sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

トーベ・ヤンソンのビデオ

2016-10-28 | 芸術、とか
毎月やってる映画の会の旧作課題映画で「イージーライダー」を見たけど
これはラストが少々辛いので、
口直しにやっぱりトーベ・ヤンソンの島の生活のビデオ見てる。
ここにはいつもトーベとトゥーティの「わたしたち」がある。
小さな子供のようにでたらめに踊るトーベ・ヤンソン。
多幸感。素敵すぎて涙が出そうになる。いつも。

20年間くらいの、夏の島暮らしをトゥーティが8ミリビデオで撮った
プライベートなフィルムを、晩年、編集してナレーションなど入れて作った作品。
でもやっぱり素人のホームムービーっぽい。そこがすごくいい。
退屈といえば退屈かもしれないけど、詩情とはこれのことかと思う。

中学生の時に、アン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」を読んで以来、
海辺や島での、小屋の暮らしに恋い焦がれている。
アウトドア耐性ゼロなので、生まれ変わらないとできる気がしないけど。
トーベヤンソンの島は電気も水道もなく、わたしには難易度高すぎだし。
でもたまらなく好き。

島暮らしのビデオのあとは、ヨーロッパ旅行のビデオ見た。
これも同様に、20年ほどの間の、いくつもの旅行中に撮った
プライベート8ミリビデオを編集して作った作品。
8ミリビデオって、ほんと、異常にノスタルジーあるよねぇ。
古い8ミリの映像の中の笑顔とか、どんなものでも幸福感あふれて甘く切なくなる。
映画の中によくある、ホームムービーを再生するようなシーン、
あれも作り物とわかっていても泣かせる。

以前、個人のホームビデオを集めて上映する会をなんどか映画祭でやったけど、
あれも本当にいいものだった。
赤の他人が撮った、8ミリホームビデオの家族の様子なんか、なにも面白くないはず。
それが、なぜか、なかなかいいのよ。
なんか、すごく、生のリアルの人間がいて笑ってる、本物感がすごいのよ。
ぼんやりとした雑な写りの音もない不恰好な映像でも。
写真もそうだけど、きれいさで勝負しなくてもいいものもあるんだなと思う。
ぼんやりとしか写ってないピントも合ってないようなものでさえ、
そこから溢れるどうしようもないノスタルジーや幸福感は、
なかなか作れるものじゃない。

旅行の時は、トーベ・ヤンソンが荷ほどきをする係で、
パートナーのトゥーティは街に出て果物や花を買ってくる係。
一人旅だとどっちもひとりでやらないといけない。それもまあいいけど、でも、
荷物解いてる間に部屋にお花と果物とお酒がくるのは、なんて素敵なことだろ。
買い物して帰ってきたら荷物が片付いてるのってなんて素敵なことだろ。

最後の旅の頃のトーベヤンソンは、ずいぶんおばあさんなんだけど、
その20年前の旅の頃から全く印象が変わらないので(髪型もずっと同じ)、
なんというか妖精みたいなんだよ。おばあさんの妖精。
こういう風になりたい。生まれ変わったら、トーベ・ヤンソンになりたい。
いつも思う。いや、生まれ変わらなくてもなりたい
でも自分は、自分の容姿にとらわれすぎてると思う。
たとえば夏に自分でざっくり自分で髪を切ってぼさぼさだったけど、
結んでたのでどうせわかんないしと平気だったのを、
秋に向けて床屋で直してしまった。
ぼさぼさのバラバラの髪のまま生きる決心ができない。
つい、きれいになろうとしてしまう。笑
なかなか、彼女のような、妖精のようなおばあさんへの道は遠い。

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