
仕事のあと、
お店から2駅、ドアツードアで15分の小さな映画館で
映画「ソーシャル・ネットワーク」を見てきました。
けっこう評判の映画だったので
いろんな人の感想を既に聞いていて
あらすじもほとんどわかっていたのだけど
途中だれるところもなく
最後まで面白かったです。
え、もう終わり?という感じのスピード感がありましたね。
フェイスブックという世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を
ハーバード在学中に作り上げたマーク・ザッカバーグという男の子の話で
彼は現在、世界最年少の大富豪になっているのですが
映画の中では、かなり自己中心的で
コミュニケーションに問題のあるオタクの変人に描かれています。
マークののインタビュー本を読んだ友達が、
実際の彼は映画ほどひどい感じじゃないようなことを書いてたので、
その先入観があったせいか、
みんなが言うほどイヤなヤツに思えなかった。
いや、変なヤツだし困ったヤツだし、
まあちょっとはイヤなヤツではあるけど(笑)
たとえば、マークみたいな人がうちの店にお客としてきたら、
わたしはきっと話を聞いてあげてしまうだろう。
あの飛躍しまくりの独りよがり弾丸おしゃべりにも、にこにこ付き合うだろう。
失礼な発言にもちょっとムッとしながら、
まあ悪気はないんだし仕方ないか、と受け入れるだろう。
毎日来られて困っても追い返さないだろう。
よっぽど悪意のある攻撃をされない限り、
わたしは人に怒れないのではないか、とふと気付いて不安になった。
大概のことに全然本気で腹が立たない。少々の不快には目をつぶってしまう。
そこが、自分のすべての過ちの根源のような気がしてきた。
怒るべきときに怒れない人間は、自分も相手もダメにするからなぁ。
まあ、元々わたしは頭のいいオタク系の変人には甘いです。
弟二人ともオタク系変人だし(笑)。
この映画の例なら、ボート部の双子の坊ちゃん、
上流階級出身のハーバード学生でハンサムなスポーツマンで
理想のザ・アメリカンボーイという感じのふたりより、
マークの方がずっと興味深いし
ハンサムといて退屈するより
変人といて少々の奇行や不快を我慢するほうがマシと思ってしまう。
頭が異常にいい人というのは、多少変人でも仕方ないしね。
そういうわけで、評判の悪い欠陥人間みたいに描かれるマークより
ショーンの方に嫌悪感を持ちました。
ショーンというのは音楽配信のネットビジネスを大きくして
有名でリッチになったのに
大人たちに搾取されて無一文になった20代の男性で
マークに近づき、一緒にフェイスブックビジネスを大きくしていった人。
この派手で自信満々で調子のいい人が、
なんだか既視感があるなぁと思ったら
彼の立ち居振る舞いは、バブルの頃の
カリスマ起業家のそれを思い出させるのだった。
その昔、バブルの頃、大量発生してた学生企業のごく近くに
わたしもいた時期があって、
学生企業の9割以上がただのパーティー屋さん、ツアー屋さんだった時に、
その後のビジネスにつながることをやってた数少ない場所にいた。
そういうグループのトップって、どこかショーンみたいな匂いがする。
一見情に厚くて仲間が多く、すごいコネクションを持っているけど
実は平気で人を裏切れそうな人。必要なときには冷たくなれる人。
目の前にいたら惹かれるだろうけどね。
そういうカリスマの横にはマークみたいな立場の子もいたけど、
現代のマークはやっぱりネット時代の落とし子だと思うから、
バブル期の単なる頭脳としてのオタクとは
できることの規模が違うなと改めて思った。
インターネット世界はどこまでいくのだろうと怖くなるほど。
ストーリー自体は、マークが成功していく中で
アイデアを出した上記の双子や
最初の最初から一緒にやってきた唯一の友達から
訴えられる訴訟を中心に進んでいくんだけど
起業が成功して大きくなるのって、
こんな感じなんだろうなぁ、ひょーんって急に桁が変わる感じで
その過程で変わっていくものや合わなくなって行くものが出てくるのは、
切ないけどしかたないんだよねぇと思いながら見た。
結局マークの才能だけレベルが違ったのだろう。
それで、最初から到底一緒にできなかったり
ずっと一緒にやってきても合わなくなってきたりする人が
出てくるのは仕方ないことだったんだろうなぁ。
古い名作映画「市民ケーン」との類似を語る人がいて
なるほど、と思いました。
お金や名声を持つと、必ずそれを利用・搾取しようとする人が出てくる。
そういう人達に利用される以上に自分をダメにするのが
利用されまいと人を信じなくなり、
常に疑心暗鬼の孤独な人間になってしまうことなのですね。
その心の奥底には変わらない無垢な気持ちが
いつまでもあるということは、人にはわからない。
元ガールフレンドのサイトを何度も
クリックしリロードするマークの指先は
市民ケーンの最後のことば「バラのつぼみ」とおなじように
切ない。
お店から2駅、ドアツードアで15分の小さな映画館で
映画「ソーシャル・ネットワーク」を見てきました。
けっこう評判の映画だったので
いろんな人の感想を既に聞いていて
あらすじもほとんどわかっていたのだけど
途中だれるところもなく
最後まで面白かったです。
え、もう終わり?という感じのスピード感がありましたね。
フェイスブックという世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を
ハーバード在学中に作り上げたマーク・ザッカバーグという男の子の話で
彼は現在、世界最年少の大富豪になっているのですが
映画の中では、かなり自己中心的で
コミュニケーションに問題のあるオタクの変人に描かれています。
マークののインタビュー本を読んだ友達が、
実際の彼は映画ほどひどい感じじゃないようなことを書いてたので、
その先入観があったせいか、
みんなが言うほどイヤなヤツに思えなかった。
いや、変なヤツだし困ったヤツだし、
まあちょっとはイヤなヤツではあるけど(笑)
たとえば、マークみたいな人がうちの店にお客としてきたら、
わたしはきっと話を聞いてあげてしまうだろう。
あの飛躍しまくりの独りよがり弾丸おしゃべりにも、にこにこ付き合うだろう。
失礼な発言にもちょっとムッとしながら、
まあ悪気はないんだし仕方ないか、と受け入れるだろう。
毎日来られて困っても追い返さないだろう。
よっぽど悪意のある攻撃をされない限り、
わたしは人に怒れないのではないか、とふと気付いて不安になった。
大概のことに全然本気で腹が立たない。少々の不快には目をつぶってしまう。
そこが、自分のすべての過ちの根源のような気がしてきた。
怒るべきときに怒れない人間は、自分も相手もダメにするからなぁ。
まあ、元々わたしは頭のいいオタク系の変人には甘いです。
弟二人ともオタク系変人だし(笑)。
この映画の例なら、ボート部の双子の坊ちゃん、
上流階級出身のハーバード学生でハンサムなスポーツマンで
理想のザ・アメリカンボーイという感じのふたりより、
マークの方がずっと興味深いし
ハンサムといて退屈するより
変人といて少々の奇行や不快を我慢するほうがマシと思ってしまう。
頭が異常にいい人というのは、多少変人でも仕方ないしね。
そういうわけで、評判の悪い欠陥人間みたいに描かれるマークより
ショーンの方に嫌悪感を持ちました。
ショーンというのは音楽配信のネットビジネスを大きくして
有名でリッチになったのに
大人たちに搾取されて無一文になった20代の男性で
マークに近づき、一緒にフェイスブックビジネスを大きくしていった人。
この派手で自信満々で調子のいい人が、
なんだか既視感があるなぁと思ったら
彼の立ち居振る舞いは、バブルの頃の
カリスマ起業家のそれを思い出させるのだった。
その昔、バブルの頃、大量発生してた学生企業のごく近くに
わたしもいた時期があって、
学生企業の9割以上がただのパーティー屋さん、ツアー屋さんだった時に、
その後のビジネスにつながることをやってた数少ない場所にいた。
そういうグループのトップって、どこかショーンみたいな匂いがする。
一見情に厚くて仲間が多く、すごいコネクションを持っているけど
実は平気で人を裏切れそうな人。必要なときには冷たくなれる人。
目の前にいたら惹かれるだろうけどね。
そういうカリスマの横にはマークみたいな立場の子もいたけど、
現代のマークはやっぱりネット時代の落とし子だと思うから、
バブル期の単なる頭脳としてのオタクとは
できることの規模が違うなと改めて思った。
インターネット世界はどこまでいくのだろうと怖くなるほど。
ストーリー自体は、マークが成功していく中で
アイデアを出した上記の双子や
最初の最初から一緒にやってきた唯一の友達から
訴えられる訴訟を中心に進んでいくんだけど
起業が成功して大きくなるのって、
こんな感じなんだろうなぁ、ひょーんって急に桁が変わる感じで
その過程で変わっていくものや合わなくなって行くものが出てくるのは、
切ないけどしかたないんだよねぇと思いながら見た。
結局マークの才能だけレベルが違ったのだろう。
それで、最初から到底一緒にできなかったり
ずっと一緒にやってきても合わなくなってきたりする人が
出てくるのは仕方ないことだったんだろうなぁ。
古い名作映画「市民ケーン」との類似を語る人がいて
なるほど、と思いました。
お金や名声を持つと、必ずそれを利用・搾取しようとする人が出てくる。
そういう人達に利用される以上に自分をダメにするのが
利用されまいと人を信じなくなり、
常に疑心暗鬼の孤独な人間になってしまうことなのですね。
その心の奥底には変わらない無垢な気持ちが
いつまでもあるということは、人にはわからない。
元ガールフレンドのサイトを何度も
クリックしリロードするマークの指先は
市民ケーンの最後のことば「バラのつぼみ」とおなじように
切ない。
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