とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 120 アグネス・ラム『さよならは言わない』

2017-03-18 02:13:01 | 日記
思い出しました。当時すごい人気でした。ツイッギー以上でしたね。この姿のままでまた帰ってきてほしい。などと思っています。

アグネス・ラム『さよならは言わない』


太陽の恋人 アグネス・ラム


スイート・アグネス 高中正義 (Sweet Agnes / Masayoshi Takanaka) 1976 ft. Agnes Lum & Chan


アグネス・ラム(本名アグネス・ナラニ・ラム、Agnes Nalani Lum 1956年5月21日 - )は、1970年代後半に日本で活躍したハワイ州オアフ島出身の中国系アメリカ人モデルで、スペースクラフト所属であった。
ちなみにアグネス・チャンも、同じ事務所(ただし、香港出身のチャンとラムの間には何の姻戚関係もない。当時はよく勘違いされていたが“アグネス”はファーストネーム)。このため、両者のファンは、2人まとめて「両アグネス」と称することもあった。
日本で最初に活躍したグラビアアイドルとされており、グラビアアイドルの先駆者と称されている。




中国人の父親とハワイ人の母親(イングランド、アイルランド、ポルトガル、ハワイアンの血を引く)をもつ。4人姉妹の末っ子。姓のラムは、父親の姓「林」の広東語読みである。
1974年5月のハワイ大会で当初ミスUSAハワイ代表(英語版)に選ばれたが、18歳未満によりタイトルを失う[1]。同年地元の高校を卒業後に、日本からのハワイロケ映像撮影関係者にスカウトされ、モデルとして活動を始めた。
1975年3月初来日、「グリコ天然ジュース」のグリコ協同乳業と 雑誌「non-no」のモデルに選ばれ日本デビュー、同年の11月ライオン油脂の「エメロンミンキー」というトリートメント剤(当時、リンスは定着していたが、トリートメントはまだ普及していなかった)のCM出演が評判となり、たちまち大人気となった。他に「アクエア」の資生堂・「コダックインスタマチック」のコダックのTVCF出演あり。
つぶらな瞳の美少女、日焼けした小麦色の肌、豊かなバスト(当時巨乳という単語はなかった)、愛くるしいルックスの肖像写真は一世を風靡、当時の若者に「アグネス・ラムフィーバ」が起きた。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 119 ギターを持った渡り鳥- 小林 旭 (Cover: SK Lin)

2017-03-17 01:19:05 | 日記
AKIRAの田舎の小さい映画館からこの唄が聞こえてきました。もう居ても立ってもおられないような気持になり、父親に小遣いをせがんで行ったものです。
石原裕次郎と並ぶ当時の銀幕の大スターでした。西部劇タッチの展開も新鮮でした。

ギターを持った渡り鳥- 小林 旭 (Cover: SK Lin)



『ギターを持った渡り鳥』(ギターをもったわたりどり)は、1959年公開の小林旭主演の日本の映画作品。また、小林旭が歌った、同映画の主題歌の題名。

本作品はペギー葉山の歌謡曲『南国土佐を後にして』をもとにした映画作品がヒットしたことを受けて制作された。
元・刑事で今はギターを持って「流し」をしている主人公・滝伸次が見知らぬ土地(本作は北海道函館市が舞台)にやってきて、そこに在住する女性と知り合い、その街で暗躍する黒幕をやっつけて、また別の街へと旅立つというのが作品のプロットである。
本作のヒットを受け、以降1962年まで合計8作の『渡り鳥シリーズ』が制作された。

小林旭 ギターを持った渡り鳥~ついて来るかい


キャスト

滝伸次 - 小林旭
秋津由紀 - 浅丘ルリ子
庄司澄子 - 中原早苗
リエ - 渡辺美佐子
秋津礼三郎 - 金子信雄
安川 - 青山恭二
殺し屋ジョージ - 宍戸錠
沼田刑事 - 二本柳寛
庄司明夫 - 木浦佑三
海上保安官一 - 鈴木三右衛門
スーベニヤショップ店主 - 片桐恒男
鉄 - 青木富夫
馬場 - 弘松三郎
サブ - 野呂圭介
源次 - 近江大介
海上保安官二 - 水谷謙之
清水 - 高田保
小料理屋のおかみ - 原恵子
女中房子 - 清水千代子  (Wikiより) 

あちこち「SYOWA」 118 嵐を呼ぶ男

2017-03-15 22:37:47 | 日記
昭和を代表する銀幕の大スター、石原裕次郎。憧れの的でした。こんなに強くカッコよくなりたいものだと思っていました。

嵐を呼ぶ男


『嵐を呼ぶ男』(あらしをよぶおとこ)は、1957年に公開された石原裕次郎主演の日本映画。石原裕次郎の代表作の一つ。その後も、主演渡哲也(1966年)、近藤真彦(1983年)によってリメイクされている。北原三枝演じるヒロインの女帝マネージャーのモデルは当時女性マネージャーのはしりとして注目を集めていた渡辺美佐である。主題歌も裕次郎自らが歌い、彼にとっての最初のヒット曲となり、独特の歌い方が今日でもものまねの対象になっている。

冒頭でロカビリーを歌っている歌手は「ロカビリー三人男」の平尾昌晃(のちに作曲家に転身)である。
国分役の石原のドラムのアテレコは、日本の名ドラムニストの1人である白木秀雄が行っており、石原が歌う同曲の主題歌「嵐を呼ぶ男」の音源の演奏には、「白木秀雄とオールスターズ」とクレジットされている。なお映画のラストを飾るジャズとクラシックの混成オーケストラの演奏場面においては、白木秀雄自身が画面に登場する。
ライバル・チャーリー桜田の陰謀で右手を怪我した正一が、マイクを掴み「おいらはドラマー〜」と歌いだすドラム合戦のシーンは、石原を代表する名場面の一つである。歌の途中の台詞は、劇中では「この野郎、かかって来い!最初はジャブだ、左アッパーだ、右フックだ!ちきしょうやりやがったな、倍にして返すぜ!チンだ、ボディだ、ボディだ、チンだ!えーい面倒だ、これでノックアウトだ!」と言っているが、主題歌では「この野郎、かかって来い!最初はジャブだ、ほら右パンチ、おっと左アッパー、ちきしょうやりやがったな、倍にして返すぜ!フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ!えーい面倒だ、これでノックアウトだ!」と言っている。

キャスト

国分正一:石原裕次郎
福島美弥子:北原三枝
島みどり:芦川いづみ
左京徹:金子信雄
国分英次:青山恭二
メリー・丘:白木マリ(白木万理)
チャーリー・桜田:笈田敏夫
国分貞代:小夜福子
福島慎介:岡田眞澄
福島愛子:高野由美
島善三:山田禅二
有馬時子:天路圭子
持永:安部徹
種田:冬木京三
健:高品格
マネージャー滝:三島謙
バーテン矢野:木戸新太郎
吉田:柳瀬志郎
長谷:二階堂郁夫
木村:林茂朗
原:加藤博司
大熊教授:汐見洋
凡太郎:小柴隆(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 117 翼をください/山本潤子

2017-03-14 22:21:29 | 日記
AKIRAはこの山本潤子の唄が落ち着いていて一番すきです。同名の演劇を見ました。劇中で唄われていて感激しました。

翼をください/山本潤子


「翼をください」(つばさをください)は、作詞:山上路夫、作曲・編曲:村井邦彦による日本の楽曲。

赤い鳥(あかいとり)は、日本の音楽グループ。1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散。

「翼をください」はフォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に「竹田の子守唄」のB面曲として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった。
1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。のち、教科書出版社の教育芸術社の橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、日本国内では老若男女誰もが歌える愛唱歌である。
1991年1月23日に川村かおりがカバーして発売、約28万枚のヒットとなった。1997年11月12日には元赤い鳥の山本潤子によるシングルが発売され、1998年1月時点で初回出荷枚数の10倍、2万5000枚(東芝EMI発表)を売り上げた。山本版は1998年1月開始のTBSドラマ『花王 愛の劇場 風になりたい』の主題歌に起用された。なお、山本は赤い鳥のボーカルだったので、事実上セルフカバーである。
FIFAワールドカップフランス大会予選のUAE戦(1997年10月26日開催)からサッカー日本代表チームの応援歌として歌われるようになった。1998年にはこれに便乗する形で小宮悦子、川平慈英、山本シュウらによって結成された企画ユニット「ザ・つばさーず」が「翼をください」をレコーディングし、同年3月発売のミニアルバム『サッカー天国』に収録した。1998年の長野オリンピックでも山本潤子が歌っている。
「翼を下さい」と表記されることもある。なお、厳密な意味で「ください」を「下さい」と漢字表記した場合は、1972年に制作され、赤い鳥としてもシングル(1972年11月20日発売の「翼を下さい/月曜日はブルーな日」のA面曲)として発売した英語バージョン(英語曲名は「I WOULD GIVE YOU ANYTHING」)を指す。


バージョン違い

当曲の2番の歌詞は「今富とか〜」で始まるのが一般的だが、赤い鳥がシングルを発売した当時はその部分の歌詞は省略されており、「子供の時〜」で始まっていた。
テレビなどで演奏するときは、1番の「今私の〜」と2番の「今富とか〜」を歌うかわりに、1番の「この背中に〜」と2番の「子供の時〜」を省略したりなどのバリエーションもあった。
前述した英語版「I WOULD GIVE YOU ANYTHING」(英訳詞:Gayle Caldwell)は1番・2番ともにAメロが1回のみである(日本語版は1 - 2回、また後に山本潤子が英語版を日本語版とともにセルフ・カバーしているが、このときは日本語版と同じメロディーのため、Aメロを2回歌っている)。
英語版はこの他にも、カノンが訳して歌った「Wings to Fly」などが存在するなど、ヴァージョンは数多く存在する。
またカバー・アーティストの中にも、2番の「今富とか〜」を省略して歌うアーティストが存在する。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 116 中森明菜 - DESIRE

2017-03-14 16:51:37 | 日記
デビュー当時からずっと注目していた歌い手でした。何でも唄える。アクションもいい。あまりあくが強くない。それがAKIRAにとって魅力でした。

中森明菜 - DESIRE


「DESIRE -情熱-」(ディザイア じょうねつ)は、日本の歌手中森明菜の楽曲。この楽曲は彼女の14枚目のシングルとして、1986年2月3日にワーナー・パイオニアよりリリースされた (EP: L-1750)。


「DESIRE」は、1986年2月3日にシングル・レコード (EP: L-1750)で発売された[8][9]。シングル・レコードのライナーノーツには「このレコードは可能な限り大音量でお聴き下さい。」という注釈がついていた。この楽曲は、中森のシングル作品では初となった阿木燿子が作詞提供し、鈴木キサブローが作曲を担当、編曲は椎名和夫が手掛けた。阿木はこの楽曲以前に、中森のスタジオ・アルバム『NEW AKINA エトランゼ』(1983年)収録の「ヴィーナス誕生」で作詞を手掛けていた。当初A面/B面が逆になる予定であったが、中森の強い要望により「DESIRE」をA面にしている。「DESIRE」は、自身初のCMタイアップシングル曲となり、パイオニア「PRIVATE CD 500AV」のCM曲に起用された。タイアップ曲としてのオンエアは、シングル・リリース後の1986年2月24日より開始された。

音楽番組で披露したこの楽曲の衣裳は、ボブのウィッグとハイヒールに、批評家から「斬新・奇抜」と評された着物を洋風にアレンジしたもので、これに加えて、中森オリジナルの振り付けによるパフォーマンスも披露された。本曲の衣裳選びの際に中森は「この曲は着物で歌いたい」と発言[16]。この型破りな発言に周囲のスタッフは動揺したという。また、この楽曲の「なんてね」の箇所の振り付けは、野球のピッチングからヒントを得たものであったという。なお、前年の1985年のコンサート・ツアーBITTER & SWEETで中森は、ボブのウィッグを身に着けてのライブ・パフォーマンスを披露している。

表題曲は、1986年に開催された第28回日本レコード大賞で日本レコード大賞を受賞した。前年度(1985年)に行われた第27回日本レコード大賞での「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」に続いて、史上2組目となる2年連続となる大賞受賞を果たした。女性歌手での二年連続受賞は史上初。

(Wikiより)