素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

メガネ

2011年11月16日 | 日記
「公立共済友の会だより」11月号の巻頭エッセイで精神科医・立教大学現代心理学部教授の香山リカさんが『私が別人になった日』と題してメガネに関わる話を書いていた。

 大学時代から編集プロダクションに出入りしてライターのまねごとをしていた彼女、北海道の大学病院の研修医になっても知己の編集者から頼まれるとことわれずにペンネーあいムで寄稿していた。まわりの医師や患者さんたちにはわからないようにしてきたが、30代にさしかかった頃にこれまで書いてきた原稿をまとめて単行本にしようという話が持ちあがった。

 単行本となると雑誌や新聞と違い、著者インタビューを申し込まれ写真が出ることもあり、周りの人にライターという副業をしていたことがわかってしまう可能性が大となる。今までどおり副業のことは隠しておきたいと強く思っている彼女は悩んだあげく単行本の編集者に率直に相談した。

 その時、編集者の提案が“写真を撮る時は必ずメガネをかける”である。多くの小説家のデビューとかかわってきた経験上「ふだんメガネをしていない人が変装用にサングラスなどをかけるとすぐバレるけれど、逆にメガネをかけている人がはずすと意外にわからない」という理由からだった。そして、さらに“リボンをつける”ということも加えられた。写真を見る人の注意をリボンに集中させるという念の入れよう。

 その提案を受け入れて、1990年、30歳の頃、架空のキャラクター『リボンにメガネの精神科医・香山リカ』が誕生した。この作戦は成功し、雑誌のインタビューページなどに写真が出ても、北海道の病院では誰にも気づかれずに働くことができたそうだ。あでるのと

 基本のところで“医療は医療、香山は香山”としっかりと線引きをしている点が立派である。メガネをはずして別人になるという話で、パッと浮かんだのが中学頃にTV放映されていた“スーパーマン”。クラークケントがメガネをはずしながらドアをあけ部屋に入り、窓からスーパーマンとして飛び出すシーンは、ちょうど水戸黄門の印籠が出るのと同じようなもので記憶に残っている。

 当時は、今と違ってメガネをかけている人は非常に少なかった。クラスで2~3人であった。私がメガネをかけたがのは高校入学の時である。厄年の頃、小学校の同窓会があり、久しぶりに担任の先生と再会したが、先生が私の顔を見てもピンとこなかった時の様子が印象に残っている。今思うと、先生の記憶にはメガネをかけている私のイメージは存在していなかったのである。メガネをはずせばまた記憶の糸がたぐれたかもしれない。たかがメガネではあるが、顔の印象はずい分変わるということを再認識した。

 教師になって、20代から30代の頃は1~2年単位でメガネのフレームを替えていた。それによって気分を変えていたというのは事実である。また、中学1年生を受け持つとよくあるのが「メガネをはずして!」というおねだりである。一度だけ、はずしてあげたことがある。目つきが悪くとっても怖いということでみんなが引いてしまった。以来、その手の要望は笑ってやり過ごしてきた。

 メガネをはずした顔をさらすのは超プライベートな時だけにしておけば良い。接客業の女の人が、店の裏で素の顔でタバコを吸っているのを見るとゾクッとするが、2つの顔を必然的に持っているメガネをかけている女の人も好きである。ゆえにコンタクトレンズは嫌いである。
コメント
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