最近の女性写真家の写真集は好きなものがけっこうある。
少し前に買った井本礼子さんの写真集「箱庭の窓」、
ソファでくつろいでめくってたんだけど、
自分はやっぱりどこかに女性性のある写真が落ちつくのかな、と思う。
井本さんの写真は女性っぽい感じはするけど、
去年東京で見てすごく好きだった米田知子さんの方は知的で硬質な感じで、
写真が女っぽいってわけじゃない。
でも、やっぱりどちらも女性が撮った写真だなと思う。
感傷を排除した硬いテーマやコンセプトの端整な作品でも、
硬質な繊細さの中に柔らかさががあるように思うし、そこにほっとする。
どこかに柔らかさがあると落ちつくんですよねぇ。
女性性には関係ないかな。単に柔らかさ、繊細さの問題かな。
とはいえ、落ちつく写真がいいというもんじゃなく
全然落ちついて見られないような、
柔らかさを全部拒否したような作品も嫌いじゃない。
でも、ごろんとソファで寝転がってくつろいでいるときには
柔らかいものがほしくなるのです。
もう一冊、茂木綾子さんの写真集は、本屋でぱらぱらめくったときに
男の人の寝顔の写真が気になって、なんとなく買った写真集だけど、
その写真に関係なく、もう何度も何度もくりかえしめくって見ている。
こちらはもっと情緒的と言うか感情的と言うか、
やっぱり女性的かな。
パートナーらしい男性や子どもの写真も多いけど
それ以外の写真の方が好きかなぁ。
でも、白いシーツにくるまった男性の寝顔に一番惹かれた。
人の寝顔って案外見ないものだし見せないものですよね。
たまたまだけど、最近人の寝顔の写真についていろいろ考えてたのです。
寝顔の写真には、撮る人との関係性がたくさん詰め込まれているよなぁ。
相手は無防備で無意識で、たとえ服を着てても丸裸です。
撮る人はなんでそれを撮るのか、
好きだからという簡単な理由でも、なんで起きてる時じゃなく寝顔なのか。
写真家なら何でも撮るので寝顔撮ることもあるでしょうが、
普通の人がパートナーや恋人の寝顔を撮ることについて、
個人的なことで、いろいろ考えたことはあります。
とても個人的なことなのでここでは書かないけど、
ただ、子どもでも大人でも人間でも動物でも、
寝顔を見ることのできる相手と云うのは案外限られているし、
そういう親密な関係の相手であれば誰でもいつでも、
寝顔というのはかわいいな、
変な顔でも、むにゃっとつぶれててもかわいいな、と
思いながら見ている。
少し前に買った井本礼子さんの写真集「箱庭の窓」、
ソファでくつろいでめくってたんだけど、
自分はやっぱりどこかに女性性のある写真が落ちつくのかな、と思う。
井本さんの写真は女性っぽい感じはするけど、
去年東京で見てすごく好きだった米田知子さんの方は知的で硬質な感じで、
写真が女っぽいってわけじゃない。
でも、やっぱりどちらも女性が撮った写真だなと思う。
感傷を排除した硬いテーマやコンセプトの端整な作品でも、
硬質な繊細さの中に柔らかさががあるように思うし、そこにほっとする。
どこかに柔らかさがあると落ちつくんですよねぇ。
女性性には関係ないかな。単に柔らかさ、繊細さの問題かな。
とはいえ、落ちつく写真がいいというもんじゃなく
全然落ちついて見られないような、
柔らかさを全部拒否したような作品も嫌いじゃない。
でも、ごろんとソファで寝転がってくつろいでいるときには
柔らかいものがほしくなるのです。
もう一冊、茂木綾子さんの写真集は、本屋でぱらぱらめくったときに
男の人の寝顔の写真が気になって、なんとなく買った写真集だけど、
その写真に関係なく、もう何度も何度もくりかえしめくって見ている。
こちらはもっと情緒的と言うか感情的と言うか、
やっぱり女性的かな。
パートナーらしい男性や子どもの写真も多いけど
それ以外の写真の方が好きかなぁ。
でも、白いシーツにくるまった男性の寝顔に一番惹かれた。
人の寝顔って案外見ないものだし見せないものですよね。
たまたまだけど、最近人の寝顔の写真についていろいろ考えてたのです。
寝顔の写真には、撮る人との関係性がたくさん詰め込まれているよなぁ。
相手は無防備で無意識で、たとえ服を着てても丸裸です。
撮る人はなんでそれを撮るのか、
好きだからという簡単な理由でも、なんで起きてる時じゃなく寝顔なのか。
写真家なら何でも撮るので寝顔撮ることもあるでしょうが、
普通の人がパートナーや恋人の寝顔を撮ることについて、
個人的なことで、いろいろ考えたことはあります。
とても個人的なことなのでここでは書かないけど、
ただ、子どもでも大人でも人間でも動物でも、
寝顔を見ることのできる相手と云うのは案外限られているし、
そういう親密な関係の相手であれば誰でもいつでも、
寝顔というのはかわいいな、
変な顔でも、むにゃっとつぶれててもかわいいな、と
思いながら見ている。