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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

アドルフ・ヴェルフリ二萬五千頁の王国

2017-02-17 | 芸術、とか
”ファンタスティック・エキセントリック 
     アール・ブリュットの「王」が描いた夢物語”


アールブリュットやアウトサイダーアートに関しては
話を聞いたり本を読んだりしても、知識と気持ちがどうもぎくしゃくして
あんまりわざわざ見に行こうと思わないことが多いのです。
作品が素晴らしくて感嘆しても、なんだかとても疲れてしまうし
流行モノ的にもてはやされてたりすると、作品じゃなく
世間の簡単さがいやになるし。
今回、兵庫県立美術館で、一緒にやってるハナヤ勘兵衛の写真展も見たくて、
両方見てきたんだけど、やっぱり結局ヴェルフリが強烈すぎて、
ハナヤ勘兵衛の印象が薄くなっちゃった。
ヴェルフリの、鉛筆だけで描かれた最初の1、2枚目からもう、
ふぁ〜!と圧倒されてしまった。
欧米でのアウトサイダー・アート、アール・ブリュットといえば日本では
ヘンリー・ダーガーがわりと有名なんじゃないかと思うけど
世界的にはアドルフ・ヴェルリフの方が有名なくらいなのだそうです。
それも納得できる質と量でした。

展示では、普段は芸術家の年表はさほど熱心には見ないけど
ヴェルフリのは隅々まで見てしまった。
アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli 1864-1930)はスイス郊外で生まれ
貧困の中里子に出され、成人後には幼女強姦未遂事件など幾つか起こした末に、
1895 年にヴァルダウ精神病院に収容されました。
病院では、彼の症状はいっそうひどくなり、衝動的に暴れたりするので
個室に移され、以後66歳で亡くなるまでそこで暮らしたそうです。
病院に入って数年後、30代半ばから大量の作品を創作するようになります。
これが、量もすごいけど質もすごい。
『揺りかごから墓場まで』、『地理と代数の書』、『葬送行進曲』といった
自叙伝や冒険譚、その他分類不可能な膨大な量の本にまとめられていて、
絵だけでなく物語や彼オリジナルの楽譜(のようなもの)や数字のようなもの、
言葉のようなもので溢れかえっています。
自身を聖アドルフ2世と名乗り、自分だけの王国を紙の上に縦横無尽に描き出し、
世界を旅したり、独自の数字の単位や言葉を作ったり。
こういうのって、以前子供のアートクラスをしてた時のことを思い出すと、
想像力豊かで感受性の強い小学生の男子に近い感性だなと思うんだけど、
ただ、それがひたすら過剰なところが違う。過剰という豊穣。
そしてこのような濃い集中がどこまでも続くということに驚きます。

ヴェルフリは、なくなる前にすでに多少評価されてたようで
絵を求められることもあったらしく、物語ではなく一枚ずつの紙に
売るために描かれた「ブロード・クンスト」という作品もあり、
それらが並ぶ様は、少し、先日見たクートラスのカルトを思い出させました。
色々な意味で似ているところは多いと思います。

ヴェルフリは、なくなる前にすでに多少評価されてたようで
絵を求められることもあったらしく、物語ではなく一枚ずつの紙に書かれた
「ブロード・クンスト」という作品もあり、それらが並ぶ様は、少し
先日見た→クートラスのカルトを思い出させました。
色々な意味で共通点は多いと思う。

他のアール・ブリュット作品もそうだけど、ヴェルフリを見てつくづく、
人間の想像力というものが、分別や常識などの誰にでもありがちな重石を外せば
ここまで広がるものなのだということに、
その言葉を失う豊饒さ、過剰さの嵐に感嘆しました。
そしてわたし自身の持つ、自分自身を縛り余計で凡庸な仕事をさせる、
自我や自意識というつまらない重石について考えてしまいます。
それが人並みにあるおかげで、なんとか社会生活ができているわけだけど、
よく考えて、もう少し重石を軽くして、
もう一度絵を描こうかとか、ちょっと思ってしまった。

かみはて

2017-02-15 | 芸術、とか
日本画の同期で毎年やってるグループ展。
とはいえ、わたしが出したのは最初の2回だけかな。
お店を始めてから描く暇もなくなったし
家庭も長い間ごたごたしてて、それどころじゃなかった。
家のリフォームが済んだら、絵を描くスペースも作れたらいいな。

でも絵は出展してなくても毎年ちゃんと見には行ってる。
みんなの描いた絵を見ながら、
上手い人はいつも上手いし、あんまり上手くない人もずっとそのままだけど
ずーっと描き続けていることが何よりえらいし、
それぞれ、心を込めて一生懸命描いた絵なので心を打たれるし、
自分も描こうと、描きたいと思えるのが大事です。

今年の案内ハガキはわたしが写真を撮りました。
毎年地味な案内だったんだけど、少し明るく軽やかになったかな。

横尾美術館で卓球

2017-02-14 | 芸術、とか
神戸の横尾忠則現代美術館に初めて行きました。
横尾忠則現代美術館になる前は兵庫県立近代美術館で、その頃は何度も行った。
ジャコメッティの彫刻が並んでいた様子をなぜか覚えています。(うろ覚えだけど)

今回は、今やってる「ようこそ!横尾温泉郷」というタイトルの企画展での
イベント、温泉卓球大会に申し込んでみたのでした。
卓球するのなんて30年ぶりだけど、温泉には卓球はつきものですからね。
抽選に無事通って、風強く雪舞う寒い日に行ってきました。

館長が、こんないちびった企画に集まってくれるなんて素晴らしいと開会の辞。
集まったのは15チームくらいで小学生からかなりの高齢の方まで老若男女。
   
説明を受け、事故や怪我がないように準備体操のラジオ体操をしてから
トーナメントの対戦相手をくじで選び、試合が始まります。
コートは2面で、ラケットは・・・・え?

なんと、このいろいろなモノの中から各試合ごとにくじで使うものを決めるのです。
試合中もう一度選びなおすので、一試合で2種類のものを使うことになります。
普通のラケットでも30年ぶりでよくわからないのに
スリッパとか、お盆とかちりとりとかスコップとか鍋蓋とか・・・笑
まず挨拶をしてから2分間練習、それから試合、という流れなのですが、
短い練習時間にできるだけいろんなラケットに慣れておこうとあれこれ試します。
しかし、どれも難しいー。笑
上手い人が勝つとは限らない卓球大会ですね。
運動神経はある方がいいでしょうが、各試合11点先取ワンセットで勝敗が決まるので、
勘がつかめるほどの時間もなくて、運動神経と同じくらい
脳みその柔軟さが決め手になる卓球試合なのではないかと思いました。

最初の対戦相手は同じくらいの年の男女。
お互い要領がつかめないまま試合に入り、わけがわからないまま勝ってしまった。
2回戦は小学生と20代くらいの男子ペア。
いろんなラケットに慣れない感じながら、さすがに子どもたちは運動神経がいい。
わたしは2回戦敗退となりました。
でも1回でも勝てたので大満足です。
展示は温泉郷がテーマで、温泉や温泉宿っぽい趣向があれこれ。
       
上の階から街を見下ろせば、向こうの方に海が見えて、神戸らしいなぁ。

それから古本屋でほしかった本を安く買い、
コーヒー豆屋でちょうど切れかかってた豆を買い、
このあたりの賑やかな通り、水道筋をあちこち見て歩きました。
翌日、軽い筋肉痛になったのは、卓球のせいではなくたくさん歩いたから、
ということにしておきます。笑

クートラス

2017-02-13 | 芸術、とか
小さいものが好きというのは、いつもうるさく言ってるので
周りじゅうに知られているわたしですが、
クートラスは、最初は少し距離を置いてたんです。
ポスターなどのその辺にある紙に下塗りして描かれた小さな絵、というのは
ものすごく心惹かれるけど、絵自体はなんだか暗く重いように思って。
でもここ数年、いやいや、やっぱり好きであるよと思うようになってたら、
展覧会が来た!
寒いけど素晴らしいお天気の日に、遠足気分で見てきました。

大阪から京都へ向かう途中にある大山崎山荘美術館。
この建物は大正から昭和初期に作られた英国風の山荘で、
ここ数年の間に見物しにいった幾つかの洋館、
たとえば御影の乾邸や宝塚の松本邸などとちょっと趣が違う気がするのは
山荘だからか、英国チューダーゴシック様式だからか、
建築に暗いので、わたしにはわからないんだけど、
冬のきれいな快晴の日に似合うとても素敵なところです。

テラスからの眺めと庭の彫刻うさぎさん


ここにきたのは初めてじゃないけど、
今、家のリフォーム計画中なので、何しろインテリアに目がいく。笑
このドア欲しい、この窓素敵、このシャンデリアは古いもの?と
ちょっとしたところで立ち止まってはほれぼれ。

さて、クートラスは初期の大きな作品も、有名な小さなカルトもあって
見応えはあるものの、こじんまりとした感じで疲れない展示でした。
自分の絵について、これからまた描くなら、といううことについて、
いろいろ考えながら見ましたよ。
クートラスは流行や権威に背を向けて、画壇から離れて、貧困の中で
一人マイペースで制作を続けた画家でポスターなどの紙の裏に
アクリルグァッシュで描かれた小さい絵たちが有名です。
最先端へ向けてもっと先へもっと高みへ、というのとは別の次元で、
誰の評価にも、どんな基準にも無関係に、
自分の描きたいものだけを描き続けるのは祈りのようなものだったのかな。
ナイーブ派や中世の宗教画の不器用で真面目なエッセンスと同時に
現代のイラスト的な軽妙さも感じられます。

美術館のサイトを見たときに、期間中にそこのカフェで
クートラスのカルト(小さい絵)を模したお菓子のセットがあるというので、
それも楽しみでした。お菓子は小さいわりに高い気もしたけど(笑)
おいしかったし、かわいいから許す。
2月なのに寒さの緩んでた日だったので、テラスでいただきました。

初!顔見世

2016-12-27 | 芸術、とか
歌舞伎にはあまり縁がなくて、
興味がないわけではなかったんだけど、やっぱり元来小さいもの好きで
派手なものが苦手なこともあってか、
歌舞伎見るなら文楽がいいかなとなったりして、ちゃんと見たことがなかった。
テレビを持っていた時はテレビで見たことはあるし、
学生時代などに講堂での鑑賞入門みたいな舞台もあったし、
他にも何かのイベントで入門的なものを見たことはある気がする。
でもちゃんと見たことはなくて、今回歌舞伎を長く見ている友達に誘われて
行ってきた日の記録。
 

まずお昼をと、美味しいものしか食べてない京都の友達のオススメのお店へ。
わたしたち、たくさん食べるんです。お酒もたくさん飲むんです、と言って
おまかせで作ってもらったら、本当にたくさん出てきて
お酒もいっぱい飲んだけど酔っぱらうヒマがない。笑
 

 

 

 

  
とてもおいしかったし、ゆっくりくつろげました。2時間半は食べ続けてた。笑

お腹が苦しくてふわふわと散歩しながら、その京都の友達の日本画の先生の個展へ。
奥に細長い京都っぽい画廊で、作品を見ながらコーヒーをいただきました。
友達の先生は年配の男性で、暖かな人柄とウィットの感じられる
品の良い素敵な方で、その先生に、「この子はクセはあるけど性格はいい子なんですよ」と
言ってもらえる友達は、いい先生にかわいがってもらってるんだなぁと思った。


それから少しお茶をして、お腹が落ち着いてから顔見世。

この日わたし達が見たのはこれの夕方からの第三部でした。
一応予習はしていったので、イヤホンガイドなしで見たけど大丈夫だった。
それからいいバーでカクテルを少し飲んで帰宅。
いつも一緒に出かけるとさんざん酔っぱらうメンバーだけど、
昼に食べ過ぎたら酔っ払えないということがわかった。笑
楽しい1日だったなぁ。

ポンペイ壁画展とその植え込みの中

2016-12-26 | 芸術、とか
最終日に滑り込んで見てきた、ポンペイの壁画。
都会近くに住んでると、教科書に載ってる有名な古い美術作品を
生で見る機会は案外多いのです。(だってまず京都が日帰り圏内だもの)
海外の大きな展覧会も京都大阪神戸のどこかには、だいたい来る。
誰でも知ってる名作を、案外生で見てきたと思う。
でも大体、古典名作って平面絵画や写真が多い。
彫刻も少しあるけどそんなに巨大なものはあまりないように思う。
インスタレーションとかはほとんど現代ものなので
なんか時空を超えたすごい感じというものはないんですよね。
それが、あの、誰でも知ってるポンペイの壁画を生でみられるとは。
2000年前のイタリアの壁ですよ。それがここで目の前にあって見られる奇跡。
赤や青が鮮やかで美しく、なんか前にいるだけでぽわんとしてしまった。
考古学的なロマンに圧倒されます。

これは美術館の入り口にあったパネルですが、実物はもう少し小さな絵だった。
でも色はほんと、こんな感じのきれいな色で、びっくりしたなぁ。
ギリシャ神話を題材としたものが多い中で、選挙ポスター的な壁画もあって、
誰々をよろしくみたいな現実的なやつで、これもなんか面白い。
2000年前の実在の人の選挙ポスターですよ。いやはや。笑

しかしこんな壁たち、いったいどうやって運んだんでしょう?
無事届くまで担当の人の胃はキリキリ痛んだことでしょう。
帰りもあるから、まだ痛いままかな。
もちろん膨大な額の保険はかけてるでしょうが、
何かあったらお金の問題ではないもんね。

壁画は大体フレスコ画で、漆喰をその日の予定分だけ塗って、
乾く前に絵の具を塗っていくという描き方なのですが、
これ美大でワークショップあったのに受けられなかったのが後悔です。
一度やってみたかったなぁ。
でもまたいつか何か機会があるでしょう。

ポンペイといえば、壁画とは別に、2014年に映画を見たんだけど、
これが駄作ながらも結構良かった。もう一回見たい気さえする。
姫と騎士(奴隷だけど)の身分違いの恋というメロドラマで、ロマンチック。
奴隷役のマッチョな俳優が、好みじゃないのになんか頼もしくてやさしくて
キュンキュンしてしまった。
あとは当時のポンペイの街並みや、人々の様子、
ヴェスヴィオ火山大噴火のスペクタクルなど、案外見所も多い映画だったなぁ。

当日の朝に、今からポンペイ展見に行くと言ったら、
親切な友達がポンペイ展のチケット余ってるからあげるよと言ってくれて、
でも彼女は忙しく、わたしも時間が押してて約束をして待つ時間がない・・・
ということで、なんと
先に着いた彼女がチケットを秘密の場所に隠しておいて、
わたしに写メでその場所を教えてくれる、というやり方で成功!

すごくわくわくした!
センスある友達だなぁ。
本当にいいクリスマスになりました。

狂言師の稲垣足穂

2016-12-03 | 芸術、とか
たくさんあるチラシの中で目を引いた1枚。
公民館とか、そういう地味な?ところにも、
この頃はちょっといい感じのフライヤーを見かけることが増えてきました。
これはどこで見たのだったか、曇った夕暮れの?町の景色に惹かれて
なんとなく持って帰ってきた。

お食事+リーディング公演「今宵、おいしいドラマを灘で」と書かれてたので
朗読会みたいな感じかな?
本のイベントはいろいろ行きたいと思ってるけど、
朗読会は作家によるものが多くて、
作家の自作朗読って味はあるけど、舞台って感じではないんだよねぇ。
味があっても、ちょっと退屈することもある。
でも、なんだかよくわからないけど狂言師が読むなら、
普通の朗読会と違って退屈はしないかな、どんな感じかな?と
前日になってやっと予約の電話をかけてみた。
・・・満席。あら残念。ま、仕方ないか。
でもすぐあとに折り返し電話が来て、ひとつ空きました用意できますと。
ラッキー。

慣れない駅から迷いながら少し歩いてレストランへ。
広すぎず狭すぎずの、カジュアルなビストロっぽい居心地いい雰囲気。
まずワンプレートに盛られた野菜たっぷりの食事が出てくる。

なんども頼むのが申し訳ないので、赤と白のワインを一度に頼みました。笑

一通り食事が終わった後で、狂言師が入ってきて、舞台に作ってあった
2畳ほどの広さ、20センチほどの高さの台に上がり、
おもむろにタブレットを持ち上げ、読み始めたのでした。
目の前3メートルのところから、どしんと腹に響く狂言師の声が、
チョコレットとか箒星とかのファンタジーな話を読むという、
なんとも素敵すぎる時間だった。
狂言師の動きは独特で力があり、もう全然朗読のレベルじゃなかった。
演劇を見ているくらい、集中して見入り、聴き入りました。
狂言師の手の大きさがタブレットを片手に持つのにちょうどいい感じで、
しかも紙の本と違って、読書っぽさが全くないのが思いの外よかった。
着物を着た狂言師がタブレット端末を手の延長のように持ち
それを見ながら読み、舞う。
何か新しいものを見ているような感じがしました。
最近の読書会は、タブレットが多いようですけど
狂言師との組み合わせの妙に、心から唸りましたよ。

伝統芸能の人が、一般向け?に何かやるときって、なんか本当に素人向けというか
入門的なものが多くて、わたしは素人のくせにうんざりするんだけど、
そういとこが全然ない舞台だった。
こういう風に、異質なものの組み合わせが上手くいった時の楽しさったらない。
あと、あの、バックの音楽や効果音は誰が演出したんだろう。
全く邪魔にならずに、とてもいい効果だった。
同じ演出家のやってるものなら、もっと見たくなりました。

食事は、ご飯も美味しかったし隣に座ってた女子とも話が弾みました。
隣の席の知らない女子には、本のイベント→朗読会というもの→
ネットのトルストイマラソン朗読会→ロシア人の友だち→ポストクロッシングについて
といろんな話をしたけど、その彼女は演劇をやっている人で、
この朗読のシリーズが、今度中島らもの作品でもあるんだけど、
中島らもが好きすぎて他の人の読む彼の作品は見たくないという話を聞いた。
普段わたしは知らない人と話をするのがわりと億劫な方なんだけど、
美味しいご飯食べながらワイン飲みながら舞台の期待でワクワクしながら、
本に関わるいろんな話がいっぱいできてうれしかったです。

実はこの企画は、実はお友達の勤め先(神戸近郊の町の区民ホール)の主催で、
その彼女にも3年ぶりに会えたし、彼女の3歳の子供にも初めて会えたし、
何から何まで、いい金曜日の夜だった。
あー、こういうこじんまりとした質のいいものだけで、人生を埋め尽くしたいぞ!
こういうのは、都会やその近郊ならではなのかもねぇ。都会近くに住んでてよかった。

「チョコレット」
原作:稲垣足穂
台本・演出:岩崎正裕
上演:善竹忠亮
音響:Alain Nouveau

表現と素直さ

2016-11-21 | 芸術、とか
あざとさのない表現というのは結局その人の人柄だったりして、
何か正直な素直さを持った人でないと難しいことなんだよなぁといつも思う。
そのテの素直さって一度なくすと、ほぼもう戻らないし。
でも、そういう正直な素直さを持った人はそもそも表現にガツガツしない。
そうでない人が、あざとさを避けようと思ったら、完璧な韜晦で隠し切るとか、
いっそ表現を捨ててしまうとか、
まあ、だいたい無理な、ややこしいことになるよね。

日本画なんかは、めんどくささ満載で手間も時間もめちゃかかるので、
そういう異常なめんどくささに没頭してると、
自分の中身がいい感じにからっぽになることはある。
上手くなる過程で、難しいことに没頭してると自我や作為が薄れていくのよね。
上手くなってくると、またダメになってくるので、そこでさらに
誰も辿り着けないくらいの技術の奥地を目指す極限までの鍛錬みたいな方へ行くと
確かにいろいろといらんものがそぎ落ちていくと思います。
でも大変だわ。笑

逆に、自我押し出し系でもいいものって、まれにあるけど、
だいたいは幼稚で見るのしんどかったりする。
割り切って開き直って、どんどん中身が汚れていくのを自分に許してしまうのは
幼稚な自我を自覚して、ある程度乗り越えたか、コントロールできてて、
技術の伴う表現なら、とりあえず落ち着いて見られる気はするけど。

素直さって、なくしてしまうと、それくらい大変なものだと思うわー。

ちなみに自分に関して言えば、若い頃持ってたような表現欲求は嘘みたいになくなって
ごく人並みな承認欲求はまだあるけどアンダーコントロールだし、わりと仙人の境地。
欲がないってラクだけど、つまんないといえばつまんないな。
どこにも行かないってことだしな。生まれ変わったら素直な人になりたいわ。
モニカ・ベルッチに生まれ変わるなら素直でなくてもいいけど。
というかもう、邪悪でもいいや。笑

トーベ・ヤンソンのビデオ

2016-10-28 | 芸術、とか
毎月やってる映画の会の旧作課題映画で「イージーライダー」を見たけど
これはラストが少々辛いので、
口直しにやっぱりトーベ・ヤンソンの島の生活のビデオ見てる。
ここにはいつもトーベとトゥーティの「わたしたち」がある。
小さな子供のようにでたらめに踊るトーベ・ヤンソン。
多幸感。素敵すぎて涙が出そうになる。いつも。

20年間くらいの、夏の島暮らしをトゥーティが8ミリビデオで撮った
プライベートなフィルムを、晩年、編集してナレーションなど入れて作った作品。
でもやっぱり素人のホームムービーっぽい。そこがすごくいい。
退屈といえば退屈かもしれないけど、詩情とはこれのことかと思う。

中学生の時に、アン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」を読んで以来、
海辺や島での、小屋の暮らしに恋い焦がれている。
アウトドア耐性ゼロなので、生まれ変わらないとできる気がしないけど。
トーベヤンソンの島は電気も水道もなく、わたしには難易度高すぎだし。
でもたまらなく好き。

島暮らしのビデオのあとは、ヨーロッパ旅行のビデオ見た。
これも同様に、20年ほどの間の、いくつもの旅行中に撮った
プライベート8ミリビデオを編集して作った作品。
8ミリビデオって、ほんと、異常にノスタルジーあるよねぇ。
古い8ミリの映像の中の笑顔とか、どんなものでも幸福感あふれて甘く切なくなる。
映画の中によくある、ホームムービーを再生するようなシーン、
あれも作り物とわかっていても泣かせる。

以前、個人のホームビデオを集めて上映する会をなんどか映画祭でやったけど、
あれも本当にいいものだった。
赤の他人が撮った、8ミリホームビデオの家族の様子なんか、なにも面白くないはず。
それが、なぜか、なかなかいいのよ。
なんか、すごく、生のリアルの人間がいて笑ってる、本物感がすごいのよ。
ぼんやりとした雑な写りの音もない不恰好な映像でも。
写真もそうだけど、きれいさで勝負しなくてもいいものもあるんだなと思う。
ぼんやりとしか写ってないピントも合ってないようなものでさえ、
そこから溢れるどうしようもないノスタルジーや幸福感は、
なかなか作れるものじゃない。

旅行の時は、トーベ・ヤンソンが荷ほどきをする係で、
パートナーのトゥーティは街に出て果物や花を買ってくる係。
一人旅だとどっちもひとりでやらないといけない。それもまあいいけど、でも、
荷物解いてる間に部屋にお花と果物とお酒がくるのは、なんて素敵なことだろ。
買い物して帰ってきたら荷物が片付いてるのってなんて素敵なことだろ。

最後の旅の頃のトーベヤンソンは、ずいぶんおばあさんなんだけど、
その20年前の旅の頃から全く印象が変わらないので(髪型もずっと同じ)、
なんというか妖精みたいなんだよ。おばあさんの妖精。
こういう風になりたい。生まれ変わったら、トーベ・ヤンソンになりたい。
いつも思う。いや、生まれ変わらなくてもなりたい
でも自分は、自分の容姿にとらわれすぎてると思う。
たとえば夏に自分でざっくり自分で髪を切ってぼさぼさだったけど、
結んでたのでどうせわかんないしと平気だったのを、
秋に向けて床屋で直してしまった。
ぼさぼさのバラバラの髪のまま生きる決心ができない。
つい、きれいになろうとしてしまう。笑
なかなか、彼女のような、妖精のようなおばあさんへの道は遠い。

維新派「アマハラ」

2016-10-25 | 芸術、とか
音楽のライブは時々行くけど、こういう舞台にはあまり行かないのですが
今回は、舞台好きの友達がチケットとるけどいる?って聞いてくれたので、
それに甘え、見てきました。
奈良、平城宮跡地での、維新派の最後の公演「アマハラ」。

わたしのまわりでは、維新派見に行ってる人ってすごく多くて
誰でも知ってるものだと思ってたのに、
他の人と話すと案外「維新派?」と、きょとんとされるので、
あー世の中と自分の周りの世界との乖離を思い出し、認識を改める。笑
維新派(劇団維新派)は1970年、松本雄吉(大阪教育大学出身)を中心に旗揚げ。
劇団員総勢50名ほどが自らの手で1.5〜2ヶ月以上かけ巨大な野外劇場を建設し、公演が終れば自ら解体して撤収するという「scrap&build」の劇団として知られている。また公演時には様々なフードやドリンクを提供する屋台村を併設し、巨大劇場と併せ名物となっている。
作品は少年少女の青春群像劇を軸に、退廃的でノスタルジックな世界観を構築。会話によって語られることは少なく、セリフのほとんどを単語に解体し5拍子や7拍子のリズムに乗せて大阪弁で語られる独特の劇形態(「ヂャンヂャン☆オペラ」)を持つ。ヂャンヂャン☆オペラの名は大阪下町「新世界」にあるジャンジャン横丁から取ったものである。
日本以外に海外でも数多くの大規模公演を行っている。大規模公演の新作は基本的に年1回。まれに屋内での公演やプレ公演のような小規模公演を行うこともある。

(Wikipediaより。)
今回の「アマハラ」は、2010年に上演した「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」の
再演だそうですが、それも見た友達によると、
構成からかなり違うものになっていたようです。

20世紀初頭、アジアの島々を目指して出て行った移民たちの記憶や、
船、旅、航海、生活、などの断片が、繰り返しの多いシンプルな音楽と共に、
廃船の舞台上に散りばめられていきます。
なんだか夢を見ているような不思議な気持ちになる舞台ですね。
この動画で雰囲気は少しわかるかな。↓


せっかくだから奈良をぶらぶらしたかったのに、朝排水管清掃が来たりして、
早めに行くことができなかったのですが、
公演前に屋台村で軽くあれこれつまむことはできて、満足。


雨がたまにぱらぱらしたけど、公演中はほとんど降らず
落ち着いて観劇できました。
舞台は廃船を模して作ってある。海のない奈良に、船。

この写真の段々のところが観客席です。真ん中の真ん中へんでした。
そして、一番前の席よりこれくらいの俯瞰で見るのが良かったように思います。



夕方5時15分ぴったりに始まり、日が暮れていくのを計算しつくした照明に
とても気持ち良く乗せられました。
終わりの方では、気がつくと舞台の向こう側のすすき?キリンソウ?の草原が
すごくきれいにライトアップされ、
その手前の舞台にいる登場人物がシルエットになったり、消えたり、
草原との距離感もあやつられているようで見事だった。

さらにこういう広い場所なのに(奈良は空が広い)音響もすごくよかったので
大きな音がずーんと胸に響いても圧迫感はなく気持ち良い。そして
小さな音も耳まで澄んだまま届き、全くストレスなしで浸ることができました。
壁や天井や建物がないと、ぶつかる風に音を邪魔されることがなかったからかな。
それもこれも含めて
ずっと維新派の公演を観てきた友達が、今回のは最高だった!と言ってて、
いやほんと、よかった。近かったら何度も見たかった。

公演の後は屋台村で、少しつまみながら飲みながらライブやショウを見る。

この日はクロワッサンサーカス団。とても楽しい。

平城宮跡地って、駅から遠いんですが、帰りも駅まで戻ってから
近くのイワシ料理の店で、イワシ料理とカエルの唐揚げなど食べ、
終電前に帰宅しました。

古い維新派ファンの人たちは、今回は特別思い入れがあるようで、
本当に良い舞台だった。チケット取ってくれた友達に感謝です。

森山大道とFOUJITA

2016-09-15 | 芸術、とか
駆け足で見ました。
写真の友達と、森山大道展を見ることになってて、あまり時間はなかったのだけど
せっかくなので、同じ場所でやってた藤田嗣治展も見ました。
どっちも今回は見ないでいいかな〜と思ってたんだけど、見てよかった。

大道は、その日は午後から講演があったようで本人が来ていました。
ロビーで、振り返ると大道がそこに!
なのに森山大道をあまり知らないという人が「まだ生きてる人なの?」って聞いて
別の人が「たった今そこ通ったよ・・・」「えっ」という会話をしてて、
ひぇー聞こえてたら失礼〜!と思って苦笑。
でもその少し後に、藤田嗣治を知らないという友達がいたので、
「え〜!大道より世界的には一千倍くらい有名だよ〜!」と大きな声で驚くと
数メートル先にまだ森山大道さんがいらして、今度はわたしが失礼でしたね。
本当に失礼なグループで申し訳ないです。

森山大道は→数年前の中之島の国立国際美術館で、すごいボリュームのものを見て
へとへとになった記憶があるので、今回は別にもういいやと思ってたわけですが
いや、行ってよかった。
写真は、かなりきれいにサイズの合ったものがきれいに展示されて、
写真自体も前に見たものに比べるとどこか整って落ち着いた感じがあって、
もっと大量にごちゃごちゃしてる方が彼らしくていいかもと思ったりしたけど、
今回は、なにより、奥の部屋で見たスライドショーがとても良かったのです。

縦長の本を開いたようなスクリーンが2つ並んでて、
つまり2冊の巨大な本が開いて立ってる感じ。
4ページ分あるわけですが、それぞれ1枚ずつ変わっていくスライドショーで
BGMは街の音や雑踏の音っぽかったり、音楽も聞こえるけど雑音っぽい感じです。
このスライドショーの流れがすごく自然で上手くて
大量の写真から選んで組み合わせて、考え抜かれた構成なんだろうと思ってたら
写真の下に日付があるのに気づいて、なんと時系列なのでした。
もちろん時系列でも撮った順に全部映し出してるわけではなくて
大量に撮った中から選びに選んで構成されたものだとは思いますが
こんなに自然で巧みに見える構成が時系列であらかじめできていたとは驚き。
森山大道の写真は個人的には特に好みでもないのですが、
このスライドショーは全く退屈せずに一通りじっくり楽しみました。
いやぁ、よかった。時間があればもう一回見たかった。

そのあと藤田嗣治も急いで見ました。
こちらも充実していながら、分かりやすい展示で観てよかった。
派手で見栄っ張りで、マーケティングがうまく、時代やその環境が
自分に求めているものをよく感じ取り、それを上手く表現、利用できた人ですね。
藤田嗣治に関しては、去年→映画「FOUJITA」を観たので、
そのイメージと重ね合わせながら、
そして重ね合わないところを面白く思いながら、展示を楽しみました。

一緒に行った友達がみんな、それぞれの大道風で写真を撮りながら帰って
その写真見るのも楽しかったなぁ。

キューバと座頭市

2016-08-10 | 芸術、とか
この前京都で見た→ポール・スミス展と一緒に、
キューバの映画ポスター展というのが同じ美術館でやってたんです。

革命後の社会主義的な映画のポスターが多いけど(旧ソ連のものなど)
アメリカ映画や他の外国映画のポスターも中にはいくらかあって、
よく知られた映画でも、ポスターは全然違う感じに作ってあったりして
なかなか興味深かった。
その中に日本映画の、座頭市のポスターがあったのですが、
座頭市シリーズの映画を16本も上映したのは世界でもキューバだけ、と書かれてて
なんか興味深い。なんでだろう。他にも映画はいくらでもあるのに。
で、その場はなんか面白いな〜、だけで帰ってきたんだけど、今ググってみた。

なんとキューバではカストロ議長含め「座頭市」はもう
国民的人気映画であったとのことでした。
映画館では何度も繰り返し上映され、勝新太郎は国賓待遇腕で招待されたと。
勝新太郎に似ているからという理由で、作家の北方謙三は
キューバで歓迎されモテモテだったとか、それくらいの人気。
戦争でアメリカに負けて復興した日本に対して
キューバの人は親しみを感じていたのかも、とよく書かれてるけどそうなのかな。
日本は戦後、すっかりアメリカの方ばかり向いちゃって
外国といえばアメリカというくらいアメリカの影響受けてきたのにね。
でもキューバと座頭市は、なんかやっぱりおかしな組み合わせのように感じるけど
もしいつかキューバに行くことになったら、座頭市シリーズを何本か見ておこう。

しかし勝新というのは、キューバの国民的人気者だったり
バルテュスに好かれたり、やはり面白い男だったのだろうな。


淡墨流転

2016-08-08 | 芸術、とか
先日、写真の友達と写真の会で京都へ行ったのですが、途中みんなと別れて、
京都高島屋の美術画廊に美大の卒制のゼミの先生だった人の個展に行った。
思った通りのご活躍で、力のみなぎった絵だった。
大体が、桜の木がモチーフだけど、ふわふわしたところのない
勢いと迫力と、そしてどこかに静けさもある絵でした。
才能も魅力もある素敵な先生で、
今もまだ余裕を持っ制作されている様子がうれしい。
展示されていた大きな作品は何千万円もするけど
でも、もっともっと有名に、売れっ子になられるでしょう。

先生の絵を見るのは数年ぶりで、前は確か豊橋の美術館だったか。
その時は同期の人たちと一緒に行き、パーティにも参加させていただいたけど
今回も、同期の友達の名前が何人か芳名録にあった。
わたし普段はあまり書かない芳名録だけど、名前を残してきました。

菅原健彦先生、どこまでも行って欲しいけど、
そのときも案内のハガキは送ってくれるといいなぁ。

茶碗抄

2016-08-06 | 芸術、とか
池田の逸翁美術館で、茶碗の展示をしてて
ポスターのデザインが素敵だし、10のテーマで丁寧に説明されているようで
前後編、どちらも行きたかったんだけどうっかり全編を見逃して
後編も終わりかけの頃に、慌てて行ってきた。

マンションの駐輪場で、何台もの自転車がイタズラされて空気抜かれて
わたしのもその一台だったんだけど、自転車屋さん行って直してもらって、
ついでにブレーキの具合見てもらって、油さしてもらって快適になったので
自転車で行きました。
5時までなので3時頃に出たのですが、暑すぎた。
走ってる時はいいけど、日陰のない信号待ちがこたえます。
美術館着いて、20分くらいは、ベンチでじっと休みました。
水分はたくさんとったけど、ここで無理したらまた倒れると思って。
エアコンがよく聞いてたので、しばらくしたら落ち着きました。
そういえば先月行った京都の何必館は、お気に入りの美術館ではあるけど
エアコン全然効いてなくて、じっと見てても汗ばんで、
夏にはやめとこうと思ったなぁ。
今の時期、28度とか30度設定は、熱中症怖いです。

さて、焼き物の知識がなく、陶磁器の展示は何度見に行っても
どう見ればいいのかもさっぱりわからない無知なわたしですが、
今回のは思ってたより、ずっとずっとよかった!
テーマに分かれているのも見やすいし、茶道具いろいろ、焼き物色々ではなく
茶碗に限ってあるのがまた比較しやすくわかりやすい。
テーマの説明はもちろん、ひとつひとつの茶碗すべてに
形や色、釉や飾りについての丁寧な説明があり
またそれぞれの背景についても書かれていて
こういう説明はあまり読まずにさっさと見るわたしも
じっくり見ていくうちに、どんどん楽しくなってきた。
大きな美術館ではなく小さな部屋で少ない展示だからこそ
こうやってひとつひとつ時間をかけて見ることができたんだと思う。

前後編で140点のお茶碗が展示されるのですが、後編だけだから70点。
古いものから平成のものまである。(平成は細川元総理大臣の器など)
茶碗の魅力とはどの様なところにあるでしょうか。茶碗の姿・形、釉薬による色や現れた景色、華やかな絵付、見込や高台の様子、手触りなど、どこに魅力を感じるかは人それぞれ異なりますが、そうした全てが茶碗の魅力を形作る要素と言えるでしょう。
古来より陶磁器は様々な土地で焼かれ、それは日本国内のみならず、世界各地に及びます。やがてその中から茶碗を焼く窯が現れ、茶の湯の隆盛とともに盛んに作られるようになりました。名も無い職人や陶工によって焼かれたもの、時には著名な作家や陶工の手で作られた茶碗は、多くの茶人たちに愛好され、現在に伝えられています。特に「一樂二萩三唐津」や「一井戸二樂三唐津」と呼ばれて、茶人に愛される優れた茶陶を焼く窯を呼び表わす言葉もあり、茶の湯の世界において、茶碗は欠かすことの出来ない道具の一つであることが窺えます。亭主と客の間を行き来する茶碗は、亭主の「もてなしの心」を伝えるものであり、客はその心とともに、直接手にとって触れることで、茶碗の持つ息づかいを感じることが出来ます。これもまた、茶碗に魅せられる要因の一つではないでしょうか。
このたびの展示では館蔵品の中から10のテーマに沿った茶碗を選び、その楽しみ方を10の法則で紹介します。逸翁が大切に所蔵し、数々の茶会を彩った茶碗に加え、近・現代の作家によるものなど、様々です。あなたのお気に入りの一碗を見つけてください。
(公式サイトより)

見損ねた前半のテーマは以下。青磁と高麗茶碗説明付きで見たかったな。
(1)唐物茶碗(赤絵・染付以外)
(2)高麗茶碗
(3)志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部の美濃焼
(4)黒楽
(5)京焼
(6)茶人の手造り茶碗
後編は、
(7)六古窯と遠州七窯:
「六古窯」備前、丹波、信楽、瀬戸、常滑、越前
「遠州七窯」高取・上野、瀬戸、古曾部、膳所、朝日、志戸呂、赤膚
(8)唐津焼きと薩摩焼き:黒もんと呼ばれる黒薩摩も白もんの白薩摩も。
(9)藩窯:藩窯、御用窯、お庭焼と一応分類される。萩焼、出雲焼き
藩の窯は藩窯藩。武士や公家の窯が御用窯。藩主などの個人的な窯がお庭焼。
(4)赤楽赤樂(白樂、香炉釉含む)
(1)唐物茶碗:赤絵・染付のもの
(10)作家の茶碗:本阿弥光悦、尾形光琳、北大路魯山人から細川護煕さんまで。

美術館やギャラリーではいつも、ひとつもらえるならどれにしようかなぁと
考えながら見るのですが、最後まで結構目移りしました。でも、
雑な?馬とうさぎの絵のついた「青花野馬野兎文茶碗」かわいいなと思ってたら
最後の最後に、ポスターやチラシの写真にある「青花白花青磁釉沓茶碗」があって、
これ、実物見たらいっぺんに心持っていかれました。
写真で見るより小ぶりでかわいい上に
内側は青磁のぼんやりきれいな薄緑で、外側の藍の色は鮮やかでかわいくて
口縁のすぐ下の白いところはよく見ると引っ掻いた繊細な模様があって
高台のところの模様までかわいい。
写真では丸い器を横から撮ったように見えてたけど、
これ実物は結構細長い形なんです。変則的で、かわいい。
写真よりずっと可憐で、きゅんきゅん。
もらうならこれ!(もらえないけど)

安西水丸展

2016-07-30 | 芸術、とか
JR京都駅にある美術館「えき」は、JRの電車賃が阪急の二倍することを除けば
アクセスの良さでは他の追随を許さない美術館ですね。そこ、好きです。
京都に行く用があったので、安西水丸展を見てきたんだけど
これ、別の美術館やギャラリーだと行けなかったかも。
その日はあと2つの美術館と1つのギャラリーを一気に回ったので。
アクセスいいって、ありがたいです。


安西水丸さんは好きだけど、大ファンというほどでもなく
さらっと見るつもりだったのに、予想以上に充実した展示で
ちょっと時間かけて楽しく見ました。
やっぱりね、80年代からの時代を、一緒に生きてきた感じがちょっとあって
こういう回顧展的なものを見ると、グッとくるものがあります。
村上春樹、糸井重里、嵐山光三郎。和田誠〜。
 

さて、美術館などのチラシは紙や印刷のいいものが多くて
文字の入り方やデザインによっては、数枚いただいて
封筒を作ることがあります。(すみません)
貧乏くさい庶民的な趣味だな、と思いつつ、この作業自体好きなので
作った封筒を使う機会がなくて、どんどんたまっても、
やっぱりまた作ってしまう。笑
今回は封筒とぽち袋。