教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育史学会二日目

2005年10月09日 23時55分55秒 | Weblog
 写真は、昨日食べた牛タンを思い出して、学会でもらったパンフレットを(笑)。
 今日は、教育史学会第49回大会(於・東北大学)の二日目最終日。今年は初めて学会の最後までおりました。というのも、学会の催しの最後に、コロキウム「近代日本における教育情報回路としての中央・地方教育会」があったからです。まがりなりにも教育会研究をメインテーマにしている私は、教育会をメインテーマにしたこのコロキウムに出席しないわけにはいくまい、と勝手に一人で盛り上がっていたわけです(笑)。
 教育史学会の二日目は、いつも個人研究発表→昼休憩→個人研究発表→コロキウム、という日程のようです。個人研究発表はいくつか部会が設定されており、同時進行で別々の教室にわかれて発表を行っています。研究発表を聞く側は、興味のある発表があればそれぞれの教室へ向かうわけです。私もいろいろまわっていましたが、昼休憩後はここ二日の疲れがピークに達して受付近くのベンチでバテていました(笑)。しばらく休んで研究発表を聞きにいきましたが、どうも興味のわく発表がないし、あまりに疲れて眠いのでコロキウムまで休むことにしました。その時間帯の発表者の方々すみません。
 個人研究発表は必ず聞きにいかなくてはならないものではないので、無理してでも聞きにまわるのが間違っているのかも… でも、せっかく大金はたいて学会に参加しているのだから、つねに発表を聞いていたいという気持ちもわからないでもない。と、自己分析してみる。
 コロキウムとは、対話とか討論といった意味で、教育史学会では自由討議といった意味合いが強いのではないかと勝手に推察してます。毎回いくつかのテーマにわかれてコロキウムが開かれ、今回は4つ開かれました。私はもちろん、先述した教育会に関するコロキウムに出ました。今回のコロキウムは、M.K先生(東北大学)が司会、K.K先生(宮城教育大学)とY先生(茨城大学)とW先生(埼玉工業大学)が報告者でした。K.K先生とY先生がしっかりした研究成果を発表したため、W先生が「分科会のようだ」とおっしゃったように、コロキウムというよりも研究発表会っぽかったですね。時間も限りがあるものですから、三人の先生方の発表で制限時間いっぱいになってしまって、討議の時間がほとんどなかったのは残念でした。私も質問をいくらか準備していたのですが、討議に入った時には時間が切迫していたので、このまま何も質問できないまま終わってしまうのか?とあせりました。三人の先生方の発表についてもいくつか聞きたいことがあったのですが、自分では教育会の性格づけのために重要不可欠であると思ったかなり大づかみな質問しかできず、しまったなあ、単なる生意気な小僧で終わってしまったのではないかなあと、余計な心配をしてしまいました。
 学会は今日で終わり。外は真っ暗でした。
 今回の教育史学会第49回大会は、自分の研究関心だけで申し上げると、教育会研究の転機となったのではないかと思います。シンポジウムの教育史研究へのメディア論導入も、教育会研究には重要な示唆を与えたと思います。まだまだ課題は山積みですが、少しずつ成果を積み上げていくしか課題は解消できません。私もその一人になれたらいいなと思います。それにしても、大会委員長を務めながら、シンポジウム・コロキウムの司会をも務めた、M.K先生のご尽力に感服します。
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