素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「はて?」と言葉に敏感になる

2024年06月01日 | 日記
 ジムの駐輪場に自転車を入れている時、犬を連れた夫婦が何やら熱心に話しながら向こうからやって来た。話の内容は分からないが、私の横を通り過ぎる時夫が少し強い口調で「日本の常識は、世界の非常識だよ!」と言っているのが耳に入って来た。それに対して連れ合いがどう答えたのかは声が小さくて分からなかったが、もう一度「日本の常識は世界の非常識」というが少し離れたところから聞こえてきた。

 「日本の常識は世界の非常識」という表現は今までよく聞いてきたが、今回妙にこの言葉が心に引っかかった。先週の日曜日の朝刊にあった海原純子さんの「新・心のサプリ」の【日本人じゃだめ?】が心に残っていたせいかもしれない。

 海原さんの『SNSで「日本人に見えない。すてき」というコメントに「ありがとう」と返しているのを見て、はて、と思った。日本人に見えないとすてきなのだろうか。
 背が高く彫りが深い顔立ちは美しいから、そうした表現になるのだろうが、日本人に見えないからすてきという表現は嫌だなあ、と思ったりする。
』という指摘にハッとさせられた。容貌だけではなく、ミュージックの世界での「日本人離れした卓越したリズム感」や「日本人離れした歌唱力」やスポーツの分野での「日本人離れした身体能力」という表現にも違和感を覚えるという。
スタイルがよくて彫りが深い人を、「すてきね」といい、リズム感が優れた人は「素晴らしいリズム感」、優れた身体能力について「卓越した能力」とすればすっきりする。
 外国の人と比べる表現を違和感なく使うのは、多くの人の無意識の中に持つものが影響しているのかもしれない。外国人、特に欧米の人に比べて一歩遅れているような気持ちを持つ人は多いと思う。確かに骨格や容姿は欧米の人たちとは異なるし、言葉の面でもネーティブのように流ちょうに話せる人は多くない。
 ただ、今は海外で活躍する日本人アーティストやスポーツ選手が増えている。にもかかわらず、若い世代にも無意識にこうした気持ちがあるということは、親世代から受け継がれてきたものかもしれないと思ったりする。
』という指摘は鋭い。
 
 「日本の常識は、世界の非常識」を耳にした時、「世界とは?」とふと思ったのである。地球上に存在する160を超える国は、それぞれに歴史や育んで来た文化の違いがある。それらを十把ひとからげに「世界」と表現しても実体のないものと比べることになり意味がない。また、「日本の常識」というのも曖昧なものである。

 『かつて「追いつき追い越せ」という言葉が流行したことがある。目標のようになるにはまねをすることが早道だ。しかし何事も自分の持ち味を無視していると疲れてしまう。
 どの国もそこに生まれ育てば環境に影響される。いいとか悪いとかではなく、ありのままの自分を封印して理想像に合わせるのは不可能だ。自分の持つものから目をそらさずに問題点だけに目を向けずいい部分に目を向けることもしてほしい。
 自己肯定感が低いと気後れして何かをしようとするエネルギーが出てこなくなる。こんな自分ではいけない、だから一歩前に進むことができないと思っている人の悩みを聞くことは多い。問題点といいところに目を向けるバランスを大事にしてほしいと思う。
』と海原さんは締めくくっていた。

 言葉の奥にある「無意識に持たされているもの」に敏感になることが大切だなと感じている。
コメント
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