素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「楽園の犬」(岩井圭也・角川春樹事務所)読み終わる!

2024年06月06日 | 日記
 最初はたくさんの登場人物が暗躍するスペクタクルな物語だと思っていたが、登場人物は10人余りで筋立ても簡潔で集中できた。読んだ感想を一言で言うなら「不条理」である。少ない登場人物をうまく絡めながら太平洋戦争開始直前の南陽群島の様子、当時の空気感が伝わってくる。久々に小説の醍醐味を味わった。帯(5月28日ブログ参照)に書かれていたことは誇大広告ではなかった。

 心に残った箇所を抜き出しておきたい。興味を覚えたら一読を。

【こうした些細な誤解を見聞きするたび、麻田は情報というもののあやふやさを思い知る。とりわけ、人間は「物語」に弱い。もっともらしい  筋立てが用意されれば、人はあっさりとその噂を信じる。】(P113)

 【自決した男は壮士と呼ばれ、心中した男女は悲恋ともてはやされる。自ら命を絶つ者がいなくならない理由がよく理解できた。そのうえで、麻田はローザに同意する。自ら命を絶つことを、仮にも美談にすべきではない。】(P179)

 【・・・守るものがある人間は裏切らず、必ず仕事をやりぬく、
   堂本少佐の言葉は正しい。「防諜の歌」でも、「父や夫や子や友の命」を引き合いに出し、機密を守れと呼びかけている。人は己一人のためだけに耐え忍ぶことはできない。守るものがあるから歯を食いしばる。
 そして、狡い人間がその隙につけこむ。
 とどのつまり、戦争というのは騙し合いであった。他国に虚勢を張り、自国を欺く。市民には言うな聞くなと強いておきながら、麻田や長地をていのいいスパイに仕立て上げる。】(P187)

 【・・・時には涙を浮かべながら、彼は激戦の様子を熱弁した。熱にあてられ、つられて洟をすすりあげる同級生もいた。国のために死ぬ。勝つために死ぬ。幼い時分は、そうしたことに一切疑問を抱かなかった。
  しかし、現在の麻田は、冷ややかな気分であった。
  いかに崇高で、重要な使命であったとしても、喜んで命を落とす人間はいないのではないか。兵卒の家族や友人は、勝つために死んでくれ、と本心から思うのだろうか。生き延びられるなら、それに越したことはない。】(P354)

 【サイパンに来てからというもの、人の死に触れることが増えた。首を吊った鰹漁師。夫婦になれず毒を呑んだ男女。皇民を自負する殺人者。 死に触れるたび、どうしようもない生命の軽さが、記憶の底に降り積もった。人の命がこんなにも美辞麗句で装飾され、こんなにも粗末に扱われていることを、麻田はこれまで知らなかった。
 罪を懺悔する自決なら、悲恋の果ての心中なら、御国のための殺人なら、人はその死を進んで受け入れることがある。怒りも悲しみも忘れて、容赦し、感涙し、賞賛する。あたかも、この世には許容される死とそうでない死があるようにすら思えてくる。】(P369)

【堂本が自決したことに、麻田は怒っていた。
 なぜ、死んだのか。なぜ、無様でも生きていてくれなかったのか。
 麻田と堂本は、同じ未来を見ていた。日本はこの戦争に負ける。対米開戦をしてはならない。それが共通した見解だった。最初から、自分たちに戦争を止める力などないことはわかっていた。
 それでも這いつくばって、できることはやってきた。(中略)
 それなのに
 開戦するなり死を選ぶのは、それこそ、「生」という敵からの逃亡ではないか。開戦させてしまったことを真に後悔しているなら、今度は被害を最小に食い止める努力をすべきではないのか。これは終わりではない。悲劇はここからはじまる。その悲劇を直視することなくあの世へと逃げた堂本を、麻田は心のなかで幾度も罵倒する。  卑怯者! 臆病者!  大馬鹿者!】(P370)

【馬鹿馬鹿しい。他人の死を願うことなど、どんな状況であれあってはならない。許容される死も、許容されない死もない。どんな言葉で飾り立てようと同じことだ。
  死はすべて、死でしかない。
 親しい人の、敬う人の、愛する人の死に接した時、誰にでも慟哭し、嘆き、憤る権利がある。
しかし、飾り立てる言葉は、その当たり前の権利を奪う。死を許せ、死を喜べ、と人々に強制する。
何度でも叫ぶ。死は、死でしかない。
そんな当たり前の事実が通用しないことに、麻田は再び涙した】(P371)


 






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする