何度かこの本の内容の一部に関してブログに書いたけど、やっと全部読み終わった。
ジャーナリストの人が書いたノンフィクションで、刑務所内での読書会の話。
文章はなんだか教科書的というか、面白くないんだけど
内容はいろいろと興味深くて、読んでいて面白かったです。
寝る前にベッドで1章ずつ読んでひと月くらいかかった。
刑務所の様子や受刑者たちについても、知らないことばかりだけど
カナダの話なので、読まれる本は英語は英語でもカナダの作家が多くて、
カナダではおそらくベストセラーやロングセラーの有名な本でも、
わたしは知らないものばかりで、わたしの世界って小さいなと気付きました。
そして、このドキュメンタリーの進行と同時に、
読書会で取り上げられるそういう未知の本についても同時に少し知ることができるので、
2倍面白いお得な本でした。
家の前で暴漢に襲われたことがあってPTSDに悩まされている著者は、
友達のキャロルに誘われて刑務所内での読書会のボランティアメンバーとなる。
著者個人の、恐怖と不安を乗り越えていく様子をところどころに挟みながら
何箇所かの刑務所での読書会の様子が、1章につき1冊か2冊分ずつ語られていきます。
個性豊かな男性受刑者たちがいて、本を読みながらいろんな話をする中には
鋭い考察や、共感性や、想像力の感じられる意見もたくさん出るし、
それぞれの受刑者たちとの交流も深まっていく。
著者もキャロルも、裕福なインテリ家庭の人たちで、
彼女らの刑務所に関係のない別の女性読書会では、センスのいい豪華なおうちで
ふわふわのソファに座って洒落たフードやカクテルなど飲みながら
穏やかにリラックスした優雅な会をしている。
そこにはほとんどの受刑者たちの育ってきた環境との大きな格差が見えます。
例えば、キャロルはかなり強引に積極的に寄付を募る。
キャロルは慣習として収入の1割を寄付する家庭で育っただけに、他の人たちにもハードルを高く設定し、友人といえども手加減なく懐の広さを要求する。シャンパンと牡蠣を楽しんだパーティからわずか6日後、募金申し込みカードを持ち帰った招待客のひとりに、キャロルは電話をした。「ね、ジョン、ジョン」とたたみかける。「マタイによる福音書第6章には、『地上に富を積んではならない』とあるわよ」。……ジョンは笑って、しぶしぶ5000ドルを寄付した。
こういう強制に近い寄付集めが笑って許されるのは、
それぞれが近い価値観を持つだけでなく、十分以上に裕福な社会に属していて
余裕がたっぷりあるからだなぁ、と
日本ではあまり一般的ではなさそうな光景にへえ〜っと思う。
でもわたしもこの本の著者もそれは別に矛盾することではないと思ってます。
住む世界が違うのはその人の責任ではないし仕方ないし、
それぞれの世界でできることをやっていくしかない。
ただ、他の世界の存在を知る努力をし、さらにその格差を少しでも
縮めてたくさんの人を助けようとしているキャロルは立派だと思います。
そして本の最後の文で、著者はこう書いてる。
あるとき、こんなふうに訊ねられた。もしどちらかひとつの読書会に参加するとしたら、トロ ントの女性読書会を選ぶか、それともコリンズ・ベイあるいはビーバークリークを選ぶか、と。 あえて言うなら、わたしは刑務所の読書会を選ぶ。ワィンもビールも、洋梨とリンゴのクランブルケーキも、珍しいチーズもあきらめて、刑務所の一室に受刑者たちとともに集うだろう。なぜ なら、彼らの読書会には切実な思いが詰まっているし、あの場では、彼ら自身の人生やわたしの 人生を変えるようなことさえ起こりうるからだ。彼らの言葉の少なくともひとつは、これから先もずっとわたしとともにあるにちがいない。
やや長い本だけど、ドキュメンタリーで特にストーリーがあるものではないので
いくつか引用。
キャロルの言葉>「読書の楽しみの半分は、ひとりですること、つまり本を読むことよ」と秘密を打ちあけるような口調で語りかける。「あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。それによって内容を深く理解できるようになる。本が友だちになる。「もちろん、好きになれない本もあるでしょう」。この事実に臆せず向き合うことは、どんな読書会でも大事で、わたしの所属する女性読書会とて同じだ。「でも、わたしはこれまでいろんな読書会に参加してきて、好きになれない本でも頑張って最後まで読むようにしていたわ。話し合いに参加する一員として、その場を共有するのだから。それに、最後まで読み終えると、たいていは『やっぱり、この本から教わることはたくさんあった』と思えるの」。
とはいえ、メンバーたちにとって、問題はもっと根本的なところにある。とにかく情景描写が多すぎて、展開がゆるすぎるのだ。
「ニワトリを描写するだけで、20ページとか50ぺージとか使ってるんだぜ」とグレアムが不満をもらした。さすがにそれは誇張だが、キャロルにしてみればそういう意見を耳すると身を乗り出さずにはいられなくなる。……英文学の教師だったキャロルとしては、メンバーの心に火をつける機会があれば逃すわけにはいかない。
そしてキャロルは、メンバーにその場の情景を臭いまで感じさせるような描写の箇所を
朗読し、情景描写の味わい方を体験させる。こういう先生いいですね。
その後受刑者はこういうことを言うようになる。すばらしい。
その場しのぎの、ただ面白いだけの小説にはもう興味がない。著者が何を考えているか、どんな言葉を使っているか、どんな語り愚痴で表現してるかを知りたいんだ。おれがこれまで読んだシドニィ・シェルダンとか、ファンタジーとか、おとぎ話とか、そういう普通じゃない人間の話でなくていい。現実的あ人生の話でいいんだ」
メンバーたちの発言など。
「恐怖心に目を向けろ」(アメリカの俳優デル・クローズの言葉)とフランクは言いたかったのだ。恐怖心こそ、その人物について多くを語るものだから。
軍隊の兵士たちがいかに影響を受けやすいか、著者はきわめて興味深い報告をしている。1950年代なかばの調査結果によれば、仲間同士の結びつきが強い隊に属する兵士は、それほどでもない隊に属する兵士より、戦闘機から思いきりよく飛びおりたという。深い絆で結ばれた兵士は、おのれの安全よりも仲間の期待に応えられるかどうかを気にかけるのだ。
「ここの日課も最初は面倒だったけど」と(栽培家〉も同意した。「いまじゃなんとも思わない。 それが順応ってことさ。日課をこなしてると、それが目的みたいになっちまうんだ」。そして、 兵士たちは入隊するまで何者でもなかった、という著者の言葉を挙げて、こう続けた「軍をやめたら宿なしに戻ったやつもいる。だから、戦場にいること自体が目的みたいなもんだったのさ」
午後のその数時間は3人だけの読書会になり、外の世界ではたいがいの読書会がそうであるように、わたしたちはざっくばらんなお喋りをした。話はしょっちゅう脱線したが、どんな話題になっても、これまで読んできた本のどれかに結びついた。自分たちの中にしっかりと根を下ろした本の数々が、まるで過去の経験のように、記憶として、あるいは物事の判断基準として立ち上がってくるのだ。
そして著者のアンもやがて、このように信頼され友情を感じさせられるようになる。
おれは友だちについて考えはじめた。ほんものの友だちってなんだろうって。それは、おれのことを悪く思っていない人で、一緒にいると気が楽で、自由に話したり行動したり、自分を表現したりできる相手だ。とすると、アンはおれにとって「すごくいい友だち」だと思 う。アンには感謝してる。
図書館のその机で、グレアムは翌月から大学の通信教育の勉強を始める。勉強に使うノートパ ソコンは、マニトバ州にいる妻が送ってくれたらしい。そして、数か月後には、「生きている本(ヒ ューマンブック)」のひとりとして、〈ヒューマンライブラリー〉というプロジェクトにも参加する。 これは、ひとりの人間を一冊の本に見立て、図書館を訪れた人にひとりひとりの”本"と語り合 ってもらうことで、外見や肩書への固定観念を取り払おうという試みだ。 グレアムを社会復帰施設まで送っていくあいだ、出発したときよりふたりともずいぶん口数が 減っていた。グレアムまでなんだか不安そうだ。どうやら、不安は共有されやすいものらしい。 それから数か月、グレアムは変わらす模範的で、担当の保護観察官や周囲の人たちを感心させ ていた。しばらく建設業者で働いたあと、兄弟のひとりと塗装会社を立ち上げて成功したようだ。 警察かりは何度か集会に招かれ、新人警官たちの前で話をした。そして、〈刑務所読書会支援の会〉 の募金集めバーティーでは、花形スピーカーとして読書会での経験をみなに伝えるようになった。
読者会メンバーだった受刑者のその後など。
それにしても、ヒューマンブックというのは面白い試みだなぁ。
「一緒に読んでくれる仲間がいないと、気力が出ない」「自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれる」「本は追いかけてきちゃくれない。こちらから追いかけないと」
訳者あとがきより
カナダの刑務所に次々と読書会を開設していくキャロルという女性は、実に魅力的だ。著者のアンが感受性の強い繊細な女性であるのと対照的に、キャロルは行動的で押しが強い。敬虔なクリスチャンでもある彼女は、困っている人を助けるすばらしさにメンバーたちの目を向けさせようとする。しかし、受刑者たちはそう単純ではない。面と向かってキャロルに反発する場面などもあり、この駆け引きはなんとる興味深い。ただの読書会ではなく、あくまでも、充実した読書会 をめざすキャロルは、次々にユニークな企画をしかけていく。著者を刑務所読書会に招いたり、受刑者からの質問にメールで答えてもらったり、自分の所属する塀の外の女性読書会と刑務所読書会とで同じ本を読んで感想を交換したり…
本の訳者あとがきの中に、この読書会のサイトのURLがあったので見てみたら
さらにこの読書会の雰囲気がわかる気がしました。
また、刑務所読書会を立ち上げ、恐るべきバイタリティと尽きぬ思いやりの心で
大きく発展させた主宰者のキャロルの写真を見たら颯爽とした魅力的な人で
改めて敬意を感じました。
→刑務所読書会のホームページ
ジャーナリストの人が書いたノンフィクションで、刑務所内での読書会の話。
文章はなんだか教科書的というか、面白くないんだけど
内容はいろいろと興味深くて、読んでいて面白かったです。
寝る前にベッドで1章ずつ読んでひと月くらいかかった。
刑務所の様子や受刑者たちについても、知らないことばかりだけど
カナダの話なので、読まれる本は英語は英語でもカナダの作家が多くて、
カナダではおそらくベストセラーやロングセラーの有名な本でも、
わたしは知らないものばかりで、わたしの世界って小さいなと気付きました。
そして、このドキュメンタリーの進行と同時に、
読書会で取り上げられるそういう未知の本についても同時に少し知ることができるので、
2倍面白いお得な本でした。
家の前で暴漢に襲われたことがあってPTSDに悩まされている著者は、
友達のキャロルに誘われて刑務所内での読書会のボランティアメンバーとなる。
著者個人の、恐怖と不安を乗り越えていく様子をところどころに挟みながら
何箇所かの刑務所での読書会の様子が、1章につき1冊か2冊分ずつ語られていきます。
個性豊かな男性受刑者たちがいて、本を読みながらいろんな話をする中には
鋭い考察や、共感性や、想像力の感じられる意見もたくさん出るし、
それぞれの受刑者たちとの交流も深まっていく。
著者もキャロルも、裕福なインテリ家庭の人たちで、
彼女らの刑務所に関係のない別の女性読書会では、センスのいい豪華なおうちで
ふわふわのソファに座って洒落たフードやカクテルなど飲みながら
穏やかにリラックスした優雅な会をしている。
そこにはほとんどの受刑者たちの育ってきた環境との大きな格差が見えます。
例えば、キャロルはかなり強引に積極的に寄付を募る。
キャロルは慣習として収入の1割を寄付する家庭で育っただけに、他の人たちにもハードルを高く設定し、友人といえども手加減なく懐の広さを要求する。シャンパンと牡蠣を楽しんだパーティからわずか6日後、募金申し込みカードを持ち帰った招待客のひとりに、キャロルは電話をした。「ね、ジョン、ジョン」とたたみかける。「マタイによる福音書第6章には、『地上に富を積んではならない』とあるわよ」。……ジョンは笑って、しぶしぶ5000ドルを寄付した。
こういう強制に近い寄付集めが笑って許されるのは、
それぞれが近い価値観を持つだけでなく、十分以上に裕福な社会に属していて
余裕がたっぷりあるからだなぁ、と
日本ではあまり一般的ではなさそうな光景にへえ〜っと思う。
でもわたしもこの本の著者もそれは別に矛盾することではないと思ってます。
住む世界が違うのはその人の責任ではないし仕方ないし、
それぞれの世界でできることをやっていくしかない。
ただ、他の世界の存在を知る努力をし、さらにその格差を少しでも
縮めてたくさんの人を助けようとしているキャロルは立派だと思います。
そして本の最後の文で、著者はこう書いてる。
あるとき、こんなふうに訊ねられた。もしどちらかひとつの読書会に参加するとしたら、トロ ントの女性読書会を選ぶか、それともコリンズ・ベイあるいはビーバークリークを選ぶか、と。 あえて言うなら、わたしは刑務所の読書会を選ぶ。ワィンもビールも、洋梨とリンゴのクランブルケーキも、珍しいチーズもあきらめて、刑務所の一室に受刑者たちとともに集うだろう。なぜ なら、彼らの読書会には切実な思いが詰まっているし、あの場では、彼ら自身の人生やわたしの 人生を変えるようなことさえ起こりうるからだ。彼らの言葉の少なくともひとつは、これから先もずっとわたしとともにあるにちがいない。
やや長い本だけど、ドキュメンタリーで特にストーリーがあるものではないので
いくつか引用。
キャロルの言葉>「読書の楽しみの半分は、ひとりですること、つまり本を読むことよ」と秘密を打ちあけるような口調で語りかける。「あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。それによって内容を深く理解できるようになる。本が友だちになる。「もちろん、好きになれない本もあるでしょう」。この事実に臆せず向き合うことは、どんな読書会でも大事で、わたしの所属する女性読書会とて同じだ。「でも、わたしはこれまでいろんな読書会に参加してきて、好きになれない本でも頑張って最後まで読むようにしていたわ。話し合いに参加する一員として、その場を共有するのだから。それに、最後まで読み終えると、たいていは『やっぱり、この本から教わることはたくさんあった』と思えるの」。
とはいえ、メンバーたちにとって、問題はもっと根本的なところにある。とにかく情景描写が多すぎて、展開がゆるすぎるのだ。
「ニワトリを描写するだけで、20ページとか50ぺージとか使ってるんだぜ」とグレアムが不満をもらした。さすがにそれは誇張だが、キャロルにしてみればそういう意見を耳すると身を乗り出さずにはいられなくなる。……英文学の教師だったキャロルとしては、メンバーの心に火をつける機会があれば逃すわけにはいかない。
そしてキャロルは、メンバーにその場の情景を臭いまで感じさせるような描写の箇所を
朗読し、情景描写の味わい方を体験させる。こういう先生いいですね。
その後受刑者はこういうことを言うようになる。すばらしい。
その場しのぎの、ただ面白いだけの小説にはもう興味がない。著者が何を考えているか、どんな言葉を使っているか、どんな語り愚痴で表現してるかを知りたいんだ。おれがこれまで読んだシドニィ・シェルダンとか、ファンタジーとか、おとぎ話とか、そういう普通じゃない人間の話でなくていい。現実的あ人生の話でいいんだ」
メンバーたちの発言など。
「恐怖心に目を向けろ」(アメリカの俳優デル・クローズの言葉)とフランクは言いたかったのだ。恐怖心こそ、その人物について多くを語るものだから。
軍隊の兵士たちがいかに影響を受けやすいか、著者はきわめて興味深い報告をしている。1950年代なかばの調査結果によれば、仲間同士の結びつきが強い隊に属する兵士は、それほどでもない隊に属する兵士より、戦闘機から思いきりよく飛びおりたという。深い絆で結ばれた兵士は、おのれの安全よりも仲間の期待に応えられるかどうかを気にかけるのだ。
「ここの日課も最初は面倒だったけど」と(栽培家〉も同意した。「いまじゃなんとも思わない。 それが順応ってことさ。日課をこなしてると、それが目的みたいになっちまうんだ」。そして、 兵士たちは入隊するまで何者でもなかった、という著者の言葉を挙げて、こう続けた「軍をやめたら宿なしに戻ったやつもいる。だから、戦場にいること自体が目的みたいなもんだったのさ」
午後のその数時間は3人だけの読書会になり、外の世界ではたいがいの読書会がそうであるように、わたしたちはざっくばらんなお喋りをした。話はしょっちゅう脱線したが、どんな話題になっても、これまで読んできた本のどれかに結びついた。自分たちの中にしっかりと根を下ろした本の数々が、まるで過去の経験のように、記憶として、あるいは物事の判断基準として立ち上がってくるのだ。
そして著者のアンもやがて、このように信頼され友情を感じさせられるようになる。
おれは友だちについて考えはじめた。ほんものの友だちってなんだろうって。それは、おれのことを悪く思っていない人で、一緒にいると気が楽で、自由に話したり行動したり、自分を表現したりできる相手だ。とすると、アンはおれにとって「すごくいい友だち」だと思 う。アンには感謝してる。
図書館のその机で、グレアムは翌月から大学の通信教育の勉強を始める。勉強に使うノートパ ソコンは、マニトバ州にいる妻が送ってくれたらしい。そして、数か月後には、「生きている本(ヒ ューマンブック)」のひとりとして、〈ヒューマンライブラリー〉というプロジェクトにも参加する。 これは、ひとりの人間を一冊の本に見立て、図書館を訪れた人にひとりひとりの”本"と語り合 ってもらうことで、外見や肩書への固定観念を取り払おうという試みだ。 グレアムを社会復帰施設まで送っていくあいだ、出発したときよりふたりともずいぶん口数が 減っていた。グレアムまでなんだか不安そうだ。どうやら、不安は共有されやすいものらしい。 それから数か月、グレアムは変わらす模範的で、担当の保護観察官や周囲の人たちを感心させ ていた。しばらく建設業者で働いたあと、兄弟のひとりと塗装会社を立ち上げて成功したようだ。 警察かりは何度か集会に招かれ、新人警官たちの前で話をした。そして、〈刑務所読書会支援の会〉 の募金集めバーティーでは、花形スピーカーとして読書会での経験をみなに伝えるようになった。
読者会メンバーだった受刑者のその後など。
それにしても、ヒューマンブックというのは面白い試みだなぁ。
「一緒に読んでくれる仲間がいないと、気力が出ない」「自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれる」「本は追いかけてきちゃくれない。こちらから追いかけないと」
訳者あとがきより
カナダの刑務所に次々と読書会を開設していくキャロルという女性は、実に魅力的だ。著者のアンが感受性の強い繊細な女性であるのと対照的に、キャロルは行動的で押しが強い。敬虔なクリスチャンでもある彼女は、困っている人を助けるすばらしさにメンバーたちの目を向けさせようとする。しかし、受刑者たちはそう単純ではない。面と向かってキャロルに反発する場面などもあり、この駆け引きはなんとる興味深い。ただの読書会ではなく、あくまでも、充実した読書会 をめざすキャロルは、次々にユニークな企画をしかけていく。著者を刑務所読書会に招いたり、受刑者からの質問にメールで答えてもらったり、自分の所属する塀の外の女性読書会と刑務所読書会とで同じ本を読んで感想を交換したり…
本の訳者あとがきの中に、この読書会のサイトのURLがあったので見てみたら
さらにこの読書会の雰囲気がわかる気がしました。
また、刑務所読書会を立ち上げ、恐るべきバイタリティと尽きぬ思いやりの心で
大きく発展させた主宰者のキャロルの写真を見たら颯爽とした魅力的な人で
改めて敬意を感じました。
→刑務所読書会のホームページ
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