老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

都島区の歴史・史跡 その2(史跡など)

2016年02月06日 21時00分00秒 | 旅行/色々な風景
 「その1」で述べた様に、都島の歴史は結構古く且つ京の都からも便利だったので、この地には史跡も多いです。このブログの私の散歩コース紹介の中で、与謝野蕪村生誕地・毛馬の閘門・大阪市水道発祥の地などを紹介しました。
しかし、これ以外にも色々な史跡が多くありますが、今日はその内でまだ紹介していない北部にある史跡を紹介します。(まさ)
(この項は、都島区の広報誌「都島史跡マップ」を参考にさせていただきました。)

淀川神社: 毛馬町1
明治42年の神社合祀令により、現在の毛馬町・大東町・友淵町の氏神が他の神社に合祀されてしまったが、昭和26年に毛馬・友淵・大東町の鎮守として再建されました。
従って、社殿などは比較的新しいのですが、与謝野蕪村生誕地の毛馬町にあるということで、今年は蕪村生誕300年記念として賑わっています。

淀川神社

与謝野蕪村の銅像

渡辺綱・駒繋ぎの樟: 善源寺町1
明治42年までは、現善源寺町の鎮守であった産土神社があった場所です。
この境内の樟は平安時代に源頼光がこの社を創建した時に植えたもので、樹齢900年とも言われていますが、戦災で枯死し現在ではその外側だけが残っていますが、非常に大きくて良く目立ちます。
また家臣の渡辺綱が参拝した時にこの楠に馬を繋いだということから「駒繋ぎの樟」と呼ばれています。

枯死していますが、大きな樟です

駒繋の碑

母恩寺: 都島本通り1 大阪市総合医療センターの近く
旧沢上江村の地にある浄土宗の尼寺で、1168年に後白河法皇が母の菩提を弔うために創建し母后法恩の意を込めて寺号したといわれています。

尼寺なので、男性は入れません

都島神社: 都島本通り1 母恩寺の直ぐ東
旧沢上江村の鎮守社。やはり後白河法皇が母恩寺に行幸の時に創建と言われている。
社殿は戦災で焼失し、昭和24年に再建されました。

都島神社


鵺塚(ヌエヅカ): 都島本通り3
平安末期に京で源頼政が射落とした鵺(頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎、鳴き声はヌエ=トラツグミに似ていたと言われています)が淀川に流され、この地に流れ着き、朽ちた場所だと言われています。このような塚は芦屋市にもあり信憑性はわかりません。
ただし、大阪港のシンボルマークとして、この伝説の動物「鵺」がデザイン化されて使われてます。

鵺塚

大阪港シンボルマーク

桜宮: 中野町1
淀川左岸の現中野町にあり、元々は旧中野村・野田村・備前島町の氏神。
現在ではラブホ街の真ん中になりますが、昔から桜の名所であった。


農業用水門: 都島北通り1 都島交差点の三菱UFJ銀行前。
かって都島一帯は、一面の田園で淀川から幾筋もの農業用水路が引かれていました。
この当時の名残として、旧家に保存されていた水門が、この地に復元されたものの様です。

石造りの水門です。

都島区の歴史・史跡 その1(町の歴史など)

2016年02月06日 20時45分22秒 | 旅行/色々な風景
このブログを始めてから、今まで何気なく通行・散歩したりしていた現在の居住地である大阪市都島区のことが、気になりだし、色々と調べはじめました。
元々、京と大阪を結ぶ河川交通の淀川に面した要衝地だけにその歴史も結構古い様です。
多くの史跡もあり、これらは「その2」で紹介しますが、まず都島区の概要紹介です。

◆まず、都島区(ミヤコジマク)の地名です。
関東の人には東京都豊島区にならって“トシマク”と呼ぶ人が多くいますが、ミヤコジマクです。
また、時々「何処から?」と聞かれて「ミヤコジマから」と答えると「まあ、遠いところからご苦労様」との返答。何と沖縄県の宮古島と間違われていたのです。

◆南東部に京橋という繁華街があり、暴力団抗争が時々発生したり、最近では大阪弁文章で有名になった芥川賞作家黒川博行さんの小説の中で毛馬町が暴力団の拠点として書かれたり、更に銀橋界隈のラブホ街が有名だったりと、少しダークな印象があるかも知れませんが、都市の梅田からも極めて便利で、淀川・大川に近く自然環境にも恵まれた区です。

◆「都島」は淀川の三角州の発達により形成され、平安時代頃から居住が始まったようです。
現在私が住んでいる友淵町だけでなく、近くの現在の毛馬町・善源寺町・中野町・高倉町・御幸町なども、江戸時代の古地図には、既にその名前が記載されています。
※ 笑い話ですが、私が現在の友淵町に越してきたのは30数年前ですが、その時には直ぐ近くにカネボウ(旧社名:鐘淵紡績)があったので、私はてっきり“鐘淵紡績の社名にあやかって、友淵の名が付けられた”とばかり思っており、後でこの地区に長い友人にこれを話して、訂正されたのを記憶しています。全く逆で、関東を本拠地としていた鐘淵紡績が水利が良くて且つ“ともぶち”という地名にも惹かれて、この都島に工場を建設した由です。

◆都島区北部には、史跡ではありませんが、面白い場所があります。
大阪拘置所:住宅・マンションの販売地図にはまず明記されていないですが、大川左岸の友淵町。我が家の直ぐ近くにあります。最近利用者が多くなり、収容能力拡張のため目下改修中で、2年後には16階建ての大きな施設になるようです。
大阪市総合医療センター
地下鉄都島駅から直ぐで、我が家からは自転車で5分
私もチョイチョイお世話になっていますが、近くにこのような施設があるのは非常に心強いです。
・船の便が良かったためか、明治以後第2次大戦にかけて、軍事関係(といっても海軍への食料品供給関係)の会社や工場が多かったようですが、地下鉄都島駅から近い所にある海苔の佃煮で有名な「磯じまん」もこの名残のようです。
・その他、“ヘエ!こんな所に”と思うのが、都島交差点の直ぐ近くにある「ハタ鉱泉」という会社です。町の真ん中にある小さな会社ですが、何と飲料のラムネ類の生産量は日本一の様です。(まさ)