老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

若者には政治的な発言をする権利がある  その① ~造反有理~

2020年02月07日 19時51分09秒 | その他
 昨年9月にニューヨークで開催された国連の気候変動の阻止を目指す「気候行動サミット」で大きな脚光を浴びたスウェーデンの16歳の学生グレタ・トゥーンベリさんに影響されたのか、各国で若い人達が身の回りの出来事に対して、はっきりと意見を述べるケースが目立ってきていますし、香港ではもっと身近に突き付けられた状況に対して、中学生を含めた若い人が将来の香港をあり方に関してはっきりと意見を述べ行動しています。

 これに対して、好意的な見方をする大人もいますが、多くの大人、特に権力を持つ立場の人たちはどちらかといえば否定的な立場を取られるようです。その理由としては

・未成年はまだまだ世の中の仕組みが判っていない。
・世の中は複雑で、子供の単純な考え通りには行かない。
・未成年はもっと勉強して、世の中の仕組みが判ってから、意見を述べよ。
・政治のことは、選挙で選ばれた政治家に任せておけ。
というような意見が多いのではないでしょうか。


 果して、そうでしょうか?

 かってのような、世界の将来を見つめて、将来を担う世代に対する配慮のある政治が行われているのなら兎も角、最近の世界の指導者と呼ばれている政治家は、そんな将来の世代のことは全く考慮せず、現在バイアスの権化と化して、目先の利益を確保・維持することを大袈裟に叫ぶことで政治生命を保とうしている人が多いのではないでしょうか。

 その結果、現在の各国が抱えている切実な課題や、地球全般の環境問題などへの対応は後回しにされ、これらの後回しにされた大きな課題は、その利益を受けた世代ではなくて、将来の世代が担わざるを得ないのです。

 そんな状態に気付き、危機を訴える次世代の人達を、「君たちはこの問題を追及するには早すぎる!」などと非難できるでしょうか?


 私は、これらの動きを見て思い出したのは、1960~70年代の中国の文化大革命時に若者たちがスローガンとして掲げた『造反有理』(謀反にこそ正しい道理がある)という言葉です。
一種の権力闘争でもあった中国の文化大革命とは背景が異なるでしょうが、若者が将来のことを考え、心配なことに対してハッキリと意見を述べるのは当然の権利だと思っています。

 逆に、日本に於いては財政破綻を危ぶまれる国家財政の下で漫然とした政治が行われていることや、目先の産業を守るために、次第に手の打ちようがなくなることに目を塞いだままで突き進んでいる原発問題などに対して、若い世代が自分達の切実な問題として何故にもっともっと声を挙げないのか不思議な位です。(まさ)