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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

胡人俑

2018-01-23 | 芸術、とか
東洋陶磁博物館は、大阪中之島のなんだかオシャレな界隈にあって
ややこじんまりとしながら、自然の光を生かした展示が気持ちよく落ち着いて
大好きな場所の一つで、ここで、知識のない陶磁器についてわからないまま
時間をかけて少しずつ仲良くなってきた話は前に書いたけど
(→水仙盆と須賀敦子とフィレンツェの街)
また、久しぶりに行ってきました。
東洋陶磁美術館は、普通の常設展で何度も会った壷や皿や人形に
再会するのも楽しみなんです。
だから特別展がどんなものでも、まあ行ってみようかな〜と思う、
好きな美術館。

今回は胡人俑の展示で、日本初!のものなのに
上記した水仙盆のときと違って、日曜なのにガラガラでした。
個人的には静かで見やすくていいけど、いい展示なのにな。
おそらく「日曜美術館」で放映された瞬間に、大勢がとびついてやってきて
長い列の大騒ぎになるんでしょうが、そういうのもちょっといやかな。

まあとにかく晴れた暖かい午後に好きな美術館に行くのは素敵なことです。
今やってる特別展は、日中国交正常化45周年記念特別展の
「唐代胡人俑―シルクロードを駆けた夢」
これのポスターやチケット、とても印象的で、少しユーモラスです。

ヒョウ柄がおしゃれ。

でも内容の前に、日中国交正常化45周年というところを祝いたいですね。
そのおかげで、こうして日本にいながらも素晴らしい美術品を見ることができる。
政治は複雑だし、現在の日中政府関係はとても良好とは言えないのかもしれませんが
美術品や芸術品を前にすると、このような素晴らしいものを生んだ国への尊敬と、
それらを貸し借りできる関係があることへのありがたさを
すとんと素直に感じますね。友好すばらしい!ビバ友好!ですよ。ほんと。

>今回の展示では、2001年に甘粛省慶城県で発見された唐時代(618-907)の穆泰(ぼくたい)墓(730年)から出土した胡人俑(こじんよう)の数々を日本で初めて紹介いたします。胡人俑とは、唐時代のシルクロード文化を象徴するものの一つであるエキゾチックな風貌の胡人(ソグド人などの異民族を指す中国における名称)を表現した陶俑(副葬用の陶製人形)です。とりわけ、穆泰墓出土の胡人俑は鮮やかな彩色と極めて写実的な造形により、胡人の姿が生き生きと表現されており、唐代胡人俑を代表するものの一つです。
 斬新な魅力に満ちた唐代胡人俑の最高傑作を通して、シルクロードを駆け巡った胡人たちの息吹を感じていただければ幸いです。
(ホームページの特別展概要より)

秦の兵馬俑はとても壮大で有名ですが、唐の時代にもこのような素晴らしい俑が
たくさんあったのですね。
どうもわたしは、この俑というものが好きみたいで、
仏像の勉強したときよりもっとなんかしみじみと惹かれるものがあるのです。
故宮博物院で→婦女俑を見たときに、ああ、東洋陶磁にいる子がまた見たいと思ったんだけど
久しぶりに見たら、やっぱりかわいくてきれいで、うっとり見とれました。
個性的で生き生きした胡人俑も面白いけど(本当に面白いです)、
やっぱり好きなのは中国のたおやかな女性や、やさしげな男前の俑です。笑
動物の俑もかわいいけど。

これがわたしの大好きな、馴染みの婦女俑さん。見れば見るほどかわいい。
ピントを手元に持ってきたので、顔はぼけていますが、全体の佇まいも
ふっくらした手の細い指先のやさしい繊細さも素晴らしい。

イケメンとか馬に乗った人とか。





↓この人は10センチくらいの小さい人。祈ってるような姿が静かでいいですね。


俑じゃないけど、人の形の水滴もかわいかった。小さいものに弱い。




昔この美術館の廊下から窓の外に流れる川の写真を撮ろうとしたら
美術館の方に叱られて止められたことがありました。
全館撮影禁止です、とのことだったのですが、
今回は全館、フラッシュ無しなら撮影オーケーですと言われてびっくり。
今時のインスタなどの宣伝効果を考えているのか、
焼き物などは撮影による損傷はほとんど影響がないからか、
故宮博物院に倣ったのかわかりませんが、
たまたま一眼レフを持ってたのでいろいろ撮りました。
好きな作品を撮ってこれるのは嬉しいです。
絵葉書や図録の写真が、好みとは限りませんからね。

わん

2018-01-01 | 芸術、とか
あけましておめでとうございます。

年賀状を書くのを2年前からやめましたが
いただいた分には、それぞれ絵葉書を選んで手書きで1枚1枚お返事を出します。
今日は、朝実家に行き法事の手伝いをして(というほど何もしてないけど)
和韓折衷のおせちと韓国のお雑煮?トックを食べて



小さい子らと遊んで帰ってきてから、お返事書きの絵葉書選びを始めました。

リフォームのあと、絵葉書の大量に入った大きな箱と、
ライティングデスク下の引き出しと、ばらばらになってた絵葉書の整理も始め
なんだかすごいカオスになったんだけど、ひととおりまとめて分類もできた。
それで、絵葉書の中にあった小野竹喬先生の三色団子の絵の素晴らしさに唸る。
このようなシンプルで繊細な線で、簡素に描かれたお団子が
全然すかすかしてなくて、充実した風通しの良さがあって、
美しくおいしそうなのに、ため息が出ます。
小野竹喬は美術館で見た作品も多いし、画集も持ってるし、
子どもの絵の教室で教材にしたこともあるけど、この絵の実物は見たことないです。
見てみたいなぁ。

それから、犬の絵の絵葉書を何枚か見つけました。どれも素晴らしいなー。
円山応挙先生のわんこ。


伊藤若冲先生のわんこ。


熊谷守一先生のわんこ。


山本容子先生のわんこ。


小倉遊亀先生のわんこ。

どの画家も好きな画家です。
わんこにも人間にも、猫にもうさぎにも平和な良い年になりますように。

深刻

2017-12-20 | 芸術、とか
高見順が亡くなった時に井上靖が追悼文の中で
詩集は傑作が一篇あれば名詩集だと言って、
高見順の『死の淵より』の「巡礼」を引用してた。

また、「詩の敵で最もはっきりしているものは深刻である。」とも言ってる。
深刻というか、深刻ぶること、かな、と思う。

深刻な表現は決して悪くないと思う。
深刻にしか表現できないこともあるだろう。
まあ、そういうときにもわたしはユーモアやふざけた軽さがあるのが好きだけど。
でも深刻ぶるというのは別よね。
切実さのない、中身の詰まってない「深刻」は、そりゃ詩でも散文でも
音楽でも絵画でも、どんな表現でもダメにしちゃうよね。

絵本と繰り返し

2017-11-09 | 芸術、とか
オチらしいオチのない絵本もよくあるけど、
愛される絵本の要件は、オチや物語だけじゃないんだなぁ。
物語好きなので、それがあまりない絵本には物足りない気持ちになるけど、
なんで子供たちがそれを好きなのかよく考えて注意深く見ると、
物語やオチ以外の素晴らしいところが見えてくる。
大人は、なんでも注意深く見なきゃいけない。
子どもと違う大人の強みは注意深さや忍耐と経験。

子どもは繰り返しが好きなんだよね。
例えば先日見た絵本の、ゴリラのちびちびの話は、
「○○はちびちびが大好き」「××はちびちびが大好き」と、
小さいゴリラが森中のみんなに愛されてる描写が続くだけの絵本なんだけど、
大人なら途中で飽きる、特に芸のないこの繰り返しを、
なんで子どもは好きなのか、考えた。

繰り返しというのは、リズムであって、より本能に近いところで
気持ち良さを感じるものなのかもしれない、ってことかな?
大人はつい、意味の方だけを見てしまうので飽きてしまうけど、
子どもは意味よりももっと感覚的に、
繰り返すということを楽しんでいるのかもしれない。と、まず考えました。
いや、わかりやすい音のリズムだけではないな。
反復されるメロディや、韻を踏むような整ったものじゃなくても、
なにか似たものの繰り返しには、気持ち良さや、居心地良さがあるのかもしれない。
音やリズムの繰り返しだけでなく、なんというか
意味や雰囲気や概念の反復みたいなものも、
子どもは面白がるように思う。

アート作品に見る反復表現というのも、特に子どものものじゃないけど、
あれってやっぱり、人間の本能に近いところに繰り返しの快感というのが
あるからじゃないかな。ある種のアートは、人間の中の子どもに近いところで
味わったり感じたりするものだから。

こういうことを、つらつらと考えているときは、なんか、気持ちが充実する。
なんの役にも立たないけど、たまに自分の頭で考えていたときに、
新しいことをわかったり思いついたり気づいたりすると、充実感がある。
そういうのって、生きてる面白さの大きなひとつだよね。
もちろん、わたしが思いつくようなことなどは、とっくに誰かが考えてて
誰でも知ってることだったりするわけですが。笑

鉄と男

2017-11-06 | 芸術、とか
夏の終わり、まだ暑い頃に、「拡がる彫刻 熱き男たちによるドローイング」という
力の入った名前の展示を見に行きました。

国内外で注目を浴びている3人の美術家による展覧会ということですが、
その中の榎忠さんの、神戸工場見学ツアーに友達と申し込んでいたのです。
鉄の廃材や金属部品で作品を作る榎忠さんと一緒に行く
この美術館の主宰企業でもあるシマブンコーポレーションの神戸工場見学ツアー。
でも抽選に外れてしまって、展示会場でのトークだけ聞きに行きました。
トークといっても、その工場見学の様子の動画を流し、
榎忠さんが少し話し、質疑応答などする形ですが、
榎忠さんがとてもチャーミングで楽しく、興味深かった。

今回の展示は、小さめの会場に置けるこじんまりした鉄作品が中心だったけど、
70年代に、髪も何もかも全部身体中の毛を、体を縦に割った半分だけ剃って、
ハンガリーに入国しようとする『ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く』とか
いろいろと伝説のパフォーマンスや作品を残してる人です。
でも目の前の榎忠さんは、真面目で優しくてかわいさ満載なんです。
こういう人を、いい意味で、少年のような人というのかなと思う。
功名心や権威欲や自己顕示や、そういうものが全然感じられなくて
いつも熱く真剣で、まっすぐ芸術の方を向いてる人のように思いました。
自分もこういう人生を送りたかったなぁと、少し思います・・・。

美術館で、別の、写真を撮る友達にばったりあったので
ツーショットを撮ってもらった。
わたしはいつも通りやたらうれしそう。

あと、この展示に関係ないけど、見たばかりだった映画「パターソン」に出てくる
パターソンの本が美術館入り口に展示してあるのに気付きました。

「茶の湯道具始め」展

2017-10-13 | 芸術、とか
うちから自転車で行ける池田の逸翁美術館のチケットをもらってたので
細かい雨がしのしの降る中、自転車飛ばして「茶の湯道具始め」という展示を見てきた。
これは、会館60周年記念の連続シリーズの中の3つめ(第3幕と呼ばれてる)で、他は
第1幕:書(数奇者が集めた古筆、お見せします)
第2幕:開け!絵巻
第4幕:ひねもす蕪村 絵と俳句
第5幕:応挙は雪松、呉春は白梅
第6幕:未来につなぐ和の意匠力

となっています。応挙と呉春の絵も、見に行こうかな。
小さな美術館で、くの字型の一部屋だけの展示なのですが、
天井は高く、すっきりゆったりとして気持ちがいいし、
こじんまりとして落ち着いて見渡せるので、こういう美術館は大好きです。

逸翁(小林一三)のお茶の道具を、丁寧に分かりやすく展示してあります。
入り口すぐは、寄付から炭手前の道具
革の煙草入には、メディチ家の紋章が入っていて、これは昭和15年に
イタリアへ何かの?大使として行ったときに求めた物だそう。
メディチ家の紋章は、結構ポピュラーでお土産物などにも入ってたとか。
あと、小さな香合もいくつかあって、わたしの好きなの白釉の柚子の形の物。
青みがかった明るい灰色で、柚子のボコボコした形がかわいくて味わい深く、
今回どれか一つもらえるなら、これかなぁと思いながら見る。笑

次は濃茶席の道具。象の頭のついた花瓶や(鼻がくるりと持ち手になってる)
セーブルの深くて鮮やかな赤の壺を花器にした物が素敵でした。

薄茶席の道具では3匹の子猿が背中合わせに丸く手をつないでる
唐銅三猿蓋置がかわいかった。

その次は懐石の道具、最後は小さな茶室をしつらえてある展示。

全部で150点という規模の展示なので、よく見てあれこれ覚えて帰ってきて
こうして書くこともできるのが、小さい美術館のいいところよね。
大きな展覧会だと、圧倒されるだけで終わっちゃうことが多いけど。笑

出口すぐの壁に、過去のこういったお茶道具の展示ポスターが貼ってあったけど
あきらかに今回のがよくできてセンスがいい。
この美術館、ここ数年ポスターやチラシのセンスがとてもいいんです。
昔と違う人がやってるんだろうな。
去年の夏に行った「茶碗抄」のデザインもよかった。

帰りには、雨もほとんど止んでたので
美術館近くのお気に入りのケーキ屋さんで
ケーキと大好きなパートドフリュイを買って帰って、いいお休みの日でした。

宝塚歌劇「ベルリン、わが愛」

2017-10-04 | 芸術、とか
お友達の女子大生の宝塚歌劇ヴァージンをなくしに行ってきた。
そういえば、以前別の女子大生のジャズライブヴァージンをなくしに
ライブに行ったこともあります。笑

映画がサイレントからトーキーに変わる頃のベルリン。
ナチスが台頭してきて規制が強まる中、
ナチスに負けずに作りたい映画を作ろうと頑張る若い映画人たちの話です。

最初に幕が開いたとき、
客席に向かって映画館の座席に座る大勢の人たちが出てくるのですが、
うまい書き割りだなぁ、妙に立体感がある不思議な絵だと思ってたら、
その人たちが動き出したのでびっくりした。
書き割りじゃなく生の人たちでした。
最初、絵のようにじっとしてたのでそう見えたんだけど、
照明がうまいのね、絵画のワンシーンのように見えた。
その人たちはフリッツ・ラングの「メトロポリス」を見に来た人たちで、
その辺からもう映画好きには楽しい展開でした。

そのあとも実在の人物が何人も出てきて、
ジョセフィン・ベーカーが出てきたときは、彼女がヒロインかと思ったんだけど、
人種差別についての前振り的に、一場面でてきただけでした。
ジョセフィン・ベーカーも十分主人公になれる素晴らしい人だったと思うけど。
のちにナチスの宣伝映画を撮ったレニ・リーフェンシュタールが踊り子から女優になり
さらにゲッベルスに取り入るところとかも創作かな。
あと、エーリッヒ・ケストナーが、
主人公の若い映画監督の映画の脚本を書くんだけど、ケストナーは脚本書いてたかな?
ここは創作でしょうね。
でも彼の恋人のルイーゼロッテは、実際のパートナーの名前ですね。
彼は実際にもナチスにはずっと反抗の立場で戦った人のようです。
あと、ヒロインは、レニ・リーフェンシュタールに誘われて映画に出て
スターになるわけですが、アイドルやスターってみんな
「友達のオーディショについて行ったら」とか「弟が勝手に履歴書を送ったので」とか
相変わらず奥手で野心の見えない控えめな女性が好かれるのねぇと思った。笑

お話はそんな風ですが、宝塚歌劇なので、決して陰鬱ではなく
きらきらと楽しく美しい舞台で、休憩後のレビューも含め
本当に夢の世界だなぁとうっとりしました。
今回はなんと5列目まんなかという、すごくいい席で
役者の顔の表情までよく見えて、本当に楽しかった。

怖い絵展

2017-08-18 | 芸術、とか
中野京子さんの、「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」を随分前に読んで
そのあとの→「怖い絵」の文庫化をじーっと楽しみにしてやっとその数年後に読んで
やっぱりとても面白かったので、
今回の美術展はとても楽しみにしていました。

しかし、駅から兵庫県立美術館への道は真夏には暑い。暑すぎる。
前にもブログかツイッターで文句を言ったと思うけど
広くてきれいな道がまっすぐ下り坂で南に、海の方に伸びてるんだけど
なんかもう、とても人工的なんですよねぇ。
街路樹も少なく、ひょろひょろで、日差しを遮るものもない。
きれいな道だし、向こうには海があると思うのは素敵なんだけど
やっぱりつまんないし、暑い。
しかもいつも真夏の今頃、見逃せない美術展をやってるんですよ。笑

今年は、お友達が途中にある駅(阪神岩屋)のそばに
おにぎりやさんを始めたので、それを楽しみに行きました。
大きくて、おにぎり大好きなわたしも2つ食べたらお腹いっぱい。

さて、展示はお休みの日だったせいかかなり混んでいました。
しかもわたしも含めてみなさん、絵自体より
「怖い絵」の絵解き的な説明が読みたいので中々列が進まない。
絵は少し離れて見たいし、説明は近づかないと見えない小さい字だし、
仕方なくしばらくのろのろと列を待ってたんだけど、ハッと気づいた。
美術展のときって、中にあるソファやベンチにいつも図録が置いてあります。
いつもはあまり見ない派なんですが、
(実物見た後では印刷では違いすぎて買う気になれないし)
今回はひらめいた!

図録には大体全ての絵と解説が載っているではないか!
まずじっくり図録で解説を読んで頭に入れてから、
絵を見やすい距離から眺めていけば並ばなくてもいいのだ!
ということで、展示室の真ん中のソファの空いているところに腰掛け
紐の付いてる図録を手に取り、じっくりと読んでいく。
集中してるせいかどんどん頭に入ります。
30分以上そこにいたでしょうか、大体の解説を読んでから
今度は絵に近づきすぎないちょうどいい距離で見て歩きました。
いやぁ、ずっと楽だし、自分のペースで見られるし、ひらめいてよかった。

感想としては、絵画自体はさほど見るべきものは多くなく、特に怖くもなく、
(何点か興味深いものはあったけど)
この内容なら人ごみの中でこれを見る電車賃とチケット代で
中野京子さんの本を1冊買った方がいいかも・・・とちょっと思ったり。
とはいえ、絵も、生のものはライブですから、
やっぱりじかに見るのはかえがたい体験だし、結局観に行くんだけどね。笑

こちらが今回一番の売りの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の絵の広告。
ロンドン・ナショナルギャラリーの至宝と書かれていますが、素晴らしい絵です。

これは一部ですが実物は2.5×3mもある大きさで、見応えがありました。
しかしヨーロッパの勢力争いや王族のドロドロって怖いけどおもしろいなぁ。

中野京子さんの「怖い絵」はその後、続編的なものも何冊も出ていて
(人気があるので当然と思う)わたしも
この前古本屋で、まだ読んでないのを一冊見つけて買ったので、
次にそれ読むのが楽しみです。

あと、全然関係ないけど一番上の美術館階段の写真、
このカップルの前にいたカップル(推定30歳前後)は、じゃんけんをしながら、
グリコ・パイナツプル・チヨコレエトをしながら、階段を登ってました。
仲良くて楽しそうでうらやましい。笑

美術館のはしご

2017-05-12 | 芸術、とか
映画は3本見られるけど(座ってればいいんだし、寝ちゃってもいいんだし)
美術館のはしごは中々大変。
大きな会場で、作品を見ながら歩くのも疲れるし、
たくさんの作品をひとつひとつ見るのも集中力とエネルギーがいるし
別の美術館で別の作品を見るには、頭の切り替えも必要だし。
ということで、3つはしごするのは、たぶん初めて。
でもいい流れで見ることができたと思います。

まず最初は大阪中之島の国立国際美術館での現代アート。
次はあべのハルカス美術館での近代アート。
最後に大阪市立美術館での古い時代の木像の展示。
だんだんと過去に行き、だんだんと骨太な安心感に包まれる順番でした。

国立国際美術館はライアン・ガンダー展。
まあ、落ち着かない子供のような作家みたいです。
ぱっと思いついたら、思いつきでぱっと作っていく感じ。笑

面白いけど、この手の現代アートは瞬間のナマモノだなぁと思う。
見た瞬間に面白かったりハッとしたりどきっとしたりすることが大事で
作品自体よりその意味やそれの引き起こすものに主眼があるので
個人的には好きだけど所有はしたくならないし、
ふうんと思って忘れてしまうものが多いと思う。



あと、この美術館が所蔵している作品を、
彼がキュレーションして展示するという企画はとても興味深かった。
ここにはよく行くので、所蔵品の幾つかは何度も見ている個人的に馴染みの作品で
それを美術館の学芸員ではなく、アーティストが独自にキュレーションすると
こうなるのか、という新鮮さがありました。普段の展示でとは違う視点があるなぁ。

あべのハルカスは、友達が絶賛してたマチスとルオー展。

マチスはすでにいろんなところでたくさん見てるからいいんだけど
ルオーをまとめて見たのは初めてかもしれない。
ふたりの手紙のやりとりも興味深かったけど
ルオーのような絵なら→クートラスの小さい作品の方がわたしは好みかな。

大阪市立美術館の「木×仏像(きとぶつぞう)」は
木材や製作手法に注目して丁寧に作られた展示で、
会場入り口にたくさんの木の素材が触れるように置いてあるのが楽しかった。
あと、この古くて湿っぽい建物に、とても合ってる展示でした。

「イメージの庭」と碧梧桐

2017-05-10 | 芸術、とか
伊丹市立美術館の新収蔵品中心の展示「イメージの庭」展で
「おうさまのひっこし」という絵本の原画を見てきました。
この絵本は、子どもの絵のクラスをしていたときに教材に使ったことがあって、
とても懐かしいです。子どもの絵のクラスは本当に楽しかったなぁ。
絵本を読んで、それぞれの王さまの引越しの絵を描いてもらったのでした。

他にカンディンスキーの小さな作品などもあって、
展示規模は小さめだけど、疲れないので、気楽なお散歩感覚で眺められました。

あと一緒にやってた碧梧桐展も見ました。

俳句や書も面白かったけど、
大正時代など古い時代の作家や画家たちの手紙が展示されてるときに、
特に海外からの絵葉書を見るのが好きで、切手までじっくり見て楽しみます。

ブランケット・デモ

2017-04-28 | 芸術、とか
ちょっと前だけど、アイ・ウェイウェイの難民支援ウォークという記事がありました。
>Ai Weiwei and Anish Kapoor to walk through London to raise awareness of refugee crisis

アイ・ウェイウェイは戦う現代美術家で、
もうひとりのアニッシュ・カプーアはロンドン在住の現代彫刻家。
一般の人も歓迎というこの行進は、
ロンドンのロイヤルアカデミーからストラドフォードまでの7マイルほどで
二人はこの行進をこのあと数ヶ月の間に
世界の他の都市でもする予定ということだった。

この行進デモの特徴はブランケットで、
世界中にいる6千万人の難民の象徴として
二人の芸術家は、それぞれがブランケットを1枚持って行進したそうです。

これ、ブランケットというのがいいなぁと思う。
アイ・ウェイウェイは不屈の戦う芸術家で、過激な言動もしますが、
作品は美しく、暴力行為は好まない人なんだと思う。
ブランケットってそもそも、なにか、優しくて温かいものの象徴でしょう。
ブランケットと聞くだけで、ふわりと優しい気持ちになるような。
この行進の様子を、参加した一般のイギリス人がTwitterでアップしてて
それを見かけてわたしは知ったんだけど、
きっと温かい雰囲気の中、平和的に行われたんじゃないかなと思う。
そしてそのやさしさは、
世界中の不当に虐げられている人たちに向いているんだな。

アイ・ウェイウェイの受けた迫害についてはこちらにありますが
「アイ・ウェイウェイは謝らない」
母親がユダヤ人のカプーアも、ベルサイユで自分の彫刻作品を
反ユダヤ主義者に破壊されたことがあるそうです。



あるものでなんとかする

2017-03-31 | 芸術、とか
去年のゴールデンウィークにやった写真展の時の写真を選びながら思ったのは、
同じカメラの同じレンズで撮ると多少トーンは揃うけど、
それよりやっぱり同じ目で撮ってると、なんとなく揃う感じになるなぁということ。
写真を撮る時、ぼんやりとあまり何も考えずに撮っているんだけど、
自分は大体、3種類くらいの目のどれかで撮ってる。

デジイチだと、さっと見てもっと気にいる構図を探して
少し考えて同じものを何枚も何枚も撮り直したりするけど、
銀塩だとそういうあたり、構図やフレーミングとかは考えない。
じっくりとピントは合わせるけど(でもいつも合わないけど)
できるだけそのまま素直にまっすぐほいっと撮ってる。

あと、理想の絵があって、それのために試行錯誤するようなタイプでもない。
何かをほんの少し良くするために大変な努力をするアーティストは多いけど、
そういう意味で自分は全然表現者ではなく、ただの無責任に楽しく遊んでいる人です。
写真に関して、完璧さに近づこうという情熱が全然ない。
完璧な美しい写真は好きだけど、
これがなければいいのになぁというものが絶妙に写ったままのような、
いらないものや間違ったことが残っている写真も好きなものは多いし。

日本画をやってた時、絵を描いているときでさえそう。
理想の色を作るための試行錯誤は、あんまりしない。
新しい絵の具を出さずに、その時、絵皿に残っている絵の具を
とりあえず使ってしまおうとして、変なことになったり、失敗したり
そういうことよくあった。
逆に思わぬ良い効果が出たりもしたけど。
そういうことを意図的にできる人がプロなんだろうなぁと思うけど、
そこにあるもので、できることだけをする、というゆるゆるの姿勢が、
わたしをアーティストにさせなかったんだなぁ。

若い時はもっとストイックでしたが、人生上で諦めることに慣れてしまったのと、
あとはそういうゆるさダメさも面白いやんと思うようになったことかな。
ダメな自分でいる方が、人にも寛容でいられるし、
生きていく中でそっちの方が優先順位が高かった。

芸術をなめてんのかといわれると、まあ、確かに本当は
あんまり芸術の力を信じてない気がする。
美大の卒業式で、先生は、芸術は世界を変える力になるって言ってたけど、
それって「常に」でも「完璧に」でもないと思ってる。
うっかり変えちゃうことはあるかもしれないけどね。
飢えてる時にはやっぱりアートよりパンの方が重要と思うし。
どっちか選ばなくてはという問題ではないけど。

そういえば料理も、あるものでなんとかするタイプです。
そして料理は写真と違って、いつもなんとかおいしくできる。笑

水仙盆と須賀敦子さんのフィレンツェの街

2017-03-27 | 芸術、とか
台湾の故宮博物院で、この水仙盆の前に立ち尽くして、
あまりの美しさに何十分も見ていたというお友達の話を聞いても、
写真見てもカタログ見ても、なにがそんなにいいのかさっぱりわからなかったのに
実物を見たらすとんとやられた。まいった。すとん。
→北宋女窯青磁水仙盆の展示、美術館のサイト。

これは電車の中吊り広告。

大阪の中之島にある東洋陶磁美術館は、川沿いで、こじんまりとして好きな場所。
ここ数年ではルーシー・リーや、フィンランドデザイン展などを見ました。
今回は、台北にある国立故宮博物館の水仙盆の展示で、
人類史上最高のやきもの、海外初出品、という鳴物入りの展示。
そもそも焼き物がわからないわたしですが、
せめてその自分のわからなさについて、わかりたいと思って見てきました。

6つの水仙盆があったんだけど、4つは故宮博物院のもの。
一つは東洋陶磁美術所蔵のもので、前に何度か見たことがあるもの。
もう一つは18世紀清朝の景徳鎮で作られた、
史上最高水仙盆へのオマージュ的作品らしいです。
他の5つは全部北宋時代、11〜12世紀のもので、これ並べて見るとすぐわかる。
なんというか、全然違うのよ。
並べなかったらわかんないかもしれないけど、一緒に見るとすぐわかる。
この6つが一つの部屋にあったんだけど、何周もして何度も見て、
でも3周目からは、この6つ目のは飛ばして見てたくらい、何か違う。
それで他の5つの凄さが、あらためてわかるくらい。
写真などで見て、さっぱりわからなかったものが、実物を目にすると
一つ一つ違うことが良くわかってきて、ほっとしました。
何度も何度も見てちゃんとそれぞれのことが自分なりにわかって
仲良くなれた気がする。
そして、それぞれについてるコピーが、改めてうまいなぁと思いました。
1:人類史上最高のやきもの・・・夢に見そうな美しさ
2:天青色の極み・・・これは特別鮮やかな透明感のある彩度の高い青でした
3:最大サイズの水仙盆・・・大きいのに繊細さはそのままで素晴らしい
4:無銘の帝王:底面に乾隆御製詩のついてないタイプ
5:伝世女窯青磁の日本代表:東洋陶磁美術館の誇る所蔵品
6:女窯青磁水仙盆へのオマージュ
何度も見てると、このコピーがすごくわかりやすく頭に入ってきました。
→カラーチラシ
→作品解説・リスト

しかし、たまに行く美術館だけどこんなに混んでるのを初めて見た。
チケット買うまでに30分くらい並んだし、
水仙盆の部屋に入るのにもう20分くらい並んだと思う。
テレビの「日曜美術館」にとりあげられたせいで、その前まで去年のうちは
結構すいててガラガラだったそうです。
最初から行くつもりだったので、早めに行けばよかったなぁ。
海外初公開の水仙盆が4つもあるのですよ、この大阪の小さな美術館に。
これのためだけに故宮博物院まで行きたい人もいるようなものが。
テレビに出るまですいてたことの方が不思議かも。
でも印象派やらレンブラントやら若冲やらよりはずっとマシな混み具合。笑
並んでも、ゆっくり見られて、とてもよかったです。

何度も何度も水仙盆を堪能した後は、他の部屋の常設展示なども一通り見ました。
焼き物ってさーっぱりわからず、年に一度くらい何かの展示を美術館とかで見ても
なにがいいのかわからないままささっと見て終わるだけだったけど、
それくらいのことでも何十年も毎年繰り返してたら、
なんか少しずつ変わってくるんだよなぁと、やっとこの頃思います。
今も相変わらず焼き物のことはわからないけど、この小さな美術館では、
常設の展示でなんとなく覚えてる壺にあったら、
おお相変わらず渋い色だなーってかわいく思うし、
馴染みの子もできて(子じゃないけど)、
前に見たときよりなんか色っぽく見えるなぁとか思ったり。
そうすると、わからなさは相変わらずなんだけど、
何しろ馴染みの子だからさっと飛ばさないで、少しは会話する。
そしたらますます馴染みになって、次や次の次の年に見たときに、
あー気づかなかったけどこっちの子と出身同じなんだ!とか
首のこの辺り随分繊細な作りだったのね、とか気づいたりする。
すごくゆっくりゆっくりだけど仲良くなっていってる気がするのですよ。
年に一度会うか会わないかでも、何十年の単位で見ると、
少しずつ、なんとも悠長な仲の良くなり方ですけど。
でもそうやって、数年前は他人だった壺や盆や皿が、今は知ってる子みたいになって
すっと目に飛び込んでくるのが(知識はいい加減なままですけど)、
これがわかってきたってことなんじゃないだろうかと思うと心が躍る。
何かがわかるようになる、好きになるということは、本当に心ときめくことですね。

今日は実は、もう一度会ってよく確かめたかった気になってた子がいなくて
(→子じゃなく壺だけど)ちょっとさびしかった。
次の展示に変わって、すいた頃にまた行って会えたらなぁと思います。

そういうことを考えながら夜お風呂で須賀敦子さんのエッセイを読んでたら
彼女がフィレンツェに住んで、少しずつ街と仲良くなっていった描写が
まるで、わたしとやきもののことのようで、
まるで自分が書いたのかと思うような文章で(おこがましくてすみません!)
どきどきして嬉しくて、心が躍った。
「フィレンツェ、急がないで、歩く、街。」という短い文章です。
何度も同じ道を歩く、ひどく時間がかかるわかり方で少しずつ理解する。
このごろになって、やっと、私は、たとえばフィレンツェ・ルネサンスの建築への理解が、少しだけ身についてきたように思える。以前。本でなんど読んでもわからなかったことが、変な言い方だが、自分のからだの一部になってきたような気がする。その建物の前、あるいは横に立った時、ああ、ルネサンス建築とはこういうことだったのか、と感慨をおぼえる。その時点で、私は、もういちど、本を読む。すると、書いてあることが、ふしぎに立体感を持って、あたまに入る。こうなったら私とその建物の間には、もう誰も入れない。/須賀敦子

ああ、何かと仲良くなっていくって、楽しい!

「The PLAY since 1967」

2017-03-19 | 芸術、とか
アカデミア美術館所蔵「ヴェネチア・ルネサンスの巨匠たち」展を
中之島の国立国際美術館で見たときにやってたもう一つの展示「PLAY」。

ヴェネチア・ルネサンス絵画には、まだ十分馴染めてない初心者なので
少しお勉強モードで見て回りましたが、「PLAY」の方は
やっぱりわたしこういうの好きだなぁと改めていい気持ちで見ました。

感想などをまとめようと思ってるうちに半年1年たっちゃって忘れちゃうので
もう随分たっちゃったけど、写真だけ貼っときます。
こういうパフォーマンスはいつもオノヨーコと60年代を思い出す。
自分がこういうものを知ったのは80年代の学生時代ですが、
その頃に驚いて以来、今もこの手のものが好きです。素直にもう、芸術楽しい。
これちゃんと説明しようとすると長々と面倒くさいので
→オノヨーコのパフォーマンスについてちょっとだけ書いたブログのリンクだけ。笑
写真OKの展示だったのに、カメラ持ってなくて古いiPhoneの写真しかないけど。

これは発泡スチロールなどで作った家。
木津川や淀川でやったらしい。
この家を作る過程や家の中での生活の記録も面白かった。


  
セーヌ川では、家ではなく大きな矢印を。
   

羊を連れて移動するパフォーマンス。
なんかこの写真の牧歌的ながら変な感じが好き。






他にも彼らの活動の記録がいろいろありました。



アルネ・ヤコブセンと化粧(けわい)

2017-03-08 | 芸術、とか
大阪の西の端、池田にある小さな美術館、逸翁美術館。
小さな美術館の中でも小さい方だと思う。
常設展示はないし、大きな部屋を2つ3つに仕切った展示室だけで
全然疲れない美術館。うちから自転車で行けます。
阪急文化財団の美術館で、逸翁は小林一三の雅号だったそうで
彼の収集品中心に企画展を組んで展示しています。
1、2年に一回くらい行ってるけど、近いし、もっと気軽にしばしば行こう。

今の展示は「化粧 KEWAI 舞台の顔」

ここ、チラシのセンスは毎回結構いいです。おしゃれ。
前の茶碗の展示のときのチラシも良かった。
演劇の舞台で、俳優の演技を一段と深める化粧。中でも京劇などの中国伝統演劇や、日本の歌舞伎は、特に化粧が大きな役割を持ちます。
中国の臉譜(れんぷ)は、歌舞伎の隈取にあたるもので、ともに性根や感情などの抽象的な役柄を、デフォルメして表現します。そこには独自の意味や約束ごとがあり、臉譜はその基本を守りながらも、時代とともに変化し、洗練されてきました。また、歌舞伎の隈取は、俳優の個性を加えながらも、伝統を継承しています。
本展では、肉筆臉譜や錦絵の隈取を中心に、伝統が生み出したさまざまな舞台の顔を紹介します。展示品の中には、現代のヒーローやキャラクターを思わせるものが見つかるかもしれません。
(公式サイトより)

浮世絵は今までいろんな展覧会で見ていろんなテーマで美術展はあるけど、
大体が有名な大御所の作品で、浮世絵氏中心の展示が多い。
春画展でも、やっぱり今まだ残ってるのはいいものばっかりだし。
これは、浮世絵は浮世絵でも歌舞伎の隈取りに関するものに絞られてるのがよかった。
歌舞伎の隈取りを顔に押し当てて取る魚拓みたいな(?)のも面白かったけど、
面白さでいうと京劇の臉譜が飛び抜けています。
化粧ではなく、もう顔に描く仮面だもんなぁ。
その図案集のようなものは非常にグラフィカルで、かっこいいです。
顔に描いたものより、図案としてみる方が、そのデザインの面白さがわかる。
歌舞伎に詳しかったら、隈取りも、あああの役者のあの役がこれか、と
もっと親しみを持って見られたかもしれないので
教養がない自分が残念。
あと京劇の梅蘭芳一座が、大正13年に宝塚歌劇に来て
上演されたときのポスターとかも興味深かったです。

帰りに、そこから自転車でまた10分足らずの、
少し前にできたアルネ・ヤコブセンのフラッグシップショップにも行ってみました。

日本初と聞いてたので、そんなオシャレっぽいものがこんな郊外の地味な街に?と、
去年から見に行こうと思ってた店です。
 
ただ、個人的には、北欧家具ってデザインの良さはわかるけど、
コスパは良くないなぁといつも思うので買うことはないかもしれません。
シンプルに見えながら計算され尽くした形なのでしょうが、
素材に高級なものを使っているわけでもなく
効果な値段のほとんどがブランド代とデザイン代という感じのものは、
10分の1の値段の似た雰囲気のものでいいやと思ってしまう。
(わたしに見る目がないということでしょう)
そういうわけで、一番好きだったのはその店の、平屋の小屋の建物でした。

窓とドアと天井の天窓がとてもステキ。
木造だけど、案外隙間風もなく暖かな居心地いい空間で、
カフェなら長居してしまいそうです。
こういう平屋に住みたいなぁと思うけど、女性の一人暮らしには不用心すぎるから
一生無理だろうなぁ、でもいいなぁ。