sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

アンとローラと家族のこと

2024-09-23 | 本とか
少女の頃はほぼ「赤毛のアン」に育てられたと言っていいわたしで
「赤毛のアン」は何十回読んだかわからない。
その続編の「アンの青春」も5、6回は読んでるし、その次の「アンの愛情」も3、4回、
その後に続く10巻までも2度以上は読んでると思う。
でも3巻以降は20代以降は読んでないと思うので、
今30年、40年ぶりに読み返してるんだけど、今読んでもすごく面白いし
昔と変わらず、いやそれ以上に惹かれます。
30代40代には、もう興味も失って、おそらく幼稚で退屈に思う気がしてたけど
全然そんなことはなかった。むしろ今の方が色々考えることができる気がする。

たとえば、子供の頃にテレビドラマでよくみていた「大草原の小さな家」との違いだ。
これはテレビドラマとしては楽しんだと思うけど、原作を読んでハマったりはしなかった。
違っていたのは、アンには大きくて強くて家族を守るお父さんという存在はなく、
孤児のアンを育てることになったマリラとマシュウ兄妹と彼女は血のつながりがないこと。
でも無理に擬似親子になろうとすることもなく、
お父さんお母さんと呼ばせるどころかファーストネームでマリラと呼ばせるし、
引き取って育てても姓を変えることもしない。
あくまでアン・シャーリーと保護者である老クスバート兄妹という関係のまま
暖かい絆を築いていき、やがてはどんな家族よりも愛し合う一家となるとこが
「大草原の小さな家」とは違う。

140年前のカナダが舞台で、コンサバな家父長制の時代のなので、
小説の中でもそういう価値観は否定はされてはいないんだけど、
どこかにそれに縛られない個人の自由の余地がある世界だったから、
わたしはあんなに惹かれたのだろうな。
それから140年後の日本でいまだに苗字が違うと家族の一体感が損なわれるとか、
血のつながりがどうとか言い張る政治家の政党が支持されてるけど、
一体なんなんでしょうかねそれ。

(写真は80年代少女時代のわたし笑

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