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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

港のへんとか

2016-01-22 | 写真
写真グループのワークショップで時々お世話になっている横木安良夫さんが
デジタル写真集をばりばりと出版しだしまして、
そのお話など聞きながら、何人かの写真の組み方を講評してもらうワークショップ。
ワークショップの後は、海辺から新開地のあたりまで
写真を撮りながらぶらぶらして、
それからKAVCでやってるKOBE☆HEARTの写真展。
この写真展行くのももう6年目かなぁ。
毎年、お世話になってる先生たちや友達が出展しています。

神戸の海の見える。某新聞社の会議室。景色がすごい。


それから写真撮ったり、途中でコロッケやホルモン焼きを買い食いしたり。






パーティは、知ってる人の合間を、写真を見ながら飲みながらゆらゆら歩いて
喋って笑っていつも楽しい。
毎年番号くじで、写真のプレゼントがもらえるんだけど
毎年行ってるのに一度も当たったことがない。
初参加で当たる人も、2年目で2年とも当たってる人もいるのに。
10年続けても、当たらない気がしてきた。笑

ワークショップの時の話は、また今度書きます。


奈良に写真撮りに

2015-11-30 | 写真
奈良に、写真の友達といってきた。
寒かったけどお天気が良くて、気持ちいい日でした。
午前中、鹿など撮って、昼食のあとは、借りた会議室で写真のタイトルについて
いろんなお話を、みんなの写真見ながら。面白かった.
そのあと、夕方まで二月堂に行く友達と別れて
ひとりで駅前の商店街からぶらぶらスナップ撮りながら、どんどん歩いた。
とても久しぶりに持った7、8年前に買ったGRD2の写りがやっぱりきれいで、
なんだかスイッチが入って、楽しく撮影しました。

撮影会というものが苦手で、
でもそこの人たちが好きで楽しいのでいつも行くけど
なんだか中途半端にしか写真が撮れないんですけど
やっぱりひとりになると、写真撮るモードになれる。
自分より上手い人たちが自分よりいいカメラでたくさん撮って、
わたしの持ってないソフトできれいにレタッチした写真を見ることができるのに、
同じ場所で同じようなものを自分が撮る気にならないのも、ある。
そういう場所で、自分だけのテーマやモチーフを見つけることもできるけど
それすると、どうもあざとくなりがちだしなぁ。
ひとりになると、のびのびと、自分の見るものだけに集中できるので
写真とるのはやっぱりひとりの方がいいかなぁ。

でも撮った写真を見ると、ひとりでもひとりじゃなくても、
自分の写真がこじんまりとして大雑把なのにあきれる。
友達の写真のスケールが大きかったり
センスがすごかったり視点が面白かったりして、
ああ、わたしってホントこじんまりしたスケールの小さな人間だなぁと思う。

うえの写真は奈良の鹿。
去年の3月に行った時は、換毛中で、ぼさぼさにハゲてて
全然可愛くなかった鹿ですが、今はみんなきれいでかわいいです。

そしてひとりでふらふら写真撮ってると、バーを見つけて飲んだりもする。

魔法

2015-07-09 | 写真
写真撮ってないなぁ。。。

これは素敵な写真家エリオット・アーウィットの言葉。
写真がよくあるためには、
その写真にバランス、フォーム、内容があることが必要だけど
「すごく」よくあるためには、
説明できない魔法のようなものもいる、って書いてある。
こなれた日本語にすると
「良い写真にはバランスとフォームと内容が備わっているが
「素晴らしい」写真というものにはさらに
何か説明しがたい魔法が込もっているものだ」
でいいかな。でもこなれない日本語の方が感じは出る。

これ、絵でも文章でも同じことよねぇ。
たくさんやってると、何かが起こることがあるけど、
そもそもやってなければ何も起こらない。8月は写真撮ろう。

KYOTOGRAFIE

2015-05-02 | 写真
京都グラフィーという写真祭?に今年も行きました。
京都グラフィーは、京都の古い家や蔵で
いろんな写真家の作品を展示する写真のフェスティバルのようなもので
一昨年行った時のブログがこちら→京都グラフィー

今回は京都に住む友達の案内で、わたしはぼーっとついて行ったんだけど
中々良い感じに見ることができて楽しい1日になりました。

まず妙満寺で古賀絵里子さんの展示。

見終わった頃ご本人がいらしたのでお話を伺いました。
すごい感じのいい素敵なかわいい人で、同行の男子が緊張しまくり、
会話のテンポは変だし、写真集持ってきてるのになかなか出せない様子で、
いちいち横から、サインもらったら?写真撮ってもらったら?と
助けないといけなかったのが昨日のハイライト。笑
妙満寺はつつじ寺と呼ばれてるらしく、つつじが満開で良い時期でした。


それからKG+の、ニコラ・コルディ展。
スマホなどで撮ったインスタグラム写真の展示で
ハッセルで撮って自分で手焼きした丁寧な古賀さんの作品の後には
最初すごく雑に見えた写真ですが、中判カメラで丁寧に撮った作品と
スナップは別物だと考えて、そういう風に頭を切り替えてみると
面白かったです。

そのあと、ロジャー・バレンの映像作品を2会場で。

これはものすごく印象に残った。
でも汚いのや、猥雑なえぐいのダメな人にはしんどいと思う。
汚物や動物のあふれるバラックのようなところに住む
不思議な人たち。いわゆるフリークたちだと思いますが
彼らを撮った写真で、でもどこまでリアルでどこからセットなのか
全くわからない。とにかく強烈な作品です。

そして、フランシス・ウルフとブルーノート展。

ブルーノートのレコードジャケットになったジャズマンたちの写真。
ここはボリュームのある展示でした。
ある部屋はビーズクッションが置いてある、中庭が見える部屋で、
スピーカーからはジャズが流れていて、ゴロンと寝転んで
壁の写真展示や庭を眺めながら、ぼんやりジャズを聞けて、
とてもゆったりしました。

最後はマルティン・グシンデ:フエゴ諸島諸先住民の魂 ―
セルクナム族、ヤマナ族、カウェスカー族、というもの。

裸の全身にペイントをする民族を撮ったもので
1920年前後の写真をデジタル技術できれいにしたものだそうですが
写真がはっきりして綺麗すぎるのと、風俗や生活がほとんどなく、
自然の前に人物がいるという形の写真ばかりだったので
なんだか作り物のような感じがして不思議でした。

それぞれとてもおもしろかったし、組み合わせのバラエティもよかったです。
まだあと少しやってます。
京都グラフィーサイト

ボートレース

2015-04-25 | 写真
自分ほどアウトドアに縁のない人間はいないと思ってるのですが
(ディズニーランドもアウトドアだからあまり行きたくない、レベル笑)
ボートレースの撮影というのに行ってきました。
レースとかにも、全く縁のない人生でしたが
写真のグループのワークショップで、プロの方と一緒に撮るというもので、
プロの方も、いつもお世話になって仲良くしてもらってる人なので
気楽な感じで行ってきました。

雨続きだったのに、強力な晴れ女の友達のおかげで?快晴。
初めて行った尼崎競艇場はとても広くてきれいでした。
レースは、見ているのはなんだか珍しく面白いけど
撮ろうとすると、速くて速くて、あ?え?ん?と焦ってる間に
びゅんっと行ってしまう。笑
そもそも望遠レンズを持っていないので、友達のを借りての撮影でしたが、
望遠レンズも初めてなら、動くものをちゃんと撮るのも初めてで、
いろいろと説明やアドバイスを受けながら撮るのですが
帰ってパソコンで見るまではピントが合ってるのか全然自信がなかった。笑
何レースかあるうち、いくらか撮った後は、みんなの気分ものんびりしてきて
場内でたこ焼きや焼きそば食べたり、なんだかお祭りの気分でした。

写真は、思ったほど失敗だらけではなく
いまどきのカメラの賢さを思い知りました。カメラ、えらい。笑
また、速く動くものを撮る機会があるかどうかわからないけど
面白かった。知らないことをしてみるのは、やっぱりおもしろいなぁ。





やっぱり一眼レフが好き

2015-04-16 | 写真
最近大きなカバンで、ここ数ヶ月ずっと持ち歩かなかったカメラを入れて
出かけていると、思い出してきた。
iPhoneだとうまく撮れないなぁと諦めるものが、どんどん撮れるやん!
ちょっと小さいものが多いですね。
そういうのiPhoneでも写ることは写るんだけど、
思ったようには全然ならないから。それがすいすい撮れる。

ああ、これが楽しいんだった。

わたしは自分のコンデジGRDで撮った写真は結構好きなんだけど、
撮るときの楽しさから撮ったものを見るまで、見てから、と続く楽しさって、
フィルムでもデジタルでもやっぱり一眼レフだけだなぁ、わたしは。
写真がいいか悪いかは別としてだけど。笑

今日も、あまりにありきたりな感じでレンガの間から小さな植物が、
すごく小さな花を咲かせていたところで、かわいいなぁと思いつつ、
でも写真にしたらベタすぎて幼稚だわ、と通り過ぎた後で、
やっぱり撮っておこうと思い直し戻ったのは、
持ってたのが一眼だったからです。

ありきたりでもベタでも、評価がどうでも、いいなぁと自分が思ったなら
楽しく撮ればいいということを、段々思い出してきました。
(ここ数ヶ月本当に、カメラを持ち歩いてなかったのですが)

でも、そのためにはまず、いつもカメラを持ち歩かなくちゃね・・・。
元々小さいカバンが好きなんだけど(重い荷物を持つのが嫌い)
いつも大きいカバンの人にならなきゃかなぁ。

同じ写真ばかり

2015-03-23 | 写真
半年ぶりくらいにカメラにフィルムを詰めて、
細かいところの埃を拭いたりしていて、
ある知的障害のある自閉症の男の子の写真のことを思い出しました。
特に美しくもドラマチックでもない、
押すだけカメラで撮ったたくさんの写真たち。
でも確かにたくさん見て行くとすっとした気持ちよさを感じる。
その気持ちよさは、撮影者のまっすぐなブレない興味の、
濁りのなさなんだろうなと思う。
撮りたいと思ったら撮る、というだけなので、
同じものの同じアングルの似た写真がたくさんあるのも、
好きなものは、いつ見てもやっぱり好きで、
後先考えずに撮ってしまうからのようです。
いい写真にしようとしないで、いいなと思った時に、ただシャッター押す、
だけの写真たちなのです。

そういうことは中々できない。
自分の目と、カメラと目が見たもの、が一直線に並んでるだけの写真は
難しいです。
自意識をそこまで捨て去るのは、自分を表現したいような人には
一番無理なことだろうから。
ただの素人で好き勝手に撮ってるはずのわたしにも、
特にデジカメで撮ってる時には難しいです。

でも、わたしは、自分に関して言えば、
自分なんか空っぽでいいんだと思ってる。
世界がこんなに圧倒的に豊かなのに、
自分なんか、なんにもない空っぽの方が都合がいいじゃないかと思いながら
シャッターを押す。
デジカメ写真は、どうしても、もう少し作ってしまうけど、
フィルムの写真は本当に、ああ、と思ったものを、そのまま撮るだけで、
そうしているとその男の子の写真の気持ちよさに近づける気がする。

だから毎日同じ場所を撮ったりしてしまう。
昨日も同じの撮ったなぁ、代わり映えしないなぁと思いながら、
世界は毎日、新しく美しいんだもん。

妹みたいなカメラ

2015-03-06 | 写真
前日さくさく撮れてたカメラが、
今日シャッターが押せなくなって、壊れたか?とあせったけど、
よく考えたらNikonFE2は機械式カメラじゃないのだった。
このカメラは一応電子シャッターなんだけど、
電池切れてもシャッタースピードがバルブか250分の一だけ
シャッターが押せるようになってたのを思い出して、
250に合わせたら動いた!
電池数年持つので、つい忘れていたのです。よかった!
大きなデジイチは恋人のようなカメラですけど、
銀塩一眼レフのこれは妹みたいなカメラ。

最近あまり写真を撮ってなくて、カメラを持ち歩いてませんでしたが
春になるし、また撮りたいなぁと思ってフィルムを詰め替えました。
落ち着いて、好きな写真をゆっくり撮ろう。

有名な写真と宮武外骨

2015-02-25 | 写真
日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」
~富士フィルムフォトコレクションによる~

長いタイトルですけど、近所の伊丹市美術館でやってたので
写真の友達10人くらいでぞろぞろ見てきました。
「フジフイルム・フォトコレクション」は約150年前の幕末に写真術が日本に渡来してから銀塩写真が最盛期を迎えた20世紀の間に活躍し、高い技術と感性で国内外で高く評価を受けた写真家約100名の「この1 枚!」という代表的作品を、優れた技術で新たに制作された高画質の銀塩プリントで後世に残すものです。

普通の美術展などと比べると数は多くないし作品も小さいものが多いのですが
写真好きな人なら誰でも知ってるような有名な人の有名な作品がいくつもあって
誰でも楽しめるんじゃないかと思いました。
日本を代表する多くの写真家の、いろんな種類の写真をどんどん見ていると、
今の自分の好みがわかってきますね。
わたしは、コントラストの強いデザイン要素の多い派手なものより
優しい写真に今は惹かれるなぁと、改めて思いました。
自分も持ってる写真集に入ってる、とある写真のプリントが
やはりとてもきれいで、小さい写真でしたが、
やさしくてどこか不安でこわいところもあって好きだなぁと改めて。

地下の展示場は宮武外骨展「シャレにしてオツなり」で、こちらも楽しい。

稀代のジャーナリスト・宮武外骨(みやたけがいこつ, 1867-19 55)が創刊した「滑稽新聞」の定期増刊号として月1冊のペー スで発行された「繪葉書世界」(明治40年5月1日-明治42年 6月1日/全26集)は、切り離すと30枚の絵葉書として使用 できるアイデア商品。「滑稽新聞」の絵師らが個性を発揮し た意匠は、まさに“シャレにしてオツなり”の新鮮さです。 2015年の宮武外骨没後60年を記念し、本展では新たに収蔵さ れた「繪葉書世界」22点を中心とする宮武外骨が遺したユニ ークな出版物を紹介するとともに、当館の所蔵品をとおして “シャレにしてオツなり”の世界をお楽しみいただきます。
絵はがきの展示が、宛名面の意匠も楽しく見ごたえありました。
とてもモダンで、意気軒昂感があって面白い。

写真展は終わっていますが(最終日に観に行きました)
宮武外骨は3月1日までやってますので、お近くの方は是非。
伊丹市美術館

報道写真

2014-11-02 | 写真
何度か、ぱらぱらみている写真集が、報道写真なんだけど
カラーフィルムの写真で写真がとても好みなもので、
つい写真を見る目で見てると死骸がごろっと出てくるので、
不意をつかれてぎょっとし、少し考え込んで疲れて閉じる、
というのを繰り返している。
数日後に、同じ本で
同じページで同じことをする馬鹿です。


このあいだまで東京で展示やってたと知って
プリント見たかったなぁと思いながら
なんとなく好ましく見てたんだけど、この前写真家をぐぐったら、
かなりうさんくさい人だったのかもしれないと知りました。
違法医療行為や詐欺事件、ひどい評判や噂。
うーん。

もうなくなってる人ですけどね。そして写真はやはり、いいのです。
寝る前に、今度はもう少し気をつけて見よう。

乾邸

2014-10-08 | 写真
時々、古い洋館の写真を撮ることがあります。
友達のやってる街を歩く系の見学会のこともあるし
写真の友達の企画した撮影会のときもある。
今回の、御影の乾邸は写真の人たちと行きました。
御影の豪邸の間の坂道をぶらぶらとのぼったところにある乾邸は
素晴らしい建物で、広間のシャンデリアが素敵。

久しぶりにフィルムでたっぷり撮りました。
(といっても多分デジカメの4分の一くらいです。笑)
















写真祭2014

2014-10-03 | 写真
先月末頃から写真の関係のお出かけが続いて、
楽しくばたばたしてたんだけど、そのことは今度書くとして、
今月いっぱい、神戸のJR住吉と阪急岡本駅近くのカフェギャラリー2カ所で
写真展をしていて、そこに1枚ずつ出しています。
自分では写真の展示とかはしないと思っているわたしが
去年から唯一参加させてもらってる写真展で、
錚々たるプロの方から熱心なアマチュアまで、
気持ちのいい人が集まってやっています。
どう見ても、わたしが一番下手で申しわけないんだけど、
お近くにお越しの際は覗いてみて下さい。

雰囲気は少し違うけどどちらもいいお店です。
写真祭 Vol.2

撮る時

2014-09-11 | 写真
仲のいいともだちのやってる写真のワークショップに時々参加しますが、
講評用に写真を選ばないといけないことがあります。
わざわざ写真を撮りにいくというのがどうも苦手で、
撮影会は楽しいし誘われれば行くし、行けばだんだんノってきたりするけど、
フィルムで確認せずにゆっくり撮るスタイルが楽しくなってから、
撮る枚数が激減したので、たった1枚でも、中々テーマに合うモノが選べない。

フィルムで撮る理由は、中々うまく説明できません。
ノスタルジーとかじゃないんです。
トイカメラっぽい写りが好きなわけでもないです。
カメラの手触りとかシャッターの感触とか手間の楽しさとかもあるけど、
とにかくその場で見られないという点が大きいのかなぁと思う。
めんどくさがりなので手間ひまかけるのが好きな人間ではないんだけど、
なんでだろうな。
感情と写真を切り離すために時間を置けと言ってたウィノグラントの言葉が
自分の中にずっとあるんだけど、
それ人に言うのはおこがましくて恥ずかしいですね。笑

写真に限らず、ものをたくさん持つということに拒否反応があるのも理由です。
つたない自分の無駄な写真の大量さを思うと、うんざりしてしまう。
それで、そこにストップをかけるフィルムの写真がいいのかもしれません。

それぞれのやり方があると思うので、何が正しいということはないんだろうけど、
うまくなることに貪欲になれない自分は、やはりいつも迷いつつ撮ってて、
いつも微妙な劣等感がある。
どんっと骨太な人になりたいけど、それは一生無理なようだし。

写真は遊びだし、モノを創る遊びというのは自分にとっては、
誰かのためではなく、
誰かの方をみる表現ではなく、
自分の視線の先に他者に依存しない喜びや美しさをを見つけるということで、
評価というものとは無関係なところにあるもの、であってほしいからこうなる。

「カメラにはあまり興味がありません。むしろ写真家の視点やその成果物の方に興味があります。最近では写真家とは機械を操作する者というよりも物事を興味深い方法で見る者のことです。それが収集や編集や撮影あるいはある写真に注意を喚起することを意味しているとしてもです」エリック・ケッセルス

「写真家というのは物事を興味深い方法で見る者」。。。そうだなぁ。
だから撮ったあとの加工より、撮るときの自分の視線に、
より注意を払ってしまう。
撮ったあとの加工というのが、
その視線を理解されやすいようにするものだとしても。
むしろ加工はその視線を薄めてしまうことが多い気がする。
わかりやすくしすぎると薄くなるし
わざとわかりにくくするのは、その行為自体が薄っぺらい。

マトリカリア

2014-08-09 | 写真
クリーム色のスプレー薔薇とマトリカリアの花を買ったけど、
マトリカリアって英名はfeverfewで、和名はナツシロギクなのに、
どこから来た名前?と思ったら旧属名だそうです。って属名って何だ?
そして旧ってどういうわけで??
「マトリカリア(学名:Tanacetum parthenium)は、
現在はタナセツム属(Tanacetum)だが、
旧属名のマトリカリア(Matricaria)に由来する名前だという。」ふむ。

ゴミを出したばかりの屑いれに、
しなびてきたマトリカリアをぽんっと捨てたら、
白い屑いれの中のその様子が何かよくて、
数日ぶりに本当に撮りたいものを撮る時の気持ちよさで写真を撮った。
フィルムで、絞り開放。
(上の写真はデジカメです。笑)

何かいいものないかなぁと探す気持ちでいろいろ撮るのではなく、
本当に撮りたいものをふと見つけてしまって、
ああこれだと思って撮る時の気持ちよさは、なんとも言えないけど、
めったにないから、いつまでも素人。

目ざめて腕時計をみると(堀江敏幸写真集)

2014-07-12 | 写真
写真集の見方は色々あると思うけど、というか好きに見たらいいと思うけど、
堀江敏幸さんの小さい黒白写真の写真集を見てる時は、
かなりわかりやすい感じで小説を読むのと同じ感じだなと思った。

小説の中の1ページだけで名作小説として成立することはなくても、
名作の予感のある1ページはたくさんあって、
複雑な小説は1ページ1ページがストレートに繋がってるだけじゃなく
あちこちと呼応したりするし、
単独で詩のようなページもあるかもしれないし、
この写真集の1枚1枚の写真もそういう感じで、
文学者の作った写真集だなぁととても思いました。

もちろん写真も悪くないし、1枚でもいいものはあるけど、
写真自体は地味です。1枚の中にドラマがつまってるような写真ではない。
単独の写真の力と言うより構成のよさかな。編集的にとてもうまいと思う。
細くて少しだけクラシックな飾りのない書体で書かれたような小説、
のような写真集です。

繊細で端整で、こだわりも美意識もとても複雑に整ってる人ですが
それのどこにもあざとさがないのがすごいなぁと思う。文も写真も。
それは、舌を巻くほど韜晦がうまい、のではなく、
これが彼の自然なんだろうなと。大人やなぁ。
ストイックな人と思うんだけど、厳しさは感じないし、
人を伺い見るようなところ、ジャッジするようなところが全くなくて、
静かで淡々としています。
こういう大人になりたかったなぁ。
いい写真集だと思います。