数年前、本屋さんに関する本をたくさん読んでいたことがあった。
本屋さんの書いた本、世界の本屋についての本、
本屋を始めることについての本…
「奇跡の本屋をつくりたい」「まちの本屋」「本屋はじめました title」
「本屋になりたい「わたしの小さな古本屋「古くて新しい仕事」
「世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話」 etc...
わたしは本を読めなくなった時期があったし、それが治るまで随分かかったので
若い時以外ではさほどたくさん読んでいる人ではないのだけど
本屋さんに憧れがあったのでしょうね。
本屋さん関連の本をたくさん買って、半分くらいは読んだけど、まだあと10冊弱残ってる。
久しぶりにその中からまだ読んでない本を1冊、お風呂でゆっくり読みました。
熊本の橙書店という本屋さんの方が書かれた本です。
この本を買ってから読むまでの間に「苦海浄土」を読んだし、水俣にも行ったし
京都から熊本に引っ越した本屋さん「カライモブックス」にも行ったし、
気がつくと少し熊本の本や文学や本屋さんの世界が少し身近になっていました。
元々この著者の田尻久子さんは、熊本の地震の直前に「アルテリ」という文芸誌を
数名の有志と創刊したそうなのですが、その発案をしたのが
「苦海浄土」の石牟礼道子さんを支え続けた渡辺京二さんで、
著者は当時ご存命だった石牟礼さんとも交流があったようですね。
熊本で、文学に関わっておられる方は、繋がってるんだなぁ。いい繋がり。
最初は喫茶店をやっていた著者が隣の物件も借りて
喫茶店と行き来できるドアをつけて本屋さんも始め、多くの人が訪れるようになったのですが
その交流範囲は熊本にとどまらず、世界的に有名な写真家の川内倫子さんの話などもあって
地方で小さな店をやることでこんなに広い世界を持つこともできるのは
この方の魅力によるものでしょう、やや淡々としながらしみじみと良い文章を書かれます。
以下少し引用
「物心ついた頃から、たくさんあることが苦手だったように思う。店内を一度に見渡せる本屋さんは、心が安らいだ。どんなに狭くても、不十分な品揃えでも、そこは小さな私にとって無限に広がる場所だった。たくさんあると、そわそわ落ち着かない。あれもあり、これもあると急かされているようで辛くなる。」
わたしのことか!と思った。このブログでも何度も大きな本屋さんや多すぎる情報に
わたしはパニックになってしまうと書きましたね。
著者が武田百合子の随筆集「ことばの食卓」の中で一番好きな部分は、
夫の泰淳が枇杷を食べた時に言った言葉から続くところだで、それは
「こういう味のものが、丁度食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなぁ」
というところなんだけど、この感慨もよくわかる。田尻さんではなく武田百合子の文章ですが。
言葉を発することのない胎児性水俣病患者の話では、
彼らは言葉だけでなく生活も奪われた、私たちみんなが奪ったのだと言う。
「彼らは、体中でことばを発していたのかもしれない。私たちが使っているよりも、ずっと雄弁なことばを持っていたのかもしれない。猫だって、言葉を持っていないのではなく、彼らの行動がことばそのものだ。その猫たちが最初に水俣病になった。私たちは彼らにも謝り続けなければならない」
猫がここで出てくることを不謹慎だと言う人がいるかもしれないけど違うよね。
「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年をとって涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がつくのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う、言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう。」
本屋さんの書いた本、世界の本屋についての本、
本屋を始めることについての本…
「奇跡の本屋をつくりたい」「まちの本屋」「本屋はじめました title」
「本屋になりたい「わたしの小さな古本屋「古くて新しい仕事」
「世界の夢の本屋さんに聞いた素敵な話」 etc...
わたしは本を読めなくなった時期があったし、それが治るまで随分かかったので
若い時以外ではさほどたくさん読んでいる人ではないのだけど
本屋さんに憧れがあったのでしょうね。
本屋さん関連の本をたくさん買って、半分くらいは読んだけど、まだあと10冊弱残ってる。
久しぶりにその中からまだ読んでない本を1冊、お風呂でゆっくり読みました。
熊本の橙書店という本屋さんの方が書かれた本です。
この本を買ってから読むまでの間に「苦海浄土」を読んだし、水俣にも行ったし
京都から熊本に引っ越した本屋さん「カライモブックス」にも行ったし、
気がつくと少し熊本の本や文学や本屋さんの世界が少し身近になっていました。
元々この著者の田尻久子さんは、熊本の地震の直前に「アルテリ」という文芸誌を
数名の有志と創刊したそうなのですが、その発案をしたのが
「苦海浄土」の石牟礼道子さんを支え続けた渡辺京二さんで、
著者は当時ご存命だった石牟礼さんとも交流があったようですね。
熊本で、文学に関わっておられる方は、繋がってるんだなぁ。いい繋がり。
最初は喫茶店をやっていた著者が隣の物件も借りて
喫茶店と行き来できるドアをつけて本屋さんも始め、多くの人が訪れるようになったのですが
その交流範囲は熊本にとどまらず、世界的に有名な写真家の川内倫子さんの話などもあって
地方で小さな店をやることでこんなに広い世界を持つこともできるのは
この方の魅力によるものでしょう、やや淡々としながらしみじみと良い文章を書かれます。
以下少し引用
「物心ついた頃から、たくさんあることが苦手だったように思う。店内を一度に見渡せる本屋さんは、心が安らいだ。どんなに狭くても、不十分な品揃えでも、そこは小さな私にとって無限に広がる場所だった。たくさんあると、そわそわ落ち着かない。あれもあり、これもあると急かされているようで辛くなる。」
わたしのことか!と思った。このブログでも何度も大きな本屋さんや多すぎる情報に
わたしはパニックになってしまうと書きましたね。
著者が武田百合子の随筆集「ことばの食卓」の中で一番好きな部分は、
夫の泰淳が枇杷を食べた時に言った言葉から続くところだで、それは
「こういう味のものが、丁度食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなぁ」
というところなんだけど、この感慨もよくわかる。田尻さんではなく武田百合子の文章ですが。
言葉を発することのない胎児性水俣病患者の話では、
彼らは言葉だけでなく生活も奪われた、私たちみんなが奪ったのだと言う。
「彼らは、体中でことばを発していたのかもしれない。私たちが使っているよりも、ずっと雄弁なことばを持っていたのかもしれない。猫だって、言葉を持っていないのではなく、彼らの行動がことばそのものだ。その猫たちが最初に水俣病になった。私たちは彼らにも謝り続けなければならない」
猫がここで出てくることを不謹慎だと言う人がいるかもしれないけど違うよね。
「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年をとって涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がつくのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う、言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう。」
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