sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

水俣修学旅行2:水俣病資料館

2024-06-20 | 一人旅たまに人と旅
さて、新幹線新水俣駅から肥薩おれんじ鉄道に乗り換えて水俣駅下車。
駅のすぐ前の道を渡ると、そこがあのチッソ(旧日本窒素肥料株式会社)でした。
というかチッソがあるところに駅ができたのか。
都会に住んでいると大きな企業はいくつもあってわかりにくいんだけど
地方で大企業が王国のようになっているのってこういうことなのだなと実感。
行政や政治までもなんでも全部、その企業あってのもので、
そこに暮らす全ての人々に影響を及ぼすのです。

水俣駅からまず最初に向かったのが水俣市立水俣病資料館。

駅から西へ、不知火海に突き出たエコパーク水俣にあります。
すごくきれいな場所で海の方を見ると石牟礼さんの書いた美しい入江を思い浮かべる。



水俣病資料館は、
・過去の水俣の海の豊穣、
・大企業チッソの工業都市化による地域の繁栄、
・水俣病の発生、対応の遅れ、被害の拡大と被害者の困窮や差別、そして闘い
・環境復元と再生に向けて環境モデル都市水俣へ

という感じで分かりやすく展示されていて興味深く見学した。


これはチッソ水俣工場が強い毒性を持つ排水を流した百間排水口の複製ジオラマ。
主として水俣百間地区にあるこの排水口から水俣湾へと流され水俣病はここから始まった。


これはある水俣病患者が半年で飲んだ薬。
治すためではなく症状を和らげるためのものとのことだけど
なんという強いインパクトで訴えかけてくることか。

でも、資料館全体の見学を終えると、水俣病に向き合い批判や反省をする姿勢は見えるものの
現状やこれからのことに関しては、なんだかきれいごとだけを言っているように思えた。
そしてこのエコパークという場所自体が水銀のヘドロなどの汚泥を埋め立てたところだと知ると
何もかもきれいに整備されたこの場所に対して、なんとなくもやっとした気持ちが残る。
熊本県水俣市のサイトを見ると
>水俣市は、環境に対する意識の高さや取り組みで全国的に知られています。水俣湾を埋め立てた「エコパーク水俣」には、花や緑に包まれた公園や海と親しめる親水護岸や道の駅みなまた内のバラ園等が創られ、未来へ向け、美しく変貌を遂げ始めています。
>58ヘクタールという広大な埋立地に広がるエコパーク水俣。道の駅みなまたや美しい日本庭園「竹林園」などがあり、優雅な名前の恋路島(こいじしま)を望む海岸線には、汐の香りと波の音を聞きながら散歩ができる、長さ465mにわたって親水護岸が続いています。
>また、岬の突端にある4ヘクタールの敷地には熊本県環境センターをはじめとした環境に関する施設があります。その海沿いには広々とした芝生公園が整備されており、天気のいい日には白い帆の打たせ船が並ぶ美しい光景を見ることもでき、ランチタイムや一休みに格好のロケーションです。

と、これまたずいぶんきれいなことの羅列だった。
この足の下には今も多くの人に健康被害をもたらし、その人生を奪った水銀が埋まっているし
水俣病の認定や補償の問題で今も苦しんでいる人がいるというのに、
まるで過去と断絶され、生まれ変わった新しいきらきらした場所みたいな書き方だ。

資料館のサイトの埋立地に関するQ&Aを見ると、
Q:水俣湾埋立地はヘドロが広がっていた範囲よりもせまいのですが、水俣湾のヘドロは残っていないのですか?
A:水俣湾の埋め立てられていない場所にたまっていた、高濃度(25ppm以上)の水銀ヘドロは掃除機のようなもので吸い上げて、水俣湾埋立地の下に埋め立てました。それ以下のヘドロは残されていますが、人間の体に影響はありません。


Q:今の水俣湾の漁業はどうなっているのですか?
A:水俣湾の魚は安全になったので、漁業も行われています。一般の人たちも自由に魚釣りを することができます。

と、やっぱりもう水俣病のことは全部過去になったような書きぶりだなぁ。

以下は参考までに、公益財団法人森林文化協会のサイトより
水俣病のような被害を二度と起こさない決意が込められた「水俣条約」が16日発効し、水銀が世界的に規制されることになった。ただ、条約名に冠された熊本県水俣市には、かつて垂れ流された水銀が今も埋められたままだ。この先も適切に管理し続けられるのか。懸念は根強い。
 不知火海に面した広大な埋め立て地に芝生の広場やバラ園、テニスコートなどが並ぶ水俣市の公園「エコパーク水俣」。その地下には、水銀を含む汚泥が今も眠っている。
埋め立て地は、水俣病の原因企業チッソが長年水銀を含む排水を流してきた水俣湾の奥部にあたる。水銀値の高い汚泥がたまったエリアを鋼板で囲って海と仕切り、そこに水銀値が比較的低い沖合の汚泥を浚渫(しゅんせつ)して埋め立て、さらに、汚染されていない山の土で覆った。全体で約58ヘクタール。1982~85年に鋼板を設け、90年に埋め立てが完成した。
 鋼板の耐用年数は約50年とされていた。熊本県は、腐食の進行が想定より遅いとして少なくとも2050年ごろまで性能を維持できるとしているが、その後の方針は決まっていない。
 元国立水俣病総合研究センター国際・総合研究部長で、今も水俣で水銀の研究を続ける赤木洋勝さん(75)は、地震で埋め立て地が液状化し、水銀を含む水が地表に噴き出すことを懸念する。「水銀を集めて囲っただけの場所。汚染が残ったまま条約の地をアピールするのはちぐはぐだ」と話す。
 熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)は、750億円かければ、埋め立て地の水銀汚泥を掘り起こし浄化することができる、との試算を14年に発表した。鋼板や護岸はいずれ更新しなければならず、この先、大地震や大津波に襲われるかもしれない。「ずっと未来まで鋼板や護岸をつくり続けるのか。後世に大きな負の遺産を残したままでは、水俣病の教訓を生かすことにならない」と指摘する。
 水俣条約12条は、水銀で汚染された場所を「汚染サイト」として特定し、リスクを評価して管理する努力を締約国に求めている。だが、埋め立て地について熊本県は「今も安全性を確認しながら管理しており、問題はない」、環境省も「既存の土壌汚染対策法で対応が可能だ」として、汚染サイトとすることに消極的だ。

県や国の見たくないものには蓋をするような姿勢は、水俣病発生の時から
あまり変わってないのではという気持ちになる。

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