昨日のブログでスマホについて書き込みましたが、これとの因果関係は不明ですが、最近非常に簡単な基本的な挨拶ができなくなった人が非常に多くなったと感じます。
私が、基本的な挨拶だと思っているのは、「おはよう」または「こんにちは」や「さようなら」に加えて、『ありがとう』、『ごめんなさい』または『すみません』、そして『お先に…』です。
これらの言葉は、社会生活で他の人と接するためには極めて大事な潤滑油的な言葉だと思っています。
これらの言葉がごく自然に出てくる小さな子供さんも結構おられて、そのような言葉を聞くと思わず微笑み返しますが、逆に立派に育った(?)大人でもこれらの言葉を言えない人とは、人間関係がぎくしゃくすることが予想されますので、個人的には付き合いたくない気持ちが優先します。
誰とでも仲良くなれとは言いませんが、せめて相手に不快感を与えないように、これらの言葉が自然に出てくるようにしたいと思っています。
よく考えるとこれらの言葉がスムースに出るためには、相手の人を対等な人だと思い敬う気持ちがなければ無理なのでしょう。
何処かの誰かみたいに、いくら口で「親切」とか「丁寧」という言葉を何度も何度も並べても、相手を心から対等な人だと思う心がなければ、このような言葉は出てこないでしょう。
真冬の年寄の繰り言です。・・・(まさ)
私が、基本的な挨拶だと思っているのは、「おはよう」または「こんにちは」や「さようなら」に加えて、『ありがとう』、『ごめんなさい』または『すみません』、そして『お先に…』です。
これらの言葉は、社会生活で他の人と接するためには極めて大事な潤滑油的な言葉だと思っています。
これらの言葉がごく自然に出てくる小さな子供さんも結構おられて、そのような言葉を聞くと思わず微笑み返しますが、逆に立派に育った(?)大人でもこれらの言葉を言えない人とは、人間関係がぎくしゃくすることが予想されますので、個人的には付き合いたくない気持ちが優先します。
誰とでも仲良くなれとは言いませんが、せめて相手に不快感を与えないように、これらの言葉が自然に出てくるようにしたいと思っています。
よく考えるとこれらの言葉がスムースに出るためには、相手の人を対等な人だと思い敬う気持ちがなければ無理なのでしょう。
何処かの誰かみたいに、いくら口で「親切」とか「丁寧」という言葉を何度も何度も並べても、相手を心から対等な人だと思う心がなければ、このような言葉は出てこないでしょう。
真冬の年寄の繰り言です。・・・(まさ)