ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

砂漠でオアシスを求めるように、生徒は余談を待っている。

2009年04月18日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

先生が教室に入るなり、ほとんど前置きもなく授業を始めたりするとなんだか気分が滅入ったりしたものだった。生徒は余談、雑談が好きなもの。ナルホド余談は砂漠のオアシスとはぴったりかもしれない。

教科書に入る前や途中で何らかの雑談があると、その先生には余裕が感じられたものだった。落語でいうマクラのようなものだろう。一流の落語家はそのマクラでその日のお客さんのレベルやノリを感じ取るらしい。そして、話の内容も変えられるという。

教師とは言ってもさまざまなレベルがあることは、生徒の側も感じ取ってしまう。その教師の授業の進め方が上手かどうかで、その教科への関心も変わってくるものでもあるし。

高校時代の国語の教師は確かに授業の何分の一かは必ず余談をしてくれたものだった。それが面白くてためになり、ノートに書いていたものだった。その後その内容はすべて忘れてしまったが。教科の授業よりもむしろその方が勉強になったかも。

よくトップセールスマンは雑談力があるとも言われている。それはいきなり商売の話に入らない、ということでもあろう。まずは、いいコミュニケーションを築きあげ、信頼を得られてから商談に入るからに違いない。

生徒が待っている余談にどれだけ答えられる教師がいるだろうか。当然興味深い話をするためには、教師自身がいろいろと幅広く勉強していなければ、できないことだろう・・・な。