素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「牡丹社事件」150年

2024年06月13日 | 日記
 今日の夕刊の一面の「沖縄と台湾和解の歩み」
≪「牡丹社事件」150年≫ ≪日本近代史のタブー 古戦場で跡で記念行事≫ 
という見出しが目を惹いた。


 150年前の1874年5月22日、西郷従道が率いる日本軍と台湾先住民パイワン族の激戦があった、台湾南部・屏東県牡丹郷(旧・牡丹社など)の石門古戦場跡で「牡丹社事件150年記念行事jが行なわれた。とあった。

 「牡丹社事件」は初耳だった。記事によれば、琉球王国時代の1871年、宮古島島民らの乗った船が台風で遭難し、台湾南東部の八瑶湾に漂着した。乗船者69人のうち3人が溺死、残る68人のうち54人がパイワン族に殺害された。パイワン族は琉球人に食事を提供したが、言葉や風習が異なるなど意思疎通が困難な中、悲劇が起ったとみられているが、漢人に助けられ1972年に那覇に帰ることができた生存者12人への聞き取り調査が不十分で詳細はわかっていない。

 事件の真相よりも、琉球をいかに日本に帰属させるかを思案していた明治政府は、この琉球漂流民殺害事件を巧みに利用して政府は1972年に琉球藩を設置し、1974年には「懲罰」として台湾出兵を行った。そして1979年には琉球を沖縄県として日本に併合する「琉球処分」を行った。

 殺害現場と台湾出兵の現場がいずれも牡丹社だったため「牡丹社事件」と総称されている。近代日本軍の最初の海外出兵で、近代史の重要な事件にもかかわらず、日本ではほとんど知られていない。

 記事を読むと考えさせられることが多くあった。「日本近代史 12の謎を解く~伝承と美談の狭間で~」(秦郁彦・PHP)を読んでいても知らないことが多いなあと思う。「知ってどうなる?」ではなく「知ること」が大切だと思う。

 「知らないこと」に出合えた日は心が弾む。
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