素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

親子月軍衣まとひし楽園の犬の骸(むくろ)に桜降り敷く

2024年06月07日 | 日記
 「楽園の犬」(岩井圭也・角川春樹事務所)の目次の後にあるページにある和歌である。そのページをめくると序となり物語が始まる。最初はどういう意味かさっぱり分からなかったが、本を読み終えた今は、歌の持つ重みをズシリと感じる。

 「親子月(おやこづき)」は、陰暦12月の別名で、由来は諸説あるが、「12月は空気が澄みわたり月だけでなく星も数多く見られます。1年の中でも星が最も輝いて見えるのは12月ということで、親の月とともに子の星も強く光っている。」というのが私は推したい。それはともかく、物語では日米が開戦した12月の暗喩となっていたが、私にはもう一つ、物語では親子の因果を感じることが随所にあった。12月は師走を始め10以上の別名がある。その中で「親子月」を選んだのは親子の関係がが大きなテーマにもなっているからかなと勝手に思っている。

 「桜」はソメイヨシノに代表される日本で見ることができるものではなく、「鳳凰木」だということはページを3枚めくると分かった。

 【そこには一本の鳳凰木があった。 「ほう」彼の口から思わず声が漏れた。
  男の身丈の三倍はある巨樹に、真紅の花が咲いていた。その様は真実、赤い炎に包まれているようであった。風に揺れる花々が、枝とい う枝に消えない火を灯している。触れれば焼かれそうであった。
  この木が南洋桜と呼ばれていることは知っていた。南洋群島では、薄桃色の桜の花を見ることはできない。代わりに日本人が愛でているのが鳳凰木である。その鮮やかな紅色は、内地の桜とは似ても似つかない。
  だが確かに、男の胸の内にはある種の郷愁が沸き上がっていた。なぜだか、毒々しさすら覚える鮮やかな赤色が、切なさを伴って染みわたる。男はしばし棒立ちになり、見惚れていた.
】(P11)
  この木が物語では大きな役割を果たす。作者の描写力と構成力の巧みさを読後の今噛みしめている。

 もう一つ、「因果は巡る糸車」という言葉が記憶の淵から湧いてきた。今ではあまり使わないが、要するに、全ての物事は、つながっているということかな。”ハミングの効用”で昔見ていた”七人の刑事”が浮かび上がってきたように、この言葉からNHKの”新・八犬伝”が浮かんできた。
 沢山のことが楽しめた本だった。

新・八犬伝OP~めぐる糸
コメント
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