素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

星田妙見宮・星降り祭

2024年07月23日 | 日記
 今日、星田妙見宮で「星降り祭」があった。早くから近辺の道路わきに「星降り祭」の旗が立てられPRされていた。ずっと「ほしふりまつり」と呼んでいたが、広報を見ると「ほしくだりさい」が正しいことが分かった。

 10年以上前に一度だけ行ったきりご無沙汰していた。16時からお火焚祭(登籠の滝大護摩供)、18時30分から湯立て神楽となっていたので夕食後、涼みがてらに出かけることにした。18時を過ぎてもまだ陽は高いが参道に入ると木々のおかげで暑さはやわらぐ。登籠の滝の前には16時からのお火焚祭(大護摩供)の跡が残っていた。
   彗星探索家や地元に古くから伝わる話をまとめると、この滝壺含め山の斜面が隕石が衝突した際の衝撃で吹っ飛び馬蹄型として残っていること、またこの地域はもともと鉄がなかったのに鍛冶屋や刀作りが盛んだったのは隕石の鉄によるものと推察されている。彗星探索家の木内氏は「816年に北斗七星と同じ方向のペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星のかけらがここに落下した」と述べている。

 湯立て神楽が始まるまで15分ほど時間があったので、階段中腹にある木戸門に15年前に密かに貼った千社札がどうなっているか確かめたくなって思い切って急階段を上ることにした。
  新たに一枚加わっていたが私の札もかろうじて無事であった。階段は上りより下りのほうが気を使う。これでバランスを崩し転がり落ちたら目も当てられない。7月に入ってから救急車にお世話になった知人出ているので慎重に足を運んだ。戻ると程なく湯立て神楽の神事が始まった。
佐々木宮司の祝詞の奏上に続いて、巫女による舞いが始まった。清め、湯立て神事、剣舞と太鼓と笛の音にのって厳かにすすめられた。周りの木々にとまる鳥やセミの鳴き声も調和していい感じだった。
           静寂に包まれた境内を出るとそこは別世界。露店が並び妙見河原の特設舞台では、だんじり保存会のメンバーによる伊勢音頭や星田妙見太鼓による和太鼓などで盛り上がっていた。
    いい気分転換になった。 
 



 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 特定健診へ | トップ | 葉は茂り花も咲いたが実が見えず »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事