2月の田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その2)の下見に行ってきました。シリーズの1回目は11月に田布施の麻里府から麻郷八海まで歩きました。2月は、同じ田布施川河口の対岸である左岸を歩きます。平生イオンタウンのバス停10:09発のバスに乗って、田名バス停で降りました。最初の目的地は神花山古墳です。女王像を見上げながら古墳に登りました。この場所は、私が子供の頃に何度か来たことがあります。近くに海水浴場もあり、小学校の写生大会で来たことがあります。
神花山古墳に立つ女王像 回天が置かれた阿多田交流館
神花山古墳を降りて、防空壕跡や特別少年院新光学院跡を見ながら阿多田交流館に行きました。ここには人間魚雷回天が置かれています。交流館内部には回天に関する資料が置かれています。本番ウォーキング時には入館してみようと思います。阿多田交流館傍の水産大学校のカブトガニを見学後、阿多田半島を歩いてみました。半島の先端近くに行くと、対岸は田布施の麻里府です。田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その1)で歩いた、麻里府漁港や馬島渡船場などが対岸間近に見えました。
阿多田半島から、対岸の田布施の麻里府を見て
阿多田半島から戻ると、百済部(くたなべ)神社を見学しました。石垣作りの太鼓橋がなかなか見事です。神社を一周しました。ここからは、麻里府と阿多田半島に挟まれた田布施川の河口が目の前に見えます。次に、南周防大橋が完成するまで、対岸の戎ヶ下と平生水場を結んでいた渡船場跡を見学しました。半ば崩れ落ちた桟橋がありました。桟橋跡からしばらく歩くと、南周防大橋に到着です。橋の袂には、詩人久保周一の記念碑があります。種田山頭火,江良碧松,久保周一は三羽烏と呼ばれていたそうです。
田布施川河口の百済部神社 南周防大橋の久保周一碑
南周防大橋の中央まで歩いてみました。この橋を車で通る人はたくさんいますが、歩いて渡る人はまれです。橋の歩道には、平生や佐賀などの小学生の寄せ書きがたくさん埋め込まれていました。その寄せ書きのタイトルの多くは「夢」です。今回、橋の中央にある展望所に立って平生湾を眺めてみました。南周防大橋から戻ると、橋の袂の芝生に座って昼食休憩を取りました。
南周防大橋の展望所まで歩く、歩道には小学生の寄書きが埋め込まれている
南周防大橋を過ぎると、今度は埋立地に作られているソーラー発電所を見学しました。以前来た時は整地中でしたので、中に自由に入ることができました。しかし、今回はフェンスが張られていてソーラーパネルに触ることはできません。しかし、フェンス数メートル先にパネルが敷き詰められているため、その構造をつぶさに見ることができました。
赤子山や麻郷八海を見ながら、ソーラー発電所傍の堤防を歩く
この埋立地は昔塩田でした。私が幼少の頃、麻郷米出/鳥越,平生角浜/西浜,そしてこの水場東の埋立地など平生湾に面した場所はほとんど塩田でした。浜子さんと呼ばれる人が塩を含む砂をかき集めていた光景を思い出します。そのうち流下式と呼ばれる方式になり、浜子さんの姿を見ることが無くなりました。その後、しだいに製塩業はすたれてしまいました。
ソーラー発電所のパネル群 曽根児童公園で休憩
ソーラー発電所を見学後、埋立地をぐるりと回るように平生湾に沿って歩きました。そして、いったん水場東に出た後、平生街に向かって歩きました。途中、曽根児童公園で休憩しました。その後、平生街に入って野島神社に寄り、足早に旧平生保育園跡地や旧習成小中学校跡地を通り過ぎました。そして、出発地点である平生イオンタウンに到着しました。ウォーキングメーターを見ると、歩いた総距離は10.5Kmでした。帽子が飛ばされそうなほど風が強く寒い一日でした。
野島神社の鳥居とその向こうの石階段
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2 コメント
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- Unknown (昔の高校生)
- 2013-01-26 12:04:55
- 懐かしい場所があって、幼い日々の思い出が誘発されます。いつもながら、健脚には敬服しています。
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- Unknown (東京里山農業日誌)
- 2013-02-04 15:01:43
- コメントありがとうございます。戎ヶ下と水場の渡船場でよく、当時の歌ヶ浜に行きました。また、神花山から瀬戸内海を見下ろしながら写生しました。昔、この海辺近くに解体を待つたくさんの航空母艦が浮かんでいたことを思い出します。
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