素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『ポッカリ月が出ましたら』

2011年11月29日 | 日記
朴慶南さんの『私たちは 幸せになるために 生まれてきた』を読み終えた。20のエッセイ1つずつに“願生”という生き方:苦しくてもつらくても、自分の人生を正面から引き受ける決心をする。自分を害したり、抑圧するものがあれば、それと向き合って状況を変えるように努力し、誰もが最良の自分を生きられるような世の中をめざすために、また生じる縁を善縁とするために、自ら進んで人生のスタートラインに立つ。が詰まっていた。

 その中で、“ナントナク明日ガタノシミ”で登場する親友と“慰霊の鐘が鳴るお寺”でふれられている大川常吉さんのことが15年ほど前に読んだ『ポッカリ月が出ましたら』の第一話と第三話で紹介されていたので、もう一度読み返してみることにした。当時気がつかず、スルーしていたことが見えてきた。本のタイトルが中原中也の“湖上”の最初の一節からとり、中身より先に表題がきまり、そこから“月の満ち欠けに合わせるように、7つの物語を綴った”というはじめにの部分もそうである。当時の私は夜空を眺めた時、オリオンやカシオペアに目が行き、月にはとんと無頓着であった。今は違う。何故なのかは説明できないがさまざまな出会いの結果だろう。

 中原中也は「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる・・・・・・・」しか知らなかった。自分の中に欠けていたものが1つ埋まると嬉しさを感じる。また、そういう機会を与えてくれた人に感謝する。この連続が楽しい充実した人生を送ることかと思う。
 
   湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


 明後日より3泊4日で、九州方面のツアーに参加する。ツアーは運転手、ガイド、添乗員、参加者などとの一期一会の楽しさがある。また、今までの九州旅行でもれた所(柳川、西渓公園、黄金山、竹田・岡城祉、九重“夢”大吊橋、菊池渓谷、高千穂峡、国東半島など)が数多く含まれるツアーなので新たな自然風土との出会いも楽しみにしている。

 旅の伴に、キョンナムさんの本も加わった。
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