ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

努力を客観視するための測定方法・・・

2009年04月16日 | Weblog
「朝日新聞」土曜版。2009.4.11付より。

これは「勝間和代の人生を変えるコトバ」というコーナーのなかにあったものだった。そして、この努力の測定方法とはどれだけ時間をかけたかということだった。

この日のタイトルは「努力は、かけた時間によって測定できる」となっていた。これは勝間さんが38歳でたどり着いた考えだという。実にシンプルでわかりやすい。

もちろん、いくら時間をかけたからといっても、その時間の密度こそが大事だろう。努力もどこまですれば満足ということはなかなか判断がしにくいもの。いずれにしても、結果が出なければ無意味になってしまうこともある。

たとえば、受験を例にあげれば、いくら努力しても人がそれ以上の結果を出せば、不合格になってしまうこともあろう。また逆に大した努力もせずに一流校に入れれば、それはそれでカッコよく見える(かもしれない)。

時間という区切りならば、努力が見えやすいのは確かだろう。自分は○○年間これをやってきたといえるものがあれば、それは努力してきたといえそうだ。なかなか年単位で努力を継続するのは大変そうだ・・・

あらゆるレベルで山積みした隠しごとが、事件解決を阻んでいる・・・

2009年04月14日 | Weblog

「世田谷一家殺人事件」齋藤寅著より。

この本は数日前に実家の兄の所によった折に貸してもらったものだった。本自体は2006年6月に発行されたものだった。約9年前のこの事件はいまだ解決していない。

この本に関心があったのは、この被害者のお宅の前の道路を何度か車で通過したことがあり、家を見かけたことがあったからだった。他の家からやや離れて、公園の一角にさみしそうに建っている様子が目に浮かぶ。

4月の初旬にはこの公園内を流れている川沿いの桜が満開で、人々がのんびりと写真を撮ったり暖かい日差しの下で花見を楽しんでいた。しかし、そんなのどかな風景の近くで実に悲惨で恐ろしい事件が起こったものだ。

事件は2000年の12月30日から31日にかけて発生したものだった。しかも遺留品の数はおびただしいほど多かったのも異例だ。指紋さえはっきりと残されていたのだ。それにもかかわらず犯人は捕まっていない。

かなり広範囲に聞き込み調査もされていた。仕事での同僚の家にも警察がかなり経ってから聞き込みに訪れたという。いきなり警察の訪問を受けて驚いたと話していた。

また、事件から数か月後には、捜査本部の警部補が虚偽報告を繰り返していたとも報告されている。採取した指紋も警部補自身と妻のものだったという。こんな事実からも警察はまだ他にも不都合なことを隠しこんでいるのではないかと疑われても仕方がないだろう。

筆者は自信を持って犯人を特定しているが、どれくらい信憑性があるかどうかなどはわからない。しかしかなり広範囲にまた長年かかっていろいろな資料をあたり日本各地を取材したことはうかがえる。いずれにしても被害者や遺族のためにも時効前に、せめて迷宮入りにならず、犯人が捕まってほしいものだ。

運不運といった非合理的な説明しかできない微妙な差異・・・

2009年04月13日 | Weblog
「R25」2009.4.9号より。

最後のページにあった石田衣良のエッセイの中にあったフレーズだった。会社や組織の中で出世できるかどうか(それを望んでいる場合)などは、努力や実力も大事だろうが、運もかなり左右しそうだ。

配属された部署にもよることもあるだろう。またその時の景気の良し悪しとなるともう運としか言いようがないとも思える。自分がいくらがんばったところで、また学生時代の成績がよくても頼りにはならないだろう。

サラリーマンは運が左右することも多いのだろうな。まったく自分に責任がないと思っても、その会社のトップの判断やその時の景気次第で倒産ということもあるだろう。うまくいっている時な何をやってもうまくいくものだが、一旦組織の歯車が狂い出すともうどうにもならなくなってしまう。

筆者が大学の就職課で聞いたところによると、去年はこれで大丈夫かという学生が大企業から複数の内定をもらっていたという。ところが一年後になると、どれほど優秀な学生でも内定一つ得ることさえ困難な状態らしい。たった一学年の差で状況は大きく変わってしまっている。

最終学年を迎えた学生は今のところ不運といった中にいるのだろうな。それは、マスコミでも報道されたように、企業の倒産件数の増加や内定取り消しということからも感じられる。実に企業も生き残りをかけて必死になっているのはわかるが。

とにかく、自分の努力ではどうにもならないほどの運不運が身の回りには起こっているようだ。今はとりあえず、いまできる努力を続け、耐えるしかないのだろうか・・・企業も就活する側も。

新聞より親近感、インターネットより信頼感。

2009年04月12日 | Weblog
『「R25」のつくりかた』藤井大輔著より。

これはこの本の最後の方にあった「さらにビジネスを広げるために」という第六章のなかの一つの項目のタイトルだった。親近感と信頼感という部分が、実にシンプルで語感がいいので取り上げてみた次第。

新聞は毎日目にはするが、読むのはそのごくごく一部でしかない。しかもタイトルさえすべて眺めようとすればかなりの時間を費やさねばならない。

そんな時間はないから、ぱっと見て関心があるところにしか目をとめたりはしないもの。人によって読みやすい新聞はあるだろうが、お気に入りの雑誌に比べれば親近感があるわけではない。

また、インターネットの場合はさまざまな検索にはお手軽ではあるが、時としてそれは信頼感に不安が伴うものもあるのは確かだ。さらに、同じ情報がいつまでもウェブ上にあるとは限らない。

そのような新聞やインターネットとはやや異なるものとして、このフリーマガジンはひとつのブラントともなったようだ。この筆者はそれは、新聞より親近感が持たれ、ネットよりも信頼感が持たれているのではないかと思っているようだ。

今ではこの「R25」もネットでも読めるが。やはり、印刷され活字にするとなるとより責任が問われそうだ。たとえ短い情報や統計資料でも確認、校正は行われていると思われるし。それが信頼感につながるのろう・・・な。

新聞より親近感、インターネットより信頼感。

2009年04月12日 | Weblog
『「R25」のつくりかた』藤井大輔著より。

これはこの本の最後の方にあった「さらにビジネスを広げるために」という第六章のなかの一つの項目のタイトルだった。親近感と信頼感という部分が、実にシンプルで語感がいいので取り上げてみた次第。

新聞は毎日目にはするが、読むのはそのごくごく一部でしかない。しかもタイトルさえすべて眺めようとすればかなりの時間を費やさねばならない。

そんな時間はないから、ぱっと見て関心があるところにしか目をとめたりはしないもの。人によって読みやすい新聞はあるだろうが、お気に入りの雑誌に比べれば親近感があるわけではない。

また、インターネットの場合はさまざまな検索にはお手軽ではあるが、時としてそれは信頼感に不安が伴うものもあるのは確かだ。さらに、同じ情報がいつまでもウェブ上にあるとは限らない。

そのような新聞やインターネットとはやや異なるものとして、このフリーマガジンはひとつのブラントともなったようだ。この筆者にはそれは、「新聞より親近感が持たれ、ネットよりも信頼感が持たれているのではないかと思っているようだ。

今ではこの「R25」もネットでも読めるが。やはり、印刷され活字にするとなるとより責任が問われそうだ。たとえ短い情報や統計資料でも確認、校正は行われていると思われるし。それが信頼感につながるのろう・・・な。

「面白いよりも役に立つ」というもの・・・

2009年04月11日 | Weblog
『「R25」のつくりかた』藤井大輔著より。

このフリーペーパーの読者対象にいして、どんな内容を提供していこうかと考えたところ、上記のような結論になったようだった。

というのも、彼らが求める面白いと思っているものなら、すでにテレビ、ネット、雑誌などにいくらでもあったからだ。面白いものなら自分からいくらでも求められる。レジャーやエンターテイメントはもう十分ではないだろうかと編集者は考えていた。

それより、むしろ役に立つ情報なら知ってお得感があるかもしれない。しかもタダでそれまで知ってそうで詳しくは知らなかったような知識を得られればうれしいことになる。

実際そんな目でこの毎週発行されるフリーマガジンを眺めてみると、経済、政治、スポーツ、健康関連、一般生活、食品、言語、ファッション、雑学等さまざまな雑情報が詰まっている。写真やイラストが多いのも理解を助けてくれる。

しかも、それらをコンパクトにまとめてあるところがいいのだろう。ほんの数分でその知識の入口までは到達できそうだ。もしそれで興味がわけば自分で調べる手がかりにもなろう。

そういえば、私もたまにここに掲載された統計や雑学的な情報などは切り抜いてノートに貼りつけたりもしている。もちろんそれは後で知ったかぶりをするため・・・だが。

無目的な人に「面白いね」と振り向いてもらう。

2009年04月10日 | Weblog
『「R25」のつくりかた』藤井大輔著より。

氏は1973年生まれだからまだ若い。しかし2004年の創刊に関わり初代の編集長でもあった人だ。今ではフリーペーパーの勝ち組といってもいいだろう。首都圏の駅やコンビニの棚に置けばどんどんと減っていく。

私も月に何度か手にすることはあり、時々ちょっと気になるフレーズにも出くわすことがある。ざっと見てさっと読みすぐに捨て去ってしまうものだが、実際にそれを作る側はかなりの苦労をしていることもわかる。

そもそも、「R25]とはどういうことだったのか。このフリーペーパーの読者の約50%が20歳から34歳の男性だという。つまりそこがターゲットだったのだ。とはいっても、十分にそれ以上の対象者にも面白く読める。

いくらタダだからといって、誰もがもらってくれるわけではない。実際に駅やコンビニのラックには置かれてから何日経っても残っているフリーペーパーの方が多い。

そんな中で、この「R25」は実に人気があると思われる。数千冊も置かれても翌日にはほとんどがはけてしまっている。しかも、2008年6月の特別号は100万部を達成してた。といっても常にこの部数を発行しているというわけではないようだ。

内容のメインは聞いたことはあるが、詳しくは知らないというようなことが記事として毎回書いてある。もちろん毎号どれも面白いというわけではないが、次にはどんな情報が出てくるだろうという期待からまた手にしてしまうこともある。

最近は活字離れといわれ本が売れなくなっているらしいが、この「R25」の中にあるブックレビューというところに取り上げられた本は別に新刊ではないが売れ始めているという。それだけ反響がある証拠でもあるかな。最近はウェブでも「R25」はあるので、全国どこでも読めるようになっている。

花から学んだ「か・き・く・け・こ」

2009年04月09日 | Weblog
「相鉄瓦版」2009.4月号より。

假屋崎省吾さんは、人生は「かきくけこ」だと考えていた。それは実にシンプルな語呂合わせのようだが、花から学んだことだったのだ。

料理味付けの基本は一般的には「さしすせそ」だということはご存知のことと思います。さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=しょう油、そ=味噌をうまく使いこなせるかどうかが味を左右するのでしょう。假屋崎さんが花から学んだことのごく一部を順に抜粋してみよう。

「か」・・・「感謝・感動」。花を通して素晴らしい人たちとの出会いに恵まれたことで実感しているようだ。感動することで生きる勇気さえ湧いてきたともいう。

「き」・・・「緊張」。適度な緊張感があることで、毎日を楽しく過ごせていると感じている。まあ、ストレスをためないほどの緊張感という意味だろう。

「く」・・・「くつろぎ」。緊張感のある仕事の合間には息抜きも必要になってくる。気分をリフレッシュすれば、また新鮮な気持ちで仕事にも取り組めよう。

「け」・・・「決断」。花の仕事でいえば、どの花を選び、どう構成するかという決断だった。特に大作を制作する場合には大きな決断力を迫られることだろう。人生にも通じそうだ。

「こ」・・・「好奇心」。好奇心があれば、新しい発見もできる。知識の吸収もそれが基本だろう。そこからチャレンジする気持ちも生まれるに違いない。年をとっても好奇心を保っていたいもの。

どれもこれもシンプルすぎて、忘れがちなことでもありそうだ。いつもこんな心構えができたらいいな~。

人生を豊かにする「心のビタミン」

2009年04月08日 | Weblog
「相鉄瓦版」2009.4月号より。

華道家の假屋崎省吾さんの教室に通う生徒さんは、約700人いるという。常に時間に追われてかなりご多忙だとは思われるが、月に10回以上教室を開いて、直接指導しているようだ。

教室によっては看板の先生はめったに出てこないところもあるらしいが、假屋崎さんは生徒さんと触れあう時間はとても掛け替えのない時間だと述べている。こんなことからも、実に真面目な指導を心掛けていることも感じられる。

実際、マスコミやテレビで見る假屋崎さんは、明るく振舞ってやさしい感じも見える。ところが、花を生ける現場では実にてきぱきと厳しい。二年ほど前にあるホテルの催事の飾り付けの会場でダイナミックな生花をいくつも制作してる現場にいたことがある。

広い会場では、トレードマークの長髪を束ね帽子をかぶって、汗まみれになって動いていた。弟子たちには厳しい口調で指示する姿は、とうていテレビでの彼の姿とは全く異なっていた。まさにひとりの芸術家を見た思いがしたものだった。

そんな彼は人には「花は心のビタミン」だと言っているようだ。それは、花をライフスタイルに取り入れると、心の潤いが格段に変わってくると感じているからだった。

お祝いの席には華やかな花は一層場の雰囲気を盛り上げてくれるもの。そして花は人生を明るく豊かにしてくれるものだろう。

花はいただいても差し上げるのもうれしいもの。生花は生花なりの、造花は造花なりの良さをもっている。選んだものを差し上げ、喜んでいただけた時はやはり花のビタミンを実感。そのポイントはタイムリーかどうかもあるだろうな。

どこか素敵だな、と思う人は男性も女性も背筋がピンと伸びていて、・・・

2009年04月07日 | Weblog
「相鉄瓦版」2009.4月号より。

その後に続く言葉は「・・・物腰がやわらかい感じです。」となっていた。

ここでの筆者は女性の写真家で姿勢が悪いらしく、周囲からはよく注意されていたと語っている。しかも、他人が撮ってくれた写真を見て想像以上の姿勢の悪さにショックを受けたことがあるようだった。

私も食事をする時やパソコンをしているときなどはかなり猫背になっているに違いない。自分ではそれが習慣になって、楽な姿勢だと勘違いしているのかもしれない。

また、ポケットに手を突っ込んでいる時などもきっとかなりだらしない姿勢だろう。ここには書いてはいないが、そこで、ダンディな人間で連想するのは白洲次郎だ。彼の写っている写真はどれも背筋がピンと伸びて実にカッコいい。

ここでは茶道を例にとっている。点前をしているきの姿は、背筋を伸ばしてあごを引き、手元を見すぎないようにしていて美しい。ここにはまた、どんなにオシャレをしてメイクを決めていても、姿勢が悪ければ台無しとあったが、それは言えそうだ。

さらには、姿勢が良いとそれだけで高価な衣装を身にまとっていることと同じだとも言っている。それが無意識のうちに身についていれば、オシャレもより引き立つのだろう。気をつけねばな。

相手に質問するより先に自分の情報を公開する・・・

2009年04月06日 | Weblog
「R25」2009.4.2号より。

(前日の続き)

雑談仲間が職場にいることも大事なことのようだ。それは仕事の相談もお気軽にできるということでもあろう。ふだんから気の合う仲間がいれば、当然ながら雑談もスムーズにいくだろう。

さらに深く雑談をするテクニックというものがあった。それは“自己開示する”ということだった。つまりこれは自分の情報を打ち明けるということだった。これが雑談に有効なのは、自己開示をされた相手は、こちらも同程度の“自己開示”をしなければならないという心理が働くからだった。

「私○○に住んでいます」と言えば相手は「私は××に住んでいます」といわなければならなくなってくる。それは職場やふだんの会話に限らず、営業のシーンでもしばしば使っているかもしれない。

また多くの人とコミュニケーションをとる場合、同じ話を繰り返すのも時間がかかる。そこで、時には紙に書いたものを渡してしまうというのも一つの技ではないだろうか。実はそう思って、以前「雑・かわら版」というものを作って人に渡したことがある。

もちろんあらかじめある程度親しくなった人だけに渡すわけだが、次に出会った時にはいきなりその話題がでてコミュニケーションがスムーズに運ぶということもあった・・・な。今でも時どきやってますがね。これもまた“自己開示”の変形かも。

“雑談”と聞くと仕事に関係ないおしゃべりと思いがち・・・

2009年04月05日 | Weblog
「R25」2009.4.2号より。

ここでのタイトルは「職場に潤いを与えるおしゃべりテクニック“雑談力”を身につける」となっていた。もうこれだけで、雑談は無駄ではないと言っているようなものだろう。

つまり雑談によるコミュニケーションは、社内でも有益なものだという意味合いがあるようだ。確かに職場で仕事の話しかできなければストレスがたまりそうだ。私など冗談やバカ話や笑いが少なかったりすると、なんだかその日は損をしたような気分になってしまう。

実際に仕事をうまく運ぼうとするなら、普段からのコミュニケーションが大切なことは言うまでもない。雑談などによるインフォーマルコミュニケーションこそが、仕事もうまく運べるポイントともなっていよう。

そもそも雑談するためには、何らかの情報を持っていなければならない。それを自慢にならない程度に披露していくということでもありそうだ。また雑談は気分転換にもなるし、人と共通の話題を持つことは気持ちがいいことでもあるな。

ここにはいくつかの雑談力を向上させるテクニックがあった。どれもすでに無意識のうちにやていることでもあるだろうが、一応抜粋してみよう。1、大きく相づちを打って、話を促す。2、失敗談をへりくだって話す。3、お世辞は3回まで。4、グチは黙って聞いてやる。5、自慢話を聞き出す、などだった。

「代わりがきかない人」特有の、特別な風格・・・

2009年04月04日 | Weblog
「ミステリーとの半世紀」佐野洋著より。

佐野氏が江戸川乱歩に会ったときの第一印象は「怪物」というものだったらしい。当時(30歳ごろ)の筆者は1メートル78あって、それより高い年長者は稀だったという。しかし、一見して佐野氏より背も高く堂々とした恰幅を持っていたと振り返っている。

「あ、ほかの人とは違う」「この世に一人しかいない人物」と感じたようだ。もっとも誰だってこの世に一人には違いないが、スケールの大きさや「オーラを持った人」だったのだ。

そして、佐野さんはあのオーラはどこから来たものかと考えたようだ。例えば、初当選した政治家が総理大臣の前に出たら、あの時のように感じるだろうかと思いを巡らしている。

しかし、それとは違っていたのだ。総理大臣は代わりがきくが、乱歩さんは「日本に近代探偵小説を根づかせた人」で、代わりを見つけてくることはできないという考えに至っている。

つまり、代わりがきかない人特有の、特別な風格が、江戸川乱歩の身にはついていたのだと、述懐している。そんなことが周囲の人を威圧するような雰囲気を作っていたに違いない。

そんな風格を感じる人ってそうそう身近にはいないことにも気づく。そういえば、10年近く前に長嶋茂雄さんを帝国ホテルでのある催しで、間近で見たことがあったが、確かにオーラを感じた数秒間だったな。

「合理的なものほど美しい・・・」

2009年04月03日 | Weblog
「ミステリーとの半世紀」佐野洋著より。

この本は筆者の回顧録のようなもので5年間にわたって連載されたものをまとめたものだった。本のタイトルにある「半世紀」とは、佐野氏が初めての作品『銅婚式』を1958年に書いてから今年2008年までの50年間と一致していた。

上記のフレーズは筆者が中学三年のときに担任の先生が話した言葉だったのだ。しかも、それはその後の佐野氏にも影響を与えたようだ。この部分の一部を抜粋してみよう。

「わたしは、合理的なものほど美しいと思っている。そして、世の中で一番合理的なのは数学、次が天文学だ。数学は、基礎的なことを積み重ねていけば、誰でも同じ結論に達するわけで、こんな公平なものはない。・・・(中略)さて、三番目に合理的なのが探偵小説だ。これもちゃんとした理屈に基づき・・・」

そして、この先生は黒板に「Edgar Allan Poe」と書いて、日本の江戸川乱歩は、それをもじってペンネームにしたということなどを話したようだ。50年以上前のことを実によく覚えているものだと感心してしまう。自分を振り返ってみても、中学時代に先生が喋った印象的な言葉などほとんど何も思い出すことはできない。

佐野氏は当時から探偵小説に関心があったので、きっと「探偵小説が合理的だ」という言葉もよく理解できたのだろう。しかもデビューから50年間にもわたって作品を書き続けてきたということはすごいことでもあるな。

「名作発掘」と題して『四月馬鹿の悲劇』を紹介した・・・

2009年04月02日 | Weblog
「ミステリーとの半世紀」佐野洋著より。

たまたま、四月に入ったのでこの『四月馬鹿・・・』という部分が気になった次第。筆者の佐野氏が作家になった後で、『推理』という雑誌の別冊の責任編集を任されたとき、上記のように「名作発掘」と題して『四月馬鹿の悲劇』(岡田鯱彦著)を紹介したという。

というのも、そのときの驚きがそれだけ強烈だったからだと語っている。しかも、そこには次のように書いていたのだ。・・・“私に『四月馬鹿の悲劇』とピーストンの『自供書売ります』を読む機会がなかったら、或いは、私は推理小説家になっていなかったかもしれない。”

そして、それは決して誇張ではないとも書かれていたのだ。結果的にも、佐野氏はこれを読んでからほぼ10年後に探偵小説の懸賞募集に応募して作家となっていた。

このように、人生の方向を決めてしまうほどの作品に出合ったことはある意味ラッキーだったのだろう。今までの自分にはそんなインパクトのある本に出合ったことはなかった・・・かも。