、
戦争や時代の大きな事件以前に、まず、いつも身近な男たちなのだな。
父親や夫や雇い主。その辺もまたアリス・ウォーカーの小説を思い浮かべる。

この本の女たちが受ける、あらゆる差別や苦労の中で一番腹がたつのが
夫からのひどい仕打ちであることは、
自分の問題意識に一番刺さることが女性差別や理不尽な家父長制への憤りだから。
自分自身のこれまでの人生が、そういうことへの関心や怒りを、
結局左右してるんだろうな。
わたしの場合、特に夫にされたひどい仕打ちというわけではなくても、
父など、家族の中で男たちが女たちをどれだけ酷く扱ってきたか身にしみているので
黒人文学を読んでも、白人の黒人への差別以上に、
何より気持ちをかき乱されるのは、男たちの女たちへの暴力になるし
この本でもやっぱりそうです。

思いやりのかけらもない傍若無人な夫たちに好き勝手に蹂躙されてた女性たちが、
子どもができて、子どもと添い寝することを、
同じ寝床に人がいても嫌じゃない気持ちをアメリカに来て初めて知った、
というところとか、胸がつぶれそうになって泣いてしまう。
初めて、自分に暴力を振るわない、自分を愛してくれるものに癒されること。
初めて、誰かと一緒にいるのが幸せで心休まると感じること。
これ書いてるだけで泣けてくる。
理不尽な差別の下でどれだけ当たり前のことも持てずに生きてきたのだろう。
どれだけのことを諦めてきたのだろう。

朝は夫より早く起きて食事の用意をして洗濯をして、
夫と一緒に畑に行き子どもの様子を見ながら夫と同じだけ働き続け、
帰ったらまた食事を作り繕い物をし、子供の世話をし、夫に夜の相手をさせられ、
家族がみんな眠った後にやっと少しだけ眠れる生活。休みなく毎日毎日毎日。
子供を産んでも翌日には夫と一緒に畑に出て働かされる。
それでも一番偉いのは男たち。女はただ服従。
それはアメリカの貧しい移民だからだけではなく、
日本でも多くの他の国でも、そういうのが普通のことだったんだろうなぁ。

そういう暮らしの中で、戦争が起こって、
日系人たちはみな敵性外国人として強制収容所に入れられることになる。
騒ぐことなく反抗もせずに粛々と連行されていく日本人たち。
女は諦めることしか生きる方法がなかったから、なんでも結局は諦めてきたけど
ここでは男たちも諦めて運命に従っていく。
家ではどんなに強い男も、戦争になるとただの弱い存在の敵性外国人でしかない。

その一方で、
小説の中で、そうやって金持ちにも白人にも夫にも差別され続けてきた女たちも、
無謬の被害者ではなく、ときには中国人やフィリピン人を差別する。
差別というものは、あまりにどの時代のどこにでもあるので、
主語や目的語はあんまり意味がないような気がしてくる。
誰が誰を、何を差別するかに意味はなく、そこにある者がそこにある者にする、
いつもどこにでもあるものなのか。

真珠湾攻撃の後、アメリカでは日系人たちに関して様々なデマが湧き出る、
貯水池に毒を流したとか。
後に日本人たちも日本で同様に、
朝鮮人に対して同様なデマを流し多くの人が信じましたね。ああ、
ほらね、差別には本来、主語も目的語も関係ない。いつでもどこにでもある。

人間は、たまたまいる場所でたまたま差別できる相手を差別するだけだ。
差別がそういう状況の産物で、それに逆らう理性がないのが人間なら、
あきらめるしかないのかと暗澹たる気持ちになる。
あまりにいつでもどこでもずっと繰り返されて来たことだろうから。

この小説のラストは、静かで淡々とした文章で
日本人が誰もいなくなった町のその後の描写で終わります。
大きな物語ではないのに、大きな物語を感じさせるいい本でした。
2016年に読んだ中で一番の本かもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿