きれいな映画だし、トランアンユンが美術監督?やってて素晴らしいんだけど、
こういうの欧米人好きよねぇという感じに、少し不満が。
ソフトフォーカスで被写界深度浅く撮る美しい裸体の柔らかい動きとか、
そのまま欧米のロマンチックラブストーリーのきれいな一場面だし、
全体にアジアの混沌もどこにもなく秩序と調和の美しい世界だけが描かれてる。
トランアンユンの「夏の香り」「夏至」にはちらりと透けて見えたアジアのアジア感のかわりに、
欧米人の好む美しく深淵でたおやかなアジアだけがある。
そういうことに気がつかないフリをして見ると、とてもいい映画。
とにかくきれいだし、全然嫌いじゃないですよ。でもなんだか、わたしには手放しで褒められない。
なんかこの欧米的に漂白されたかのようなきれいすぎる美しさに、もやもやもやっと。笑
幻想的なのは全然いいんだけど、幻想的なんじゃなく
作る側が画面のきれいさに流されてるというか
そっちに支配されてしまってる感じしてしまうのです。
トラン・アン・ユン監督の映画にはそういうところは感じなかったんですけど
トラン・アン・ユン映画やアジアの映画を見慣れてない日本の人たちは絶賛してた気がする。
まあ、映画は全体的にとにかくきれいだから、それはそれでいいのかもねぇ。
一夫多妻の19世紀ベトナム、あるお金持ちの家に嫁いできた14歳の第三夫人の目から見た世界。
第一、第二夫人との確執の話かと思ったら、特にえげつないものはなくむしろ優しい関係で
夫の人も支配的な悪い人でもなく、わりと淡々とした日常なんですよ。
でもこういうゆったりたおやかな日常こそが西欧の人が見るとたまらないんだろうなと思うし
すっかり西欧化した日本の人が見ても褒めるのはよくわかるなぁ。
家族の中で細々した出来事はあるけど、一つの大きなストーリーがある感じではないです。
でも映像はきれいなので退屈はしないし、目に気持ちいいです。
そして宣伝で言われてるほどの官能は別にない・・・と思った。笑
この家の長男、恋ボケでなんの責任も取れないガキのくせに駄々をこねて
罪のない者を傷つける馬鹿息子が出てきます。
まだ若くて分別がないだけの青年だと同情的に見ようとしたけど
ああ、男はガキで馬鹿だなぁ、ガキで馬鹿なやつが恋愛とかしてんじゃないよ、とか思う。
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