カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

雨に。

2017-01-27 19:49:27 | Weblog

今日はこれから駅を回ろうとした時に雨が降ってきた。
この時期、雨は珍しい、強い雨でないがしとしととしばらく降り続けた。
オカマのプジャーはその雨に濡れながら寝ていた。
駅の構内に行くように言ったがポリスがいるから行かないと言い、そのまま雨に濡れながら、また寝た。
雨に濡れながらモーフに包まり、妙に小さくなって寝ている人が居たので、気になり、起こしてみると、汚れきったボロボロになったシャツ一枚だけを彼は着ていた。
食べ物は何も欲しがらず、ただ水だけを欲した。
近くにいた女性に水の入ったペットボトルをもらい、彼に与えると、物凄い勢いで飲み干した。
何度もパンやゆで玉子をあげようとしても、彼は受け取らなかった。
近くでレモンティーを売っていたので、彼にあげようと持って行くと、それは飲んでくれた。
どうやって生きてきたのだろうか、想像のつきようがない。
集合場所に行き、彼のことを話すと、アイリッシュのジョンがズボンとセーターを持って居たので、一緒に彼にあげに行った。
彼はそれを自分で着た。
だが、まだ食べ物は受け取らなかった。
そして雨に濡れながら、またモーフに包まり寝た。

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触れる。

2017-01-27 18:33:36 | Weblog

シュシュババンからマザーハウスに行った。
かなり疲れているので、一度ホテルに戻って、またマザーハウスのアドレーションに来るのは辛いと思い、でも、少しだけでも祈りたかったからマザーハウスに向かった。
マザーのお墓のところでは四時半から始まる英語のミサの前のロザリオの祈りが始まっていた。
私はマザーのお墓に両手を当て、寝ているマザーの顔を見るように墓石に書かれた言葉を見詰めた。
何故か、いつもそうすると涙が込み上げてくる。
一度や二度ではない、いつも涙が込み上げてくる。
私はその理由が分からない、私はその意味が分かり切らない、ただ感じるのはマザーの愛に抱き締められているような感じかも知れない。
しばらくマザーの傍に居た。
そして二階の御堂に行った。
そこは外からの雑踏の音が聞こてくるが、にも関わらず、しんと静まりかえっていた。
シスターがぽつりぽつりと間を開け、三人だけいた。
私は祈った、毎朝行く病院の患者たちのことを。
今回の訪問でも、何人も亡くなった。
昨日午後二時亡くなった患者は脊髄損傷の患者でもう三日前ぐらいから生死を彷徨っていた。
患者の傍には貧しい身なりの痩せた父親がいて、私たちが彼を労ると、父親は大粒の涙をぽろぽろ流した。
掛ける言葉などなかったが、高熱でうなされている息子の胸に手を当て、ここに神さまがいる、あなたの子供はいま神さまと一緒にいる、そう言い、あとは瞳で憐れみを伝えた。
父親は何度も何度も涙を拭っていた。
ある患者は明日足を切断しなくてはならないと言い、泣きだした。
掛ける言葉などない、思いの限り、祈るだけだった。
彼の額に私は両手を当てた、その上から、彼は両手をのせた。
祈りが強くなるように、救いが訪れるように、願ってのことであろう。
私は何もしていない、彼の神さまがそこに現れていると感じるだけである。
多くの患者が言うことはほとんど同じこと、あなたが私の額に手を当て祈ったら私はすぐに良くなると。
彼らはほんとうに神さまとともに生きている、その素晴らしさに私は触れているんだと思う。
彼らに触れる資格があるのどうかさえも分からないが、彼らに触れさせてください、その勇気と静けさ、愛を私に与えてください、そう祈り続けた。

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シュシュババンより。

2017-01-27 15:53:46 | Weblog

今シュシュババンにいるが、今日も日本人はいない、これで今週は日本人1人だけの登録になった。
ちなみに中国人のボランティアが今までになく増えて来ている。
あと10分待って、遅れてくる日本人が居なければ、ホテルに帰れる。
今少し頭痛がするのでちょうど良かった。
また部屋に戻っだら、何か少し書きたいと思う。

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