次女が4歳の娘を連れて泊まりに来た。極小旅行である。夜、妻がスーパーでおやつやジュースを買ってあげた話をしていた。孫にも好みがあってあれこれと迷い時間がかかると妻が嬉しそうに話しているのを聞いていた息子が突然、「孫には大甘やな!」と割って入って来た。「どうしたん?お兄ちゃん」と娘がびっくりして問うと、自分が小さい時は、欲しいジュースが買ってもらえなかった。自動販売機があっても「やめときなさい」「体に悪い」と言うばかり、おやつはスナック系は駄目!生協のゴマせんべいや動物ビスケットばかりだった。と愚痴る。「よう覚えてるな」と娘が感心すると「当たり前やゴマせんべいやで」と食感の悪さが忘れられない。と言う。
ひとしきり、好きなおやつと飲み物を食べたり飲んだりできなかったつらさを語り自分の部屋に戻って行った。「お兄ちゃん、けっこう根に持ってたな」と娘。「そういえば私も買ってもらった覚えないわ」と孫への対応との違いを意識したみたいだ。
「子育ての時と今では、心の余裕も年齢もちがうからなあ」と言うしかなかった。
私にも経験があるから息子のぼやきは理解できる。私が小さかった頃は伊勢に出ることはちょっとした旅行気分だった。必ず伊勢市駅前にあった山口屋で伊勢うどんを食べた。その店にソフトクリームの機械が置いてあるのだが、なかなか買ってくれなかった。年に1度「食べるか?」と言ってくれたら御の字であった。それでも1人1個ではなく弟とで分ける一杯のソバスタイル。以来、ソフトクリームを思う存分食べたいという思いがこびりつき今だにソフトクリームには目がない。
食べ物の記憶は、生きることに直結しているだけにいつまでも忘れることはできない。そんな思いで息子がいたことを初めて知った週末であった。私もそうであったようにそれも運命だったと諦めてもらうほかない。
ひとしきり、好きなおやつと飲み物を食べたり飲んだりできなかったつらさを語り自分の部屋に戻って行った。「お兄ちゃん、けっこう根に持ってたな」と娘。「そういえば私も買ってもらった覚えないわ」と孫への対応との違いを意識したみたいだ。
「子育ての時と今では、心の余裕も年齢もちがうからなあ」と言うしかなかった。
私にも経験があるから息子のぼやきは理解できる。私が小さかった頃は伊勢に出ることはちょっとした旅行気分だった。必ず伊勢市駅前にあった山口屋で伊勢うどんを食べた。その店にソフトクリームの機械が置いてあるのだが、なかなか買ってくれなかった。年に1度「食べるか?」と言ってくれたら御の字であった。それでも1人1個ではなく弟とで分ける一杯のソバスタイル。以来、ソフトクリームを思う存分食べたいという思いがこびりつき今だにソフトクリームには目がない。
食べ物の記憶は、生きることに直結しているだけにいつまでも忘れることはできない。そんな思いで息子がいたことを初めて知った週末であった。私もそうであったようにそれも運命だったと諦めてもらうほかない。