老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

春間近

2024年02月24日 19時37分13秒 | 散歩中に見かけた風景

 夏日のような暖かい日の後は、グッと寒さが戻り雨も多くなりましたが、間違いなく例年より暖かい冬で、春の足音が近づいています。

 今日は久しぶりの晴れ間で、淀川の河川敷を散歩してきましたが、近くや河川敷で見かけた春の気配をお知らせします。(まさ)


チンチョウゲ(ジンチョウゲ科)

同上

同上


ウンナンオウバイ(モクセイ科)

同上


マンサク(マンサク科)

同上


ナノハナ


ハコベ(ナデシコ科)

同上

ヤナギの新芽

ナヨクサフジ

ヒメオドリコソウ(シソ科)

同上 ホトケノザによく似た花です

同上


バンを見ているハト

バンとオオバン

バン

同上


今日の夕食 湯豆腐/馬刺し/干物/ポテサラ/お浸し

馬刺し 頂きものの美味しい馬刺しでした

干物 昨日に引き続き干物です

ポテサラ 生協購入品

お浸し ナノハナにアミエビ

このタグも丸2年になります。早く外したいですね・・・


ややこしい日本語 その(53) ~流れに掉(さお)さす~ 

2024年02月23日 19時35分21秒 | 面白い言葉や語源など

 これも間違い易い言葉の一つです。

 舟を進める時に棹を押すことから、本来は<傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をすること>という意味の言葉なのですが、最近は<傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をすること>という、本来の意味とは全く逆の意味で理解している人が増えています。

 その大きな原因は、
・日常的には余り使わない言葉であると共に、船を進める時に棹を使うという行為自体を目にすることが殆どなくなっている。

・<邪魔をすること、横槍を入れること>という意味で使われる「水を差す」という言葉との混同
等が考えられそうです。

 更に、これは全く私の私見なのですが、夏目漱石の『草枕』の冒頭に、【知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい】とあります。これは「流れ」ではなく「情」なのですが、全体がネガティブな表現なので、このイメージから「棹をさす」ことがネガティブな印象で捉えられていることもあるかと思います。(まさ)

※ この項は、<ことば研究館><世田谷自然食品>などを参考にさせていただきました。


最近、肉が続いていましたので、今日は久しぶりに魚が主役の夕食にしました。

今日の夕食 湯豆腐/干物/サーモン刺身/メカブの酢の物

干物 冷蔵庫に残っていたサンマ/アジ/丸干しの盛り合わせ

サーモン刺し身

久しぶりに白ご飯も登場 里芋煮付けも一緒に





道成寺と南部梅林へ その② 色々な野草

2024年02月22日 19時15分49秒 | 旅行/色々な風景

 今回のツアーでは当初お目当てにしていたウメの花は殆ど楽しめませんでしたが、今年は京都の城南宮でシダレ梅を楽しむことが出来たので、このような暖冬では仕方ないと諦めました。

 しかし、やはり和歌山は大阪よりは少し暖かいようで、まだ大阪ではそれほど見られない春の野草をしっかりと楽しませて貰いました。

 特に驚いたのは、ムラサキケマン(別名:ヤブケマン)で、大阪の家の近くで時々見かけるシロヤブケマンとは違って、梅林の根元やあちこちに驚く程の群生でした。

 その他、目に出来た野草と共にお知らせします。(まさ)


ムラサキケマン(ケシ科)  梅林で

同上

同上


同上 水辺でも見られました


オオイヌノフグリ(ゴマノハグサ科)

同上


ムラサキカタバミ(カタバミ科)

同上 ムラサキケマンの傍らで

同上


オランダミミナグサ(ナデシコ科)


コメツブツメクサ(マメ科)


ホトケノザ(シソ科)

同上


ナズナ(=ペンペングサ、アブラナ科)


スミレ タチツボスミレの仲間でしょうか


道成寺と南部梅林へ その① 

2024年02月21日 19時18分22秒 | 旅行/色々な風景

 昨日、和歌山県の道成寺と南部梅林へ行って来ました。

 少し前に申し込んでいたバスツアーですが、数日前からの天気予報では気温は高いものの雨の確率が非常に高いとの予報で、歩くことの多いツアーだけにしっかりと雨の準備をしていました。

 しかし、正に「案ずるより産むがやすし!」、朝起きると雨もなく天気予報でも雨の確率は低くなっていましたが、折角用意していた雨準備だけに、万一に備えてそのまま出発。

 最初に寄った道成寺は、まだ曇りで少し肌寒くて丁度良かったのですが、その後南部梅林に着いたことには、何と日が差し始め気温も急上昇、

 梅林への山道を登り始めると、直ぐに汗びっしょりで、1枚脱ぎ2枚脱ぎ上半身はTシャツ1枚に・・・

 全国的に、夏に近い気温上昇を見せたようですが、本当にその影響をもろに受けた1日でした。


 道成寺(どうじょうじ)は日高川町にあり、能楽/文楽/歌舞伎で有名な安珍・清姫の逸話や「宮子姫髪長譚」で有名ですが、701年に建立された和歌山県では最古の寺院です。

 宗派は、法相宗⇒真言宗⇒天台宗と変わった様で、今回は宝仏殿で国宝も含めた仏像の説明を受け、その後縁起堂で縁起の写本を広げての「絵とき説法」も受けましたが、残念ながら写真は禁止でした。

 
 みなべ町の南部(みなべ)梅林は今年の異常な暖かさで、楽しみにしていた南高梅は殆どが散っていて僅かに残った花を楽しむ程度でしたが、暑い中で広い梅林を散策したり、梅干しの工場見学などをしました。

 初めて知ったのですが、「南高梅」の名前の由来は、比較的新しく1950年に上南部村で優良品種へ栽培を統一するための「梅優良母樹種選定会」が発足し、5年にわたる調査の結果、37種の候補から地元に伝わる「高田梅」を最優良品種と認定したが、調査に尽力したのが南部高校の教諭竹中勝太郎であったことから、高田の「高」と「南高」をとって南高梅と名付けられ種苗名称登録されたとのことです。

 また、収穫した梅を浸ける木樽は、元々は地元の酒屋で使用されていたものを、地元の醤油屋が譲り受け、更に醤油屋で使われなくなった古いものを、金銭の余裕のない梅農家が譲り受けて手入れをして使用したという歴史もあったようです。

<道成寺>

山門への石段

山門

本堂

同上

三重塔

安珍塚

境内の桜

<南部梅林>

加工工場内の木樽 200年経過したもの

同上 こちらは100年

樽で加工中の梅

梅黒酢用のカメ


町中で見かけたマンホールの蓋


梅林への入り口 ここから上り坂が続きます

途中には土産物屋が多く、大根も売られています

大根に書かれた「大谷くん グローブありがとう」の文字


ウメの花が少しだけ残っています}
もうほとんど散っています

こちらにはまだ少し残っています

遠くから見ると、花は殆ど見えません。 ブルーに見えるのは収穫時に広げてこの上に実を落とすネットです。

散策コース もう汗だくです

運搬用のモノレール

広い梅林 満開の時は綺麗でしょうね・・・  残念!


同上

未だ少し残っている南高梅の花

同上

花が散った枝



早春の京都市南部へ その③ 羅城門址

2024年02月20日 20時16分56秒 | 旅行/色々な風景

 先日(2月2日)にこのブログで「羅城門」のことに触れましたが、東寺のすぐ近くにその碑があるという事でしたので、城南宮から利用したタクシーの運転手さんにお願いして連れて行ってもらいました、

 場所は、京都市南区唐橋羅城門町で国道1号線のバス停「羅城門」近くにある児童公園の中。鉄柵に囲まれていましたが、「羅城門遺址」とありました。

 こんな所に訪れる人はいないだろうと思っていたのですが、サイクリング中と思われる二人連れが、何やらガイドブックらしいものを手にし、熱心に碑の説明文を読まれていて、何か親近感を持ち挨拶を交わしました。

 また、その運転手のお話ではJR京都駅構内に羅城門の模型が置かれているとの事なので、東寺見学を終えてから京都駅の方に寄って見ました。(まさ)

※ この項は<京都市>を参照させて頂きました。


羅城門遺址
明治28(1895)年,平安遷都千百年紀念祭の事業の一つとして、羅城門の位置を決め、京都市参事会によって「羅城門遺址」の石碑がその地に建てられたとのことです。


同上

同上 説明文

近くにある京都市バスのバス停「羅城門」


京都駅にある模型 京都駅構内京都タワー近く。
元の大きさは、幅十丈六尺(約35メートル),奥行二丈六尺(約9メートル),高さ約七十尺(約21メートル)。正面柱間が七間で,そのうち中央五間に扉が入り(七間五戸),左右の一間は壁であったと考えられています。木部は朱塗りで,壁は白土塗り。内と外は,幅が七丈(約24メートル)五段の石段で通じていました。
平成6(1994)年に、平安建都千二百年を記念して,附属施設も入れて全体の大きさが幅8メートル,奥行3.6メートル,高さ2.4メートルの10分の1大型模型が,京都府建築工業協同組合の手で製作されたもののようです。

同上

同上