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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

寝顔の写真

2014-06-27 | 写真
最近の女性写真家の写真集は好きなものがけっこうある。
少し前に買った井本礼子さんの写真集「箱庭の窓」、
ソファでくつろいでめくってたんだけど、
自分はやっぱりどこかに女性性のある写真が落ちつくのかな、と思う。
井本さんの写真は女性っぽい感じはするけど、
去年東京で見てすごく好きだった米田知子さんの方は知的で硬質な感じで、
写真が女っぽいってわけじゃない。
でも、やっぱりどちらも女性が撮った写真だなと思う。
感傷を排除した硬いテーマやコンセプトの端整な作品でも、
硬質な繊細さの中に柔らかさががあるように思うし、そこにほっとする。
どこかに柔らかさがあると落ちつくんですよねぇ。
女性性には関係ないかな。単に柔らかさ、繊細さの問題かな。

とはいえ、落ちつく写真がいいというもんじゃなく
全然落ちついて見られないような、
柔らかさを全部拒否したような作品も嫌いじゃない。
でも、ごろんとソファで寝転がってくつろいでいるときには
柔らかいものがほしくなるのです。

もう一冊、茂木綾子さんの写真集は、本屋でぱらぱらめくったときに
男の人の寝顔の写真が気になって、なんとなく買った写真集だけど、
その写真に関係なく、もう何度も何度もくりかえしめくって見ている。
こちらはもっと情緒的と言うか感情的と言うか、
やっぱり女性的かな。
パートナーらしい男性や子どもの写真も多いけど
それ以外の写真の方が好きかなぁ。
でも、白いシーツにくるまった男性の寝顔に一番惹かれた。

人の寝顔って案外見ないものだし見せないものですよね。
たまたまだけど、最近人の寝顔の写真についていろいろ考えてたのです。
寝顔の写真には、撮る人との関係性がたくさん詰め込まれているよなぁ。
相手は無防備で無意識で、たとえ服を着てても丸裸です。
撮る人はなんでそれを撮るのか、
好きだからという簡単な理由でも、なんで起きてる時じゃなく寝顔なのか。
写真家なら何でも撮るので寝顔撮ることもあるでしょうが、
普通の人がパートナーや恋人の寝顔を撮ることについて、
個人的なことで、いろいろ考えたことはあります。
とても個人的なことなのでここでは書かないけど、
ただ、子どもでも大人でも人間でも動物でも、
寝顔を見ることのできる相手と云うのは案外限られているし、
そういう親密な関係の相手であれば誰でもいつでも、
寝顔というのはかわいいな、
変な顔でも、むにゃっとつぶれててもかわいいな、と
思いながら見ている。

ウィノグラント

2014-04-22 | 写真
Winogrant never developed film right after shooting it.
He deliberately waited a year or two,so he would have virtually
no memory of the act of taking an individual photograph.
(ゲイリー・ウィノグラント.20世紀半ばに活躍した写真家)

これは目から鱗な感じのアドバイスだなぁ。
撮って見て反省して撮って見て、というのを短いスパンで大量にこなすことが
上達への道のように思いがちだし、実際やっぱりそうだと思うけど、
違う次元の話としては納得できるところがある。
そして、自分はもしかしてそういう風に行くのがいいのかも。

去年の夏頃から、プライベートなフィルムの写真はあんまり撮ってなかったけど
フィルム3本ほど撮りっぱなしで置いてて、昨日現像に出して来た。
もう何を撮ったか覚えていないし、
どのカメラでどのレンズだったかも覚えてない。
それがいいことなのかどうか、いい機会かも。

ウィノグラントは、感情と写真を切り離すために時間を置けと云ってるのです。
撮った時の気分に引きずられると、セレクトの際に正しく選べないと。
なるほどねぇ。
Winogrand once famously said, “Sometimes photographers mistake emotion
for what makes a great street photograph.”
勉強になるなあ。

でも、別のアプローチの仕方もやっぱり間違っているとは思わない。
ウィノグラントのは、いわゆるうまくなりたい人向けじゃないよねぇ。
わたしはやっぱり、写真は自分にとって遊びであってほしいので
うまくならない方を選びたい気がする。
遊びというのはいい加減ということではなくて
(いや、いい加減ですけどね。笑)
誰かのためではなく、誰かの方をみる表現ではなく
自分の視線の先に他者に依存しない喜びや美しさをを見つけるということで
評価というものとは無関係なところにあるもの。かな。
だけど独りよがりな作品を見るのはうんざりするので
独りよがりの罠には気をつけないといけないですね。


早く散っちゃえばいいのに

2014-04-11 | 写真
桜が咲くと落ちつかなくて、いっそ早く散ればいいのにと思うのは、
きれいすぎて好きすぎてしんどいからでしょう。
そういえば人をすごく好きになったときも、
いっそ死んじゃえばいいのにと、ひどいことを思ったりする。
(ごめん、すごく好きになった人たち。笑)

それで、桜の写真を撮ったりするわけですが、
何千万人もの何千枚毎もの写真が毎年撮られてるんだから、
わたしが撮らなくても構わないんだけど、
自分の許容枠を超えて、把握できないくらいきれいなものとか見ると、
何かしないではいられない気持ちになり
それで写真を撮ったりするんだと思います。
だから表現でも、記録でもないんです。
ただ全部受け取れないくらいきれいすぎて困っちゃって、
それで無理につける句読点のようなものかも。
句読点つけないと、そこから動けなくなりそうだから。
だからそういう桜の写真なんかは、そうしてその時撮りさえすれば
もうあとで全部捨てちゃってもいい気がします。

例えば、ここに書いた気持ちと似ています。
(→花の絵

・・・今年の桜も、無事咲いて、もう随分散りましたね。











京都の醍醐寺の桜。

梅の写真:城南宮

2014-04-09 | 写真
まだ早かった中山寺に比べて、こちらは、超、満開のしだれ梅たち。
花の季節って短いから、自分の仕事の都合や
お天気、開花速度などが絡み合って、中々最高の日にいけないものだけど
この日は、丁度ピークだったと思います。すばらしいいい匂いだった。

写真はまるで誰もいないみたいですけど
実際はすごくたくさんの人で賑わってました。
みなさん、わー!とおどろくくらい満開だったよ。
























弓弦羽神社のへん

2014-04-04 | 写真
昔学生時代に、ここの近くに友達が住んでて
大学もこの辺だったので、何度か行ったことのある神社。
今また、別の友達が近くに住んでて、横を通ることがあります。
フィギュアの羽生譲くんが詣ったということで俄に有名になったけど、
そこへ写真を撮りに行きました。

先週の写真の集まり、たくさん撮らんとこと思ってGRDを一応の保険に、
フィルムのNikonを持って行って、
結局フィルムで12枚、GRDで15枚くらいしか撮らなかった。
いつもならあれくらいの時間であれくらいの被写体ならデジイチで
100枚以上は撮るけど。
でもでき上がった写真観ると、まあこの30枚くらいで充分な気もする...。
別にきれいな写真を撮ろうと思わないでいいし、
変わったものやオリジナルなものを撮ろうとも思わないので、
ガツガツせずにぼーっとぶらぶら歩き回って、
1枚ずつゆっくり撮って、それが自分には合ってると思う。
ガツガツする自分がいやなんですね、すぐ余裕なくガツガツしちゃうから。
撮影会などで撮る気満々だと、面白い被写体はないか、きれいな光はないか、
かっこいい構図はないか、ハンターの目で欲張りの目で探してしまう、
それがしんどいんですよ。
それをしないで、何も撮れなくてもいいし、たまたまいいものが目に入ったら
シャッター押してみようくらいの感じが、いいです。無心に近い感じで。
そしてデジタルだと、確認しながら、構図や光や露出変えたりして
いろんな冒険ができるし、よりよい写真にしようと試行錯誤もできるけど、
フィルムだともったいないし、そもそもどう写ってるか確認できないので、
撮ってみようと思うものがあったら、よく考えはするものの、
わりと素直に1枚、カシャって撮るだけです。
作為にも個性にも、あまり関心がないので、やはりこれが向いてる。

デジイチは、きれいな写真を安全に撮れるから便利だし、
自分の大きくて重いデジイチは恋人のように思ってて、すごく好きなんだけど
撮った写真のことを考えるとフィルムだけでいいやと思ったりする。
でも、その日のうちにデータ送れとかの制約があると、
フィルムはちょっと難しい。
現像してからリタッチだと少し余分に時間かかるし、
そもそも現像終わるまで、写ってるか自信ないしなぁ。笑










友達の写真展~and then~

2014-03-07 | 写真
わたしの日々の楽しいことが、10個あったとしたら
5つはこの友達が持ってくる、という友達がいるのですが、
その彼女がやってる神戸はJR住吉駅すぐのカフェで、
もうひとりの写真友達の中谷さんが3月いっぱい個展をしています。

中谷さんは大体毎週土曜日は在廊されるのだけど
この8日は応援ライブがあって、素敵な声の
ハワイアンな歌を聴けます。
ライブの前に2、30分ほど中谷さんのトークがあるのですが
その時に簡単な司会進行をさせていただきます。
人前でしゃべるのは本当に苦手なのですが楽しんできます。
お近くの方いらしたら、是非お越し下さい。

中谷さんは友達の紹介で知り合った写真友達ですが、
それはそれはエレガントで落ちついていて品があってやさしくて
いいところの奥様そのもの、って感じの人です。
でも無垢で汚れを知らない少女のような人なのに、
甘いメルヘンチックなところはなく、
ウィットといたずら心と好奇心と行動力がある。
同じ頃にデジタル一眼レフを始めたけど、
彼女は素直で真面目でどんどん吸収するので、
本当にきれいな写真を撮られるようになりました。
元々センスのいい人だけど、スナップをこんな風に
撮られるとは思ってなかったなぁという意外性もあり、
彼女の写真はとても楽しみです。

今回は昔住んでいたことのあるハワイへ
久しぶりの旅行をしたときに撮ったという黒白の写真ばかりです。
毎日千枚くらい撮り続けてたらしく、
撮るのも大変だけど、編集はもっと大変だっただろうなぁ。
うまいなぁ、きれいなぁ、とため息しながら見せてもらました。
これだけの個展をするのは大変なことだけど
とても楽しそうに頑張ってたので、いい展示になって
お手伝いできるのがうれしいです。

中谷さんのブログ
友達のカフェニュートラルのサイト

ストレージ

2014-02-11 | 写真
ものすごく、多分少し過剰に、
モノを増やしたくない気持ちが強いので、
デジカメ持ちはじめて10年、写真撮りはじめて4、5年で
20G分も、たまってません。
撮影のためにどこかへ出かけると何百枚も撮るけど
その日のうちに100枚くらいまでは減らすし
最終的には1割くらいしか残さない。
日常の記録も、月に何百枚のうち
100枚くらいまでに減らして、他は捨てています。
身ひとつで、そんなに写真や過去をためてどうする?という気持ちが
どこかにあるのかな。
二度と見ない、思い出さない写真データが
どんどん奥の方に増えて行くと、
たくさん持てば持つほど意味がなくなる気がしてしまって。

元々大きなサイズで撮らないし、すぐ捨てちゃうけど、
最近は、そもそも写真をたくさん撮るというのを減らしてます。
写真うまくなりたいなら、それじゃ本当にダメなんだろうけど、
自分に関してはそんなやり方でもいいんじゃないかという気もする。

絵の時と違って、修行のようなことはしたくないし
そういう修行のような気分にもなりたくない。
ただただ楽しんでいたいし、どんどん好きになって行きたい。
絵を描いても楽器を弾いても、すぐに上手くなりたくなって
苦しんでしまう癖を、やめたいのです。
ただの、楽しむ人、でいたい。
表現と云うことに関しても
ある程度自分の納得できる落としどころが
わかってきた気がするし、何も気にせずに
自分の好きなようにだけ、好きなように撮れるといいなぁ。

自分ひとりで扱えないほどのストレージは持たない人間でいたいのです。

自分だけの景色

2014-01-24 | 写真
KOBE☆HEARTSという写真展については何度も書いてるんだけど
今年1月にあったものは、5回目の開催でした。

2回目のときから見に行ってて、自分の写真の見方も少し変わってきたなぁ、
最初の頃よりは、もうちょっとは、
よく見ることができるようになってきたかなぁと思います。

たくさんの参加写真家の方のいらっしゃるパーティも楽しいんですが、
(おいしいし、いつも楽しく酔っぱらいます)
今回は初日オープニングパーティの翌日に
写真のワークショップイベントもありました。


その中で参加者が持ち寄った写真について先生が講評されたとき、
きれいな風景写真なのに「実際の風景の方がきれいでしょ、きっとこれ」って
言われてた人もいたけど、
わたしの写真は、
これはこの人にとってこの人だけの大事さがあるのがわかる、と言われて、
全くその通りで、うまく行って下さるなぁと驚いた。
何でもない茂みの草の写真で、
確かに、実物よりわたしの写真の方がいいと思う。
わたしの写真は、写真としては下手で仕方ないけど、
どれも、多分実際のそのものより写真の方がきれいだと思う。
まあつまらない身の回りのスナップがほとんどだからなんだけど、
だから少なくとも実物よりはきれいに好きな感じに撮ろうと思っています。

写真に関しては、少し迷いから覚めて、焦らず自分のペースで、
下手でも自分の好きな写真をぽつぽつと増やせばいいやと思ってるので、
撮影会とかは実は苦手です。
数をたくさん撮ることは、すごく勉強になると思うけど
プロにも趣味の作家にもなることのないわたしは
もう、あんまりたくさん撮らなくていいんじゃないかと思うのです。
上手くなりたいけど、上手くならなくてもいいような。
撮影会では、
人と違う写真を撮ろうとモチーフや構図を考えようとしてしまうし。
人と同じ、ありきたりな写真を撮っていては意味がない。
でも、そうやって、人と違うものを必死で探すのが
なんだか、もういやなんですよねぇ。
序列、上下のある世界がいやだし、
奇異を狙って凡庸をおそれていては、薄っぺらなものしかできないような・・・
ひとなんか関係なく、自分の好きなものを好きなようにゆっくり1枚だけ
撮れればいいんじゃないか、わたしは、と思うのです。
でも、友だちの多い撮影会は楽しいこともあって
いい勉強の機会ではあるので、それはそれでこれからも頑張ります。

大きなカメラ

2013-12-18 | 写真
写真のプロの人に、よく、デジイチほしがる気持ちが不思議と言われる。
センサーが同じAPS-Cサイズなら、全然ミラーレスやコンデジでいいやん,
その方が軽いしいつも持ち歩けるし、いいと思うけどなーと。

でも、素人ほど大きなカメラをほしがるのよねぇ。自分含めて。
おっしゃることは、その通りで,プロの仕事さえ
それで間に合うことが多いと言われるのだけど、
こういうものは愛着ものなので、
使い勝手が悪くても好きなものは好き、で仕方ないものなんです。

それに、女性の場合
大きなカメラの方が安心してもらえることもある感じがする。
中年男性などは大きなカメラに長い望遠レンズつけてるだけで
通報されそうなこともあるようですが
女性はむしろ逆に
大きなカメラ持ってる方が、純粋に写真が趣味の人と思ってもらいやすい?

小さい子どもやペットなど撮る時に、
女性が使うのがスマホやかわいいコンデジだと、まずネットを連想してしまう。
興味本位でちょっと撮られてるみたいな感じがするんじゃないかなぁ。
でも大きなデジイチ持ってると
ああ、最近よくいる写真好きのカメラ女子ってやつね~と
警戒されにくいように思うのです。
わたしなどは、もう女子ではなく、すっかりおばさんなので
大きなカメラが似合わない気がするけど、
似合わない大きなカメラだからこそ
写真好きで、写真撮ってる人なんだなぁと安心されるような気が・・・。

写真好きの友だちと待ち合わせ場所に行ったら
先に着いてた彼女が一心不乱に、なんでもないものを撮ってて
その時彼女は小さなコンデジを持っていたので少し不思議な感じがした。
わたしもこんな風に不思議な感じに見えるんだろうなぁと思うけど
それが、やはり大きなカメラだと
しゃがみこんだり、よじのぼったりしても
写真が趣味の年配女性が何か撮ってると納得されやすいと思う。
ああ、写真撮ってるんだ、何かはわかんないけど何か見て
撮ってるんだなーと思いやすいんじゃないのかなぁ。

この前も、公園で草の中で遊んでいる小さい女の子ふたりがすごくかわいくて、
デジイチしか持ってなかったので、こそっと撮るわけにもいかず、
そばで見守ってらしたおばあさまらしき人に、カメラを見せながら、
とてもかわいいので撮らせていただいていいですか?と聞くと、どうぞどうぞと快諾。
小さなお子さんだし、もっと警戒されるかと思ったけど。
でもこれ、わたしが大きなデジイチを持った中年男性だと、微妙かも。
身なりがよければ大丈夫かなぁ?
そして女性の場合はこういうとき、大きなデジイチで
「写真を撮っている者です」と言う方が安心される気がする。

というわけで、いろんな言い訳を抱えて
今日も大きなカメラを、重い重いと言いながら持って出かけるのです。

カメラバッグ

2013-11-04 | 写真
カメラとPCを持たなければ、手ぶらでもOKなくらい荷物は少なくて、
以前はいつも小さいカバンばかりで、カバンの小さい女でいるのが好きだった。
荷物が少ないと、より自由に近い気持ちがするよね。

でもカメラは大事で好きで、持ってる方が安心していられるから、いつも悩む。
撮らないつもりの日も本当は持って歩きたい。
わたしの写真はほとんど、たまたま見たものを撮るスナップだし。
でも荷物の多い女になりたくないんだなぁ。
レンズまで持つと、自由から遠くなる気がする。
でも、カメラは好きだからなぁ・・・。
家に帰ってきてから、少しカメラを眺めて、ちょっと触ったりします。
好きだなぁと何回も何百回も思う。全然使いこなせてないけど。

そして
三脚と替えのレンズを持っていかなきゃ行けない用ができて
とうとうあきらめてカメラバッグを買うことに。
デジイチ持ち歩いて3年間、
ずっとカバンに裸で突っ込んできたんだけど
さすがに替えのレンズまではつっこめず。
でもカメラバッグ、大きめデジイチ、レンズ付きボディと
レンズ2つくらい入れようと思うと
中々ほしくなるものがない。
ミラーレス用の、小さいのは、けっこう趣味のいいものも出てるんだけど
大きめはダメですね。
ごっついのしかない。ごっついのもいいけど
おっさんくさいのは、いや(笑)

それで、結局自転車のビアンキという会社の
メッセンジャーバッグのようなのに
カメラ用のソフトバッグ?を入れて使うことにした。
ふたを開けた中の色が、きれいなミントグリーン。
ブランドカラーのチェレステという色で
この色がもう、ツボで買ってしまいました。
使ってみると、持ちやすいし、少しぶつけても安心だし
やっぱりいいかも。

カメラバッグの写真がまだありません、すみません。
このカニさんのいるボウルの緑みたいな色。
外側は焦げ茶のキャンバス地でキャメル色の皮パイピング、の感じ。

松江泰治

2013-11-03 | 写真
ごくたまに、その日にあったことをブログに書くことがあります。
大体数週間とか数ヶ月とか遅れてだけど、今日は書いてみようかな。

午後に、宝塚のメディア図書館で
写真家の松江泰治さんと写真評論家の清水譲さんの対談を聴いてきました。


松江さんの写真は美術館で見たことがある、と思う。
大きなカラー写真で、街をうんと上空から写した感じのものだったかな。
それはわりと好き、と思ったけど
彼の白黒の、地表を写した写真は
写真集を買おうと思うほどは惹かれてなかった。



前に書いた、写真集を読む:3というブログで彼のことを
>東大の地学出身で地表の写真を撮る。
>わかりやすく特徴づけるものを排除し
>階調を狭くしニュートラルなグレーの中
>ディテールだけをきめ細かく、
>地球の表面というものを8×10のモノクロで撮る。
>カラーで撮った静岡上空の空撮写真集「JP22」。
>カラー写真ではよりグラフィカルに。

と書きました。
その写真家の、新しい写真集2冊について、評論家との対談でしたが
いや、もう、面白かった。
写真も素晴らしくて、結局写真集2冊とも買ってしまった(笑)。

曰く「アンセル・アダムスってピントが甘いんだよね~」
ええっ!
アンセル・アダムスというのはアメリカの大変有名な写真家で
F.64グループと言われている人で、ヨセミテ国立公園の山写真などがとても有名。
これはカメラの絞りを64まで絞って、パンフォーカスで、
肉眼で見える以上にきっちりとシャープに撮っていると言われる人なのですが
それを「ピント甘いよね~」とおっしゃる。
おお!なんかすごい!
そして
そもそもピントとは、というお話しになりました。
ピントが合ってるってどういうことかなんて、よく考えたこともなかったので
もうすごく新鮮で、目からうろこが落ちました。

ピントが合うというのは、普通モノの焦点、輪郭が合ってて
崩れがないことだと思われているけど
彼にとっては、それは単なる人間の見え方の問題でしかなく、
そんなのは絵柄に囚われた見方である、と。
ピントが合うというのは、そうではなくネガに詰まっている途方もない情報量を
どれだけ取り込んでいるか、という理系的問題なのである、と。
それを「絶対ピント」という言葉で表してらした。

うわー。そういう考え方もあるのか、うんあるよねぇと驚きつつ
もう松江さんという人が面白くて仕方ない。
この人天才だなぁとしみじみ思いました。

「前に黒白写真を選んでいたのは、カラーはピントが合わないから」なのだけど
(カラーはプリントすると黒白よりもさらに、
情報量がすかすかになってしまうからでしょうか)
顕微鏡用の引き延ばし機を使うようになって
またデジタルの加工の可能性も利用するようになって
カラーもどんどん撮るようになったのだそうです。
カラーはピントが合わない、という考え方も新鮮でした。驚きの連続。

松江さんの写真の特徴は、まずは順光で撮るということ。
いい時間は一日に数分なので、綿密な予定を立て
予定より8分遅れちゃったときのことを「もうやんなる、ひどいよね~」。
彼は飲むコーヒーから食べるものまで、すべて吟味して選んだものだけの人で
撮影も分単位できっちり決めてされるとのこと。
ああ、天才っぽい・・・
(対談相手の清水さん曰く「オタクオーラ全開ですね~笑」)

もう1つの特徴は、航空写真ほどの高度でなく
人の視点でもない、気球くらいの視点から撮る。
だから俯瞰写真ではないのです。
鉛直構図は「絵」になりやすすぎるからいやなのだそうです。
たとえば、屋根はグラフィックな長方形になってしまい
デザインになってしまう。そうではなく、家は家に見えてほしいんだよね、と。
だから彼の黒白の地表写真をそういうグラフィカルなものとして
見ていた人たちは、カラーになって離れて行ったとおっしゃる。
すみません、わたしもそういう写真だと思ってました。
そうじゃなくて、全然逆で
彼は極限まで写真の情報量を残そうとこだわってただけで、
グラフィカルな絵作りには一滴も興味がない人なのでした。
写真も面白いけど、何よりこの人面白い!

本人は、面白いこと探してやってるだけで
「おもしろいよ~」と呑気な感じでおっしゃる。
たとえばうどんも自分で踏むらしいのですが
「小麦は面白いよね~、いつも何種類かストックがある。
小麦選ぶのは印画紙選ぶのと同じだね~」

写真を撮りに行く時に現地でのふれあいは?みたいな質問に対して
数分刻みで東京から飛行機で行き
ヘリコプターで決めた場所で決めたモノを撮影し
現地では、撮影の往復以外には一歩も足をおろすことなく、
きっちりと予定通りに東京に帰ってくるのが、楽しいんだよね、とか。
・・・オタクオーラと言うか、もうすごいマイペースオーラ、
天才オーラ満載だと思いました。
その天才感に
「ジョブスと似てるといわれたことは?」と会場から質問されると、

「ジョブスって誰だっけ?」(←真面目に思い出そうとしながら)

好きだなぁ、こういう人。
「ああ、アップル社の人ね。わかった。でもアップル社は好きじゃないんだよ」
そしてスマホもケータイも持ってないのに、GPSは、なんかすごいのを持ってたりして
ガーウィンがどうとか、わたしの全然知らないことを話す。
「だってGPSおもしろいよねー。ぼくずっと、全部自分の移動記録してるんだ」
と楽しそうに話す。

非常にあたりの柔らかい、優しそうな人で
ふわんとしてるんだけど、こういう感じ覚えがあるなぁと考えたら
ちょっと赤塚不二夫とか、荒俣宏とかと、同じ匂いの人なのでした。
写真家の津田直さんの話を聞いた時にも、底知れぬ独特のものを感じて
うわー天才だな、この人、と思ったし、絵描きよりも写真家の方が、
そういう底知れない感を感じる人が多い気がするなぁ。

いや、本当におもしろかった。
そして対談相手の清水譲さんの話は、すごく的確でわかりやすい評論で
松江さんに足りない言葉を完璧に補って説明されるので
ひゃー頭いい人だなぁと、舌を巻きました。

どんどん好きになる

2013-10-21 | 写真
10月いっぱいやってる友だちの店での写真祭、昨日ちょっとだけ在廊してきたんだけど
その時に写真家の北畠さんが来てくれてゆっくりおしゃべりしました。

北畠さんは小学校4年生の時にお金を貯めてカメラを買ったけど
本当に写真が好きになったのは大学生の頃で、
それからも、どんどん好きになっていって、ずっともっと今も好きになり続けてるので、
人生で今が一番写真が好きかも、とおっしゃる。
・・・ああ、すごくいいなぁ。

小学生の時から半世紀以上?ずっとどんどん好きになり続けているものなんて
中々ないよねぇ。
写真が仕事になって、仕事が忙しい時にちょっとつまらなくなりもしただろうけど、
「運がよくてそんなに嫌な仕事はしないですんだからね」とおっしゃる。
これからも、まだもっと写真が好きになっていくんでしょうね。

こういう気持ちよりも大きなものなんて何もないと思う。
写真を好きな人には、こういう人が時々いるけど、写真の魔力でしょうか。

まあ、そういう話でじわっと感銘を受けたあとは、
ひたすらおいしいものの話ばかりしてたんだけど(笑)。
おいしいものをよく知ってらっしゃる方です。

北畠さんのサイト
この煙突の写真は1枚,うちの店にも飾ってあります。

銭湯王国展

2013-10-20 | 写真
写真まみれの1週間のあと
引き続き尼崎に、工場や廃墟写真を撮られている
小林哲郎さんの、銭湯写真の展示を見に行きました。


六甲の撮影会で小林先生の人柄のファンになったので、
なんとなく気分で行ったのだけど
何となくにしてはすごく面白かった、というか面白すぎ。

銭湯関連の展示は全部、興味深く面白いんだけど
小林先生は「尼崎全銭湯写真展」をされてて
日本でもトップクラスの銭湯密集地域尼崎の全銭湯撮りおろし。
トークのある日に行ったのでそれも聞かせていただきました。
尼崎にこんなたくさん銭湯があって(四十何カ所)
しかもそれぞれが、こんなにすごいデザインとは!と心底驚いた。
古い建物はちょっと奇抜なものや不思議な形などありますが
ちょっとどころじゃなく、もう・・・もう・・・すごい!
濃厚な奇抜のてんこ盛り。
昭和のキッチュが、普通にありすぎてわけわかんなくなる斬新さ。
銭湯ってすごいのねぇ、と感心しました。



そのあと懐かしいプラッシーやみかん水を飲んで
地下の旧留置場ツアー。




銭湯王国展の展示会場は旧警察署の古い建物で
今は閉鎖されて普段は使われてなかったりするそうですが
建物自体も雰囲気のある面白い場所です。
その半地下にあった留置場を案内する15分くらいのツアーにも
参加してきました。

わたしはいわゆる霊感とかまったくないんだけど
いやぁ、色々な感情の残骸が漂っていそうなところでしたよ。
本当に面白かった。いやはや。

好きな焦点距離

2013-10-16 | 写真
>好きな焦点距離は年齢と一致する。(都市伝説)

・・・そうかも!笑
50㎜のレンズが一番しっくりくるもんなぁ。(年がばれる)
でも、これから広角レンズばんばん行けば、若返るってこと?笑

わたしは多分、自分が何かに目を留める時に見えてる情報量以上のものを、
中々うまく処理できないんです。
50㎜くらいなら、ちょうど自分の手におえると言うか、
遠すぎず近すぎずほどほどの距離感で、
等身大よりちょっと集中してモノを見るくらいが、ラクなんでしょうね。

>確かに50mmは等身大にモノが見えるというか素直な焦点距離なんですよね。

本当にそう思います。淡々と作為のない素直な写真を撮りたいんです。
若い時は作為だらけだったかも。
技術もないけど、とにかく、もう作為はいらないのよね。
(技術は、ほしいけど。笑)

絵は、写真と違って素人がそのまま素直に描いても、
素直な作品になるわけではないというか、
そもそも最低限でも技術がないと、日本画なんか書けない。
技術を得るために、いろいろ別のものまでも得てしまう。
そこで作為をなくすのは、ものすごい難しい。

だからわたしは、素人として、ひたすら、
作為のない素直な写真を楽しみたいの。まだまだ。

被写体に、離れも踏み込みもしない感じの距離感のレンズが、
だから今はちょうどいいのです。
50㎜は35㎜より、少しだけパーソナルな感じがするけど、
そこはわたしの半端な甘さかな。

写真まみれの週

2013-10-15 | 写真
1週間で4回撮影に行き、デジイチをこんなに使ったのは初めてで
腱鞘炎になりそうです(笑)

土曜日に宝塚の知り合いの方主催の撮影会で清荒神を半日撮って、
日曜日は京都に写真を撮りに行き、
木曜日は友だちに誘われで六甲ミートアーツへアートと夜景を撮りに。
そして土曜日に、友だちのカフェ・ギャラリー主催の
写真展の(わたしも出させてもらってます)イベント・ワークショップで
御影の高架下のへん撮影+講評+レクチャー+
ペンライトを使ったポートレート撮影という
盛りだくさんすぎる1週間。
講師の先生は横木安良夫さんという
テレビ「世界の街道をゆく」のスチールやムービーも撮られている写真家で
お話も興味深かったです。
他にも神戸の写真家の方々が協力して下さってて
本当に贅沢な日でした。

そういうわけで1週間、
写真のことしか考えてなかったですよ。
でも写真が少しでも上手くなった気はしないダメなままですが、
自分がどこで立ち止まっているかは、はっきり再確認できた。
ただ、そこから進みたいのかどうかは
自分ではまだわからないんです。
どこにも進まず、気楽に遊んでいたいだけの気もするし、
でも目の前に進める道があって、いい先生もいていい機会もあるなら
もっともっとと思いたい気もする。
年末まで考えようと思いました。

その合間にほそぼそと映画祭の用事があって
家で全く料理をしない1週間でした。胃が弱ってます・・・。笑


あまりこのブログでは
何をしました、楽しかったです、
何を見ました、勉強になりました。というような
やったことの報告みたいなことは書かないし
映画の感想もひと月もあとに書くこともあるし、
つらつらと思ったことを書くばかりのブログですが
この一週間は、ちょっと刺激的だったので記録してみました。