朽ちた金毘羅社をやっとの思いで抜け出ると、300m位離れた山の中にあるはずの疫神社を探しました。これまた山奥にある神社なので、その山奥への入口が分かりせん。しばらく、その入口がないか山肌を目で追いながら歩きました。歩いていると、畑を耕している地元の方を見かけました。この方に声をかけて、疫神社への入口を聞きました。するとラッキーなことに、疫神社を管理している方でした。気持ちよく山奥への道を途中まで案内していただきました。一期一会とは言え、心地良い人の気持ちに心が温まります。
山奥への急登坂を登り切った場所にあった疫神社
教えていただいた山道はけっこうな急坂でした。息を弾ませながら15分位登ると、探していた疫神社がありました。さきほどの方が今でも管理しているにようで、お社の周りは綺麗でした。落葉はたくさん降り積もっていましたが、雑草は生えていませんでした。ただ、最近参拝する人が少ないのかなと思いました。それは、道が落葉だらけで歩いている人の気配がないことでした。また、近年お祭りをした気配もないことです。実際に、途中まで案内していただいた方が「最後にお世話するのは私だけになるかも知れない。」とお話されていました。
疫神社近くからの景色 小さなお地蔵様 疫神社のお社内
疫神社を訪れる前に行った行者堂は、おそらく100年以上も放置されているようでした。次に行った金毘羅社は、50年以上は放置されているようでした。この疫神社は最後の一人がお世話しなくなると、これまた放置されて木々の間に埋もれてしまうのではないかと思います。私が思うに、高度経済成長期に地元を支えるはずだった若者が都会に去りました。加えて昨今の少子高齢化により若者がいなくなり、結果として寺社仏閣がさらに消え去っていくように思います。消えるのは仕方ないとして、その記録だけでも残しておきたいものです。
歩道横に安置された鍵屋地蔵尊 荒神社を探すも見つからず
疫神社を下ると、鍵屋地蔵さんに向かいました手。このお地蔵様は歩道に面して安置されているので遠くから見えました。新しい舗装道路に移設されたのではないかと思います。続いて、その向かい側の大岩付近にあるはずの荒神社を探しましたが分かりませんでした。山の入口付近に大岩が鎮座しているおりその周りを探してみました。山にまで入りましたが見当たりませんでした。すでに、どこかの神社に合祀されたのかも知れません。
柳井市伊保庄の山間部の史跡調査をしたルート
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