ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

仕事のクオリティは「高性能の鏡」をもっているかで決まる。

2011年07月17日 | Weblog


「ひらめきをカタチに変える58の方法」茂木健一郎著より。

(前日のつづき)
「高性能の鏡」という、この表現が面白い。今まで鏡に高性能などというものを感じたことはなかった。つまりこれはどれだけ仕事に対して、自分の目で厳しくチェックしているかという意味だろう。

ここには実際に厳しい目で自分の仕事ぶりをチェックしている鮨職人の小野二郎さんのことが触れられていた。「すきや橋二郎」は2007年にミシュランガイド東京版で三ツ星を獲得した名店だった。

60年以上鮨を握っているが、その仕事には一切妥協がないという。○○産の最高級のマグロでも、実際に自分で味を確かめてレベル以上のものだけをお客さんに出してた。

また米の炊き方もしっかりとチェックして、わずかな変化も見逃さないという。プロとしてのクオリティを高めるためには常に冷静に客観的に分析することが大事なようだ。

自分の仕事をチェックしないなんて、まるで鏡を見ずにお化粧をするようなもの。

2011年07月16日 | Weblog

「ひらめきをカタチに変える58の方法」茂木健一郎著より。

このフレーズは実に面白い比喩で気になった次第。つまり鏡なしにお化粧などしようものなら、福笑いのようになってしまうからだという。

自分の仕事も、まるで他人を見るように、客観的に冷静に観察する必要があるようだ。自分では完ぺきだと思っても、周囲からはそう見られていないこともあるだろう。

仕事上のアウトプットは作品ともいえる。企画書、営業報告書…いろいろと客観的なデータはあるだろう。いいところ悪かったところ、改善点も見つかるはずだ。

茂木氏は自分で分析することが大事だという。それが鏡を持つということのようだ。人からの意見を頼り過ぎると、時にはよい情報だけしか入ってこない場合があるからだった。その逆もあるだろうが。

また、他人は自分に対して本人ほど関心を持っていないというのも事実だった。個人的なことは自分ほど他人は気にして(関心を持って)いないものだし・・・


「一度、具体的なかたちにして出力する」というのはとてもたいせつなこと。

2011年07月15日 | Weblog

「ひらめきをカタチに変える58の方法」茂木健一郎著より。

「前日のつづき)
たしかにどんなすばらしいアイデアや理想も、実際のかたちにならなければ意味がないことになる。よく、口先だけ達者な人がいるが、実際にモノになったものはほとんど見たことはない。

ここに一つのエピソードがあった。それは、スティーブ・ジョブズの言葉で「Real artists ship.」というものだった。本当の芸術家は出荷する、となって、すばらしいアイデアも具体的な商品にしてユーザーの手元に届けることは大切なことだ、という意味だった。

頭の中の情報を出荷することには、2つのメリットがあると茂木氏はいう。1つは、その情報の価値を客観的に分析できること。2つ目は「感覚系と運動系」の調和が図れることだった。

たとえば、役に立ちそうな情報を、人に話して「出力」することにはメリットがあった。それは、自分で再確認できることと、相手の反応を見ることができるからだった。

もしかしたら、これは学生のころよく英語の授業で言われた「教えることは学ぶこと」というのとちょっと似ていそうな気もするな。茂木氏の仕事の極意は「脳の入力と出力のサイクルを回す」ことだという。


自分のアウトプットに満足できなくて、やめてしまった経験・・・

2011年07月14日 | Weblog

「ひらめきをカタチに変える58の方法」茂木健一郎著より。

これは、たとえば先輩の仕事術をまねても、決して同じような結果は出せない。また、いいアイデアがと思って企画書にしようと思ったがうまく表現できない、というようなことらしい。

理屈では十分わかってはいても、実行するとうまくいかないことのほうが多いかもしれない。勉強、仕事、趣味でもまったく同じことが言える。

これは脳の「感覚系の学習」と「運動系の学習」のバランスがとれていないということだった。「感覚系」とは見る、聞く、感じるなど、情報を受け取った時の処理、認知を行う領域で、「運動系」は実際に手足や口などを動かすことを司る領域だった。

脳は主に感覚系で情報を「入力」し、運動系を使って「出力」していた。もっと分かりやすく言えば、「入力」は「理解」で、「出力」は「実践する」ことだった。

感覚系学習はちょっとしたきっかけで飛躍的に発達するが、運動系学習は反復でしか鍛えることができないものだった。つまりアウトプットの制度は、運動系学習の経路がどれだけ鍛えられているかに依存していた。

まずはアウトプットの繰り返しが大事だともいえそうだ。脳のなかでこんなことが行われていたのか、と初めて知る次第。脳科学者の説明は分かりやすくて面白そうだ。


現代は「好感度」が支配する社会だ。

2011年07月13日 | Weblog

「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。

本や映画も広告宣伝の力が大きい。また一般のテレビCMで認知されている商品のほうが、新聞チラシに掲載された商品より手に取りやすいのは確かだろう。

実際にその商品の質の良しあし(内容)とは別に、ヒットするのは宣伝、知名度が優先されるようだ。ということは、仕事をする際にも、事前にコミュニケーションがうまくいっていることが前提条件となるのだろう。社名も知名度があればそれだけで有利だ。

好感度や知名度が力だということを熟知していたのがナポレオンだった。それはなんとなくいい感じ、という程度のものではなかった。この将軍は並はずれて優れている。戦略を立てるのも卓抜している。人望がある。人を指揮する能力も優れている、などだった。

どうしたらパリの民衆の支持を得られるかを知っていたのだ。かれは大量の情報を高速に読んで、世の中の動向に敏感だったようだ。時代の風を感じ、潮の流れを読むことに優れてたから、民衆の絶大な人気を集められたという。好感度もやはり実力に見合っているからこそ力になるのかな。


仕事も、自分で予測がつけられれば疲れを軽減できる。

2011年07月12日 | Weblog

「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。

ここでのタイトルは、“疲れ知らずの秘訣”となっていた。同じ仕事をしていても、主体性をもっているかどうかで疲労の度合いも異なってくる。

受身ややらされ感が強いと、やはり疲れもましてくる。ところが、自ら企画してやっているときは、意外にも時間が過ぎるのを忘れてしまうことがある。またそんな時は快い疲れだったりする。

また、仕事の見通しがつかないと疲れることも、それがしっかり分かっていれば、スペース配分もでき、疲れも軽減できそうだ。ただ言われたことをやればいいだけなら楽そうにも思えるが、受身の仕事は疲れるものだ。

むしろ全体像をつかんで、主体的に仕事に臨めれば、そのほうが疲労が少ないようだ。また自分はなにをすれば疲れが取れるのかを知っておくことも必要だった。

ナポレオンの場合は、熱い風呂だったという。それでさっぱりして気持ちを切り替えることができたようだ。よく言われるのがナポレオンの睡眠時間は3時間というものだが、昼間も短時間でさっと眠ることができたそうだ。それも訓練だろうな。


男のほうが、ホメ言葉に敏感で、しかもそれをたくさん欲しがる。

2011年07月11日 | Weblog

「すごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

女性に比べて、男性は日常であまりホメてもらうことが少ないためらしい。確かに乗り物のなかでも、女性はお互いにどこどこがかわいい、とかファッションのセンスがどうのこうのというのをしばしば耳にする。

また女性へのホメ言葉は一日限定らしい。うれしいと感じるのはその日限りのようだ。つまりホメ言葉の賞味期限が短いということになる。

逆に男の場合は、何かがカッコイイというような言葉はほとんど聞いたことがない。だから、ホメてもらうとかなり長い期間覚えていることがある。

アメリカの文豪、マーク・トウェインは一度ホメられると二カ月は楽しいと述べていたそうだ。これは個人的にも頷ける。それだけホメてもらう機会が少ないということだが。

ビジネスではオヤジがオヤジのことをホメるということも必要なようだ。相手の何をどうやってホメるかを考えることは、ある意味ちょっとクリエイティブなことかもしれない、とも思った次第。


人を動かそうとしたら、まずホメておくこと・・・

2011年07月10日 | Weblog

「すごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

ここでのタイトルは“人を「説得」したいなら、まずホメろ!”となっていた。まずこれが準備ということになるようだ。

逆のことを考えればわかりやすい。一度もホメていないのに、相手に動いてもらうのは難しいとなる。やはり、ホメてもらったあとのほうが気持ちよく動けそうだ。

ホメるということは、まず最初にその人に関心があるということだろう。関心を持ってもらえるような人の話なら聞いてもいいという気にもなる。

ということは、人と会う時には、自然とホメ言葉が口から出てくるようなクセをつけるのが必要なようだ。自分の人付き合いをラクにしたいなら、これもちょっとしたポイントになる。

なぜホメるのか、など余計なことは考える必要もないようだ。何でもいいから、いいと思った個所を探してホメるだけなのだが・・・(できるといいなぁ)


ホメたり、叱るのが上手な人ほど、出世しやすい・・・

2011年07月09日 | Weblog

「すごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

これは、ハーバード・ビジネス・レビュー誌で行われた調査の結果からのことだった。その調査では、「仕事での出世にあたって、“役に立つ”要因は何か?」という質問がされていた。

それに対する回答での1位は「コミュニケーション能力」で94.7%だったという。この場合は、人をホメる、叱る、また表現するなどのスキルだった。

人をホメるのは技術だというから、訓練次第でだれにでも身につけられることであった。あとはそれをいかに上手に使えるかは個人差は当然あることだろう。

そういえば今まで人をホメるということについて学んだことなどなかったことに気づく。人をホメるほどその人との関係もよくなるようだ。まあ、少なくともマイナスにはならないはず。


スピードを意識することで、仕事の流れは変わる。

2011年07月08日 | Weblog
「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。

齋藤氏は「速い」は「できる」の必須条件だというが、まさにその通りだろう。またで「きるか」らこそスピードをアップすることができるともいえそうだ。

逆にできない人は、それをどう取り組むべきがわからないから時間がかかってしまう。やはり経験を積むことが大事だということもわかってくる。

ある提出物があるとして、その期限ギリギリで持ってくる人より、早めの人のほうが印象はいいもの。もちろんある程度の質が整っていることが必要だが。

スピード感があれば、仕事に追われるというより、攻めの姿勢でいられることは確かだ。齋藤氏は、スピードより質が大事だと言われるのは一部の芸術家ぐらいだろうとも言っている。

実質的なレベルアップは、速くたくさんの量をこなすこと、経験値を積むことだと断言している。やはりだらだらやっているだけでは、仕事の流れはかわらないか・・・


心は決める。が、作戦そのものは臨機応変に変えていくことが大事・・・

2011年07月07日 | Weblog

「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。

これがナポレオンのやり方だった。つまり、プランは綿密に練って、心を決めたらあとは成功させることしか考えなかった。それで不安は吹っ切れてしまったようだ。

はじめのプランそのままに突っ走るのではなく、刻一刻、状況判断して対応を変えていくことがポイントだった。

そう言えば、かつてセブン&アイホールディングズ代表取締役会長(CEO)の鈴木敏文氏も、朝令暮改は決して悪いことではなく、状況に応じて変化することは大事だと述べていたことを思い出す。

確かに、固まった規定に縛られているうちは前には進めないだろうし、成果も期待できない。齋藤氏も一番まずいのは、計画をスタートさせたら、状況が変わったにもかかわらず、決めたことだからこのまま行こうと流してしまうことだと指摘している。

大事なのはライブ感覚、現場での判断力だった。ナポレオンの言葉では「戦争の才能を急速につくりあげるのは、行動上の機転である」だった。


ナポレオンはそのアクションプランどおりに事が運んで戦いに勝ったことはない・・・

2011年07月06日 | Weblog
「ナポレオンで仕事上達」齋藤孝著より。

こう述べているのはドラッカーだった。しかし、ナポレオンはあらゆる戦いで歴史上例のない緻密さでアクションプランをつくっていたのだ。もしアクションプランがなければ成り行き任せとなってしまう。

ナポレオンは、よく言われるplan- do- checkのシステムが優れていたということのようだ。計画を立てることと、それを実践することは別ものだった。

ドラッカーはエグゼクティブとは行動をする者で、物事をなす者だという。そして、それは経営幹部や上級管理職という意味ではなく、誰もが自分でプランを立てて戦略的に実践し、成果をあげることを期待されていると述べている。

その点、ナポレオンはスーパーエグゼクティブだったのだ。戦争の場合は、計画がどんなに緻密に寝られていても、勝てなければ意味がなかった。彼は成果を上げることを習慣にしてしまっていたのだ。


目的と効率だけの世の中には、人間の体温が感じられない。

2011年07月05日 | Weblog
「座右の銘」森村誠一著より。

ここでのタイトル(座右の銘)は「情けは人のためならず」だった。今まで目や耳にしたことはあったが、この意味についてあまり考えたことはなかった。この諺は、辞書の定義と実際の慣用では正反対に分かれていたのだ。

さっそくウェブの辞書で確認してみた。すると「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義とあった。

ところが、一方、慣用では「へたに他人に情けをかけると、かえって甘やかしてしまうので、安易に親切にしない方がよい」と辞書とは正反対の解釈がされていたのだ。

私などもむしろ、後者に理解していた。また実際そう考える人の方が多いのではないだろうか。いずれにしても、あまりにも効率だけが優先されると、非人間性の圧力が増してくると森村氏はいう。

ここに、情けに関する諺が二つあった。「情けほど、人によい結果をもたらすものなない」と「情けは正義よりましだ」だった。仕事にもどこかぬくもりが感じられるならいいがなぁ・・・。


せめて「名前なんかどうでもいい」と言われない程度の人間にないたいとおもった。

2011年07月04日 | Weblog

「座右の銘」森村誠一著より。

森村氏はかつてホテルマン時代、開業準備に追われていたとき、手不足の物資搬入の加勢に駆り立てられたことがあった。上司が各人の名前を読んだ際に、森村氏にも目を向けて「えー、きみ、名前をなんといったっけ」と、ど忘れしたらしかった。

そして、「名前なんかどうでもいいや、きみも新館に行け」と命令したのだった。名前なんかどうでもいいと言われ傷ついたと振り返る。確かに上司から、その場で「名前なんかどうでもいい」と口に出されたら嫌な気持ちになるだろう。

その後、森村氏は「名前なんかどうでもいい」と言われない程度の人間になりたいとおもった、と語っている。70代の後半にもなって忘れないのは、よほど強烈な言葉だったに違いない。

時には、誰がやっても同じような仕事には価値が見出せないと感じることもある。これは自分の仕事だと、仕事に署名が入れられるような職業として作家を目指したのだろう。


メモしながらも、そのこと自体が夢ではないかと不安におもった。

2011年07月03日 | Weblog

「座右の銘」森村誠一著より。

平成6年(1994)12月13日、角川春樹氏は約1年4カ月の拘置生活から釈放されたときに、森村氏に「小説 チンギス汗」の執筆を依頼したのだった。

角川氏の熱気に押されて取り組んだものの、何日も書き出せなかったという。それはチンギスが全モンゴル制覇して即位式で人民に呼び掛ける言葉が出てこなかったからだった。その言葉さえあればと思いながらも、何日も不眠同様の夜が続いたと振り返る。

創作者の生みの苦しみというものだろう。ある夜不眠の果てにうつらうつらとしていると「遠方を見よ」と呼びかけてくる声を聞いたという。目は覚めて、枕元に置いているメモ帳に夢の中で聞いたばかりの言葉をメモしていた。

それ自体が夢ではないかと思ったらしい。たしかに夢か現実かあやふやな感じはたまにある。翌朝、それを確かめると、「志を地の果てへ飛ばせ」と言葉が続いたのだった。それからは一気に書き続けられたという。

映画『蒼き狼 地果て海尽きるまで』は観てはいないが、チンギスのセリフはきっと迫力ある声で「遠方を見よ。志を地の果てへ飛ばせ」と言われたのだろう。ちょっとした一言のメモがその後の勢いにつながることはたまにあるものだな。