素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

タチアオイ

2024年06月17日 | 日記
 昨日、柘榴探しの途中、以前から勝手に「タチアオイの家」と呼んでいた家の前も通った。コロナ禍の間ご無沙汰していtらので懐かしかった。さらにタチアオイの数が増えていて驚いた。以前より倍以上になっているような気がした。
 

葵は古代「あふひ」とよばれ、万葉集にも一首のみ詠われている。
他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされているが、少数派ながら「立葵(タチアオイ)」説(牧野富太郎)もある。要は古くから馴染みのある花ということ。

ちなみに、冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、実は利尿に効ありとされている有用の植物。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
      後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                                 巻16-3834  



( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
 時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )


「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて切ない恋歌に仕上げている。

「立葵(タチアオイ)」という名前は、日本の固有種であるフタバアオイに花の形が似ていて、まっすぐ立って伸びる姿から付けられたとされている。タチアオイと呼ばれるようになったのは江戸時代以降で、それまでは中国からきた葵という意味の「唐葵(カラアオイ)」の名前で呼ばれていた。

 タチアオイは、梅雨入りの時期に花が咲き始めて梅雨が去るころに花の時期が終わることから、「梅雨葵(つゆあおい)」とも呼ばれている。タチアオイは下から順々に花を咲かせていくため、江戸時代ではタチアオイの花が咲き始めたら「梅雨入り」、咲き終わりを「梅雨明け」の目安にしていたという。「タチアオイの家」の花はかなり頂上に到達していたが未だ「梅雨入り宣言」がない今年。
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